あ、驚いた。
ちょっと気分転換に。と、一番近くの海に仕事をしに行くと、見覚えのある背中が見えた。
そして、オレについた警報器がちかちかと光りだす。
「おーい、もふこ」
「あ、シャルだ」
やはりこの後ろ姿は彼女だったか。
「久し振り」
振り返って返事をした彼女は、灰色の防波堤に座っていた。せっかくなら砂浜に座ればいいのにと言うと、「こっちの方が気持ちいいから」とオレにも隣に座るように促してきた。
「はー、どっこいしょ」
「はは、ちょっと見ないうちにおじさんくさくなったんじゃない?顔も疲れ切ってるし、なんか老けた」
「誰のせいだか、分かるよね?」
それからは、近況報告会。お互いの仕事のこと。みんなのこと。他愛もない話をして笑っていると、彼女が俺の荷物を指差した。
「…パソコン?」
膝の上に広げられた鉛色の物体。
「ん、一応仕事しに来た訳だから」
「へえ、海辺でパソコン仕事?斬新すぎる」
納得したような不満そうな顔をしたもふこ。
「なんで、わざわざ?」
「ずっと部屋で仕事やってるとね、さすがに気が滅入ってくるんだよ。気分転換って感じかな」
「はは、クロロも酷いなあ、そんなに部下を働かせるなんて」
「毎度のことだけどね」
そう言いながらも団長を思い出す。彼の、今回の仕事の、異常な頑張りようを。
「なに溜め息ついてるの。センチメンタル?そんなシャルナークいやだけど」
「失礼だなあ。俺にも考え事くらいあるんだよ」
「へえ、なに?」眉を顰めて首を傾げる。
「団長が、仕事にかつてないくらい一生懸命なこと、とか」
「良いことじゃない。なんで困ってるの?」
もふこは、話ながら海のスケッチ。彼女の仕事は、いつ見ても楽しい。俺のとは大違いだ。
「一生懸命過ぎるからだよ。身が持たない」
「へー、何でだろうね」
「理由はよく分からないんだ」
手足を伸ばせるだけ伸ばして、深呼吸。
新鮮な空気と磯の香りが体に染み渡る。
ようやく生き返った感覚。
血液が流れる感覚。
神経が戻る感覚。
最後に、息の塊を吐いてやった。
そして、金輪際、アジトに籠りっきりになるのはやめようと深く考えた。
「あ、ちなみに今って何の仕事してるの?」
彼女はペンを走らせながら、質問をする。
少し強い潮風が、また何か盗んでるの?といたずらっぽく言うもふこの髪とスカートを揺らした。
「それが実はね、仕事については、もふこには言うなってお達し」
「えー!なんでよ!!」
俺の想像した通りの反応で、思わず笑ってしまった。
「オレも良くは知らない。とりあえず団長に口止めされてるんだ。ほら、これ見てよ」
オレの肩あたりについた丸い機械を見せる。
「うわ、何この丸いの。ちかちか光ってる」
「うん。それに…ちょっとこっちきてみて」
そう言って、もふこをの手を引っ張ってオレに近付ける。
甲高い機械音。
耳をつんざくような警報。
「うるさ!なにこれ?」
目を真ん丸にしたもふこから少し離れて、警戒音が消えたのを確認。
「厄介でしょ」少し笑ってしまったかもしれない。
クエスチョン・マークを嫌になるくらい浮かべた彼女に、説明をしてやる。
「どうやら団長の新しい能力みたいで、もふこがオレの半径1メートル以内に入ると警戒音が鳴る。半径100メートル以内に入るとちかちか光るようになってるんだ。…因みに、団員全員に付いてるよ」
全く、どこから盗ってきたんだかね。と彼女に笑いかけると、彼女は、にこりともせずに下を向いてため息を漏らしていた。
「そんなに私に知られたら困る仕事、なのかな。なんだか、結構疎外感」
「あ、いや…そうじゃないよ。きっと、ほら、仕事終わったら教えてもらえる、と思う」
少し詰まり気味におれがそう言うともふこは、そうかな、そうだといいな。と笑って言った。
単純(よく言って素直)で良かった、と内心で胸を撫で下ろした。
「…もふこは、また海の絵?」
「うん」
彼女は笑いながら、手に持ったクロッキー帳を見せてきた。
そこには、ここ一帯の海岸線を綺麗に切り取ったような絵だった。
「へえ、良いね。おれも欲しい」
「いーよ、どうせ何枚も刷るから」
「あそっか、銅板画だったっけ」
「そう。まだこんな下書き段階だけど」
「そっかあ。色は?決まってるの?」
彼女はまた、目線を海に戻す。
「決まってるようで、決まってない」
「なんだ、それ」
ふいと此方を向いた。
