つまらない。いやこの仕事がつまらないとかそういう訳じゃないんたけど。いや、仕事は楽しい。とっても。でも、そうじゃない。
くるりと椅子の向きを変えてみれば、複雑な打ち込み資料と大格闘している松田さんの背中。捜査本部には現在、私たち二人しかいない。


「…松田さん」

「ん?どうしたのもふこちゃん」

さっきまであくせくと動かしていた手を止めて、此方を振り返ってくれる松田さん。なんというか優しい。そんな彼なら、私の考えが理解出来るだろうか。

「あの、ちょっとお話が」

「ん?なになに?」



「…良いですか、覚悟して聞いてくださいね」

松田さんの満面の笑みが少し崩れる。いや、大きく崩れる。


「…どどどうしたの、怖くなっちゃうんだけど」

青ざめそうな勢いの松田さんを見てから、息を吸う。


「夏が終わります」

「!!!!!!」


今までの不安そうな顔から、パッと驚いた顔になった松田さん。私の言いたい意味、分かってくれたらしい。
期待の眼差しで見つめると、彼は、うーん、と腕を組んで考え込んでから、分かった!と元気に片手を挙げた(小学生みたいだと思ったが、言わないでおく)。

「…つまり、僕たちは仕事に追われて夏らしいことを、一つとしてやっていない!ってことだね!」

「うわああ!よく分かりましたね大正解!松田さんラブ!!!」

「いやあそれ程でも!!」


僕の推理力にかければこんなもの!とか調子に乗ってきた松田さん(仮にも一年先輩だけれども)を制すように、そこで提案です。と言ってみる。

「なになに?」

ノリノリで楽しそうな松田さんの手は、最早仕事のためには動いていない。


「…実は、今日は近所の通りで最後のお祭りみたいなイベントがあるんです」

それも結構賑わうらしいんですよー!と、テンション高めで言うと、彼はこれまたテンション高めな歓声をあげてくれる。

「ほんと?!!じゃあもう行こう!!行くしかないよ!ねえ?いこう!!!」

「…それが、問題があるんです」

と言うかそのくらい言わなくても分かってると思いますが…と苦々しく付け足してやると、見るからに目の前の表情が曇りだした。ようやく現実を見れた模様。一瞬も考えずに、正解をぽつりと呟く。


「…“竜崎“」

「…ご名答、です」


はぁというため息を同時について、ゆっくりと二人で腰を下ろす。


そう。“彼“の前ではお祭りなんてとんでもない。ちょっとした息抜きでさえ、取るのに苦労したりするのである。その上、仕事から解放してもらえるのは、大体夜の11時。当然、お祭りなんかやっているはずもない。

「どうします?お祭り」

明らかにしょんぼりモードの松田さんに、そう声を掛けると、どうしよっか、という何とも頼りない言葉が返ってきた。

「竜崎は今、確か…資料室?」

「はい、たぶん」

「うーん、じゃあ、帰ってきたら直談判してみる?」

「…そーですね。まさかってこともありますし」

もう諦め半分である。じゃあその時のために、今日の分の仕事くらい終わらせておきましょうとやる気無く言うと、それもそうだねという魂の抜けた返事が、乾いた笑いと共に返ってきた。





▼▲




ふいと腕時計に目をやると、お祭り話に花を咲かせていた時から、一時間経ったのが分かる。座ったまま、ぐーっと背伸びをして欠伸をする。ああ、もうそろそろ花火が上がる頃なんじゃないかなぁと考えていると、向こうからドアが開く音がした。

そして、ぺたぺたという音と同時に竜崎が現れる。

「あ、竜崎」

思わず呟くと、隈のひどい目が私を見た。いつもより濃い隈。本来の色よりも青白い顔。行き詰まった捜査のせいだろうか、明らかにやつれている。


「お帰りなさい。…竜崎、大丈夫ですか?」
「…何がですか?」



何がって…と言い淀んでから、同じ様に感じているだろう松田さんと目を合わせる。

「その、ええと、いつにも増して体調が悪そうなので…」

控えめにそう言ってみると、竜崎が、そんなこと無いです大丈夫ですと早口に言ってから、少し笑った。



…笑った?笑った、わらった!今日はちょっと、ご機嫌が良いのかもしれない!これは今までに無い絶好のチャンス!いざ祭り!!と明らかに今の雰囲気とは駆け離れた不謹慎なことを目だけで松田さんに伝えると、彼もそう思ったのか、私に向かって、行け行け押せ押せと口パクで言ってくる。


(っええ!?ちょっと!そんなに行けって言われても!ほら、松田さんも一緒に言いましょうよ!!)

(いや僕は言わない方が良いよ!ほら、もふこちゃんならきっと出来る!)

(丸投げですかもう!!)

私と松田さんがわたわたとそんな口パク合戦をやっていると、竜崎が呆れた目で此方を見てきて、早く仕事してくださいと言った。それから私たちに背を向け、パソコンの前の椅子につく。
ちらりと振り返ると、ジェスチャーで行け行け!と楽しそうにはしゃいでいる松田さん。少し苛ついたが、こで言わなきゃお祭り女の名が廃る!と自分を勇気づけて、怖々と竜崎の背中に向かう。


「竜崎ー…」

「…はい」

返事はしてくれるもの、此方は見てくれない。やはりいつもの元気は無いみたいである。

「あの、少し、休憩でもしませんか?」

ちらりと此方を見る彼の目は、何故と言っている。ちょっとした無言の圧力。後ろからは頑張れの圧力。板挟み。

「その、今日は、日頃の疲れを取る良い方法があるんですよ!!」

ここはもうひたすらアピール作戦しかないと踏んだ私は、竜崎に反論の隙も与えずにマシンガン・トーク。

「それはなんと、お祭りです!!近くの通りでやってるんですけど、出店とかたくさん出てて、楽しそうなんです!毎年、結構賑わうって評判も良いみたいですよ!」

頼む頼む!!と内心では普段は信じてもいない神に祈りながら、満面の笑みで冷めた目の竜崎を見つめる。


「…行かれても構いませんよ」

竜崎のその一言に食いぎみで、松田さんのこの部屋には似つかわしくない歓声が飛んできた。
行かれても、構いませんよ。なるほど。確かに当初の目的は達成できた、万々歳である。しかし、これはこれで、なんか引っ掛かるものがある。


「えーと。竜崎も行きましょう」

「…私は、いいです」

「そんなこといわず!」

「いえ、やることがありますので」

後ろの方では、がさがさと支度を始める松田さんの気配。竜崎の許可も降りたことだし、私と松田さんはお祭りに行けるんだと思っても、なんだか晴れ晴れしない。それに、なんとなくこっちも意地になってきた。こんな疲れた人を置いていく訳にはいかない。何としてでも、竜崎を連れ出して息抜きさせたい。若干エゴイスティックではあるなと自覚しつつも、声をあげる。

「甘いものもたくさんありますよ!ほら、綿飴とか、林檎飴とか」

彼の横顔が少し明るくなった。少しの間があったものの、結局は大丈夫ですと返される。

「きっと楽しいですよ!一日くらい…というか一時間くらい息抜きしたって良いじゃないですか!竜崎、お祭りは行ったこと無いんじゃないですか?」

折角ですし行きませんか!と追い討ちをかけてみる。が、私の必死の猛アピールに嫌気がさしたのか、彼は椅子ごと回転させて私と向き合うように座り直した。そして、私を見据える。

「私は仕事を続けてますので、とうぞお二人で行ってきてください」
「どうしてもですか?」
「どうしてもです。私は行く必要がありませんので、お二人で」
「いやです!!竜崎と行きたいんですもん!!」

静まり返る室内。
元々三人しかいないけど、さっきとは比べ物にならないほどの静寂。


あー、待て待て。今、あまりの竜崎の頑固さと言うかストイックさに、意地になっておかしな事を言わなかっただろうか。恐る恐る振り返ってみれば、僕とは行きたくないの?と小声で悲しそうに言う松田さんと目が合う。それから前に向き直って竜崎を見ると、こちらも真ん丸の目を開けたまま固まっている。


「いや、そのー、ええとですね。変な意味じゃなくて、ですね」

必死に取り繕ってみるも、痛々しい。竜崎は、そのまま、はぁとかよく分からない返事しかしないし、松田さんはショックだなぁとかおかしなこと言っている。いやでも、悪いことは言ってないはずだと開き直ってみる。

「とりあえず、皆で行きましょう!!」

竜崎の片腕を掴んで立たせ、松田さんと一緒に引っ張っていった。



▲▼


ぼんやりとした提灯がいくつもぶら下がっていて、紺色の辺りを明るくしている。それ以上に華やかな出店と喧騒、向こうの方に見える簡易的な椅子やテーブル。
都会の中のイベント的なお祭りだからあまり本格的ではないけれど、十分に風物詩だと思える雰囲気に、気持ちが高まる。

「わぁ!こんなに近くに、大規模なお祭りをやるところがあるなんて知らなかったね!」

「賑わってますね!竜崎も連れてきてよかった!」

「あ!ちょっとあれ買ってくる!」

あれって何?と訊く前に松田さんが走りだしてしまったので、静かに私の横に立っている竜崎を見遣る。
いつも通りの、ぼーっとした顔。どうにも楽しんではいないみたいだ。まあいきなり連れてきて、さあ楽しめ!っていうのも無理な話かもしれないけれど。

「…折角来たんだから、雰囲気だけでも楽しみませんか?」
「はあ」
「あ、もしかして…竜崎が来るの、危険だったりします…?」 

だとしたら考えなしなことをしてしまった、と不安になりながら彼の顔を覗き込めば、表情を変えずに首を横に振られる。
「いえ、特に」
「ああ良かった…。でも不安ですよね…もしものときは私が守るので、離れないでくださいね!」
はぐれてもいけませんし、と付け足してから先程まで掴んでいた白い腕を掴み直すと、彼の動きが唐突に止まる。
「…………」
「竜崎?」
「あ、二人とも!とりあえずビール買ってきましたから!」
「わー、ありがとうございます!」


黙り込んでいた竜崎を不思議に思いながらも、松田さんから、ぷかぷかの柔らかなプラスチックのコップを二つ受け取る。竜崎の腕を掴んでいたところから慌てて受け取ったので、なんとなく離しちゃいけないという意識で、自然に腕を組んでいるような状態になってしまった。

それから直ぐに松田さんは、焼き鳥が欲しいだの焼きそばが食べたいだのと騒ぎながら、また何処かへ行ってしまった。

それを見送ってから我に返ると、腕に伝わる慣れない熱で、自分の今の体勢に気が付く。
ちょっと恥ずかしい気もしたけれど、ここで慌てて離してしまえば余計恥ずかしいのは目に見えているから、気にしない素振りのまま、受け取ったコップのひとつを自由がきく腕で隣の竜崎に差し出した。

「竜崎ビール飲めるんですか?」
「…飲めますよ」
「そっか…なんか不思議な感じです」


ゆっくりとそれを飲みながら二人で歩く。まだ松田さんは帰ってこないし、見える所にはいないみたい。
隣の竜崎は、さっきよりも幾分か軽い足取りで歩いているらしく、先程みたいに私が引っ張る感覚はない。

たくさんの人と擦れ違いながら、再びなんとなく出店に目を向けると、動く人影の向こうに真っ赤に輝いているものが並んでいるのが見えた。

「あ、林檎飴…」
「あれが林檎飴ですか」
なんとなく呟いた言葉に、隣から思わぬ反応。
「竜崎