「つまりね、素敵な青色にしようと思ってるの。それは決まってる。だけど、私のイメージに合う色がなかなか作れなくて、困ってるの」
「なるほどね」
確かに、ここの海と空は綺麗だから、その色を作る事は難しいんだろう。
そこまで考えて、なにか、違和感を感じた。
がちん、と。
頭の隅で、何かがぶつかった様な気がした。
「海の、色、」
口に出して、ピンときた。
「ああ!」
「え?どうしたの?」
「あー、いや、なんでもない」
どういうことだろう。
「ならいいけど。…そういえば、この間クロロも変な顔してたなあ」
「えっ、団長?団長と、この話したの?」
そうだとしたら、これは、完璧に。
「うん。前にここへ一緒に来たんだよ。その時に、いい色が無いかもってことに気付いたんだ。そんで、クロロにそのこと言ったら、なんだか考え込んじゃってさあ」
「……そっか、そういう事」
「え?」
「ああ、いやごめん、こっちの話」
「えーかんじわるーい」
「ごめんごめん」
「最近、皆さ、隠し事多くない?まあ、仕方ないことだけどさ、寂しいんだよね」
もふこはそう言ってから、トレーに入った、試作品であろう絵の具をぐちゃぐちゃと手に付けた。
意味不明のその行動を、ぼうっと見ていると、
その手をオレの頬に。
べちゃっと、つけてきた。
「うわああ!冷た!」
「ははっ、お返しー」
「っなんのお返しだよ!」
「私を寂しくさせたお返しだコノヤロウ」
そう言って、もう一度頬に手を伸ばしてきたから、オレは慌てて防波堤から道路へと飛び降りた。
人差し指で頬を触る。
冷たい感覚。
べたりとした感じ。
「うわー、結構つけたな」
頬についた色を、頑張って落とそうと手の甲で拭う。
すると、防波堤の上から「取らないでよ」、と彼女に言われた。
「出来ればこんなぬるぬる、一刻も早く取りたいんだけど」
「良いじゃないの」
「やだよ、こんなの」
「ふふふ」
「なに?」
「その色、凄くシャルに似合ってる」
手の甲についたそれに目をやると、海の色でもない空の色でもない、綺麗な蒼色がついていた。
「…………」
「うん、似合う似合う」
「…そりゃあどうも、」
「怒った?」
「いや、ありがとうって言うのも変だけど、そんな感じ」
「はは、良かった」今日一番の満面の笑み。
「じゃ、飛び降りついでにもう帰るね」
「あれ、もう?」
「うん、ちょっと急用が出来てね」
そう言いながらオレは後向きに少し歩いた。彼女はわかったと言ってから、もしかしたら後でそっちに遊びに行くかも、と大声で付け足した。
「今日はフィンたちがお酒たくさん持ってきたみたいだから、夜にでもおいでよー」と言いながら手を振ると、彼女は嬉しそうに笑った。そして、手を振り返してくれた。
ああ。またこれから帰ったら仕事だと憂鬱になりならがら、ふと後ろを振り返る。
防波堤に座りながら空を仰いでる。その白いワンピース。
その後ろ姿は、綺麗に澄んだ空に浮かんでいるみたいで、なんだか見とれてしまう程綺麗だった。
我に返って歩みだした時にはもう、オレの心も水のように澄んでいた。仕事への憂鬱な重苦しい気持ちなんて、何処かにいってしまったように。
青い空に浮かぶ、
(君がほんとに眩しかった)
(さ、アジトに帰ったら、尋問と行こうか)
20110116
▼おまけ
「ただいま〜」
「帰ったか、シャル。…どうしたんだ、その顔は」
「あー、もふこに付けられた。似合うでしょ。あ、それより団長。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」
「その前に答えろ。何故警報がなったんだ何処に行ってたお前もふこに何をした」
「好きな子に近付けさせないためにこんな警報器付けるような女々しい奴には、教えまてーん」
「シャル、殺されたいのか」
「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「………(無視か)」
「今回の仕事さ、いきなり"なんでもいいから、青い宝石をとってこい"って言うからおかしいなあって思ってたけどさ、これって、もふこ絡みかな」
「…それをお前が知ってどうする」
「いや、団長だけにいい顔はさせたくないなって思ってね。それならオレは、一人で見つけだそうかな〜なんて。あはは」
「………」
「本気なんだけどな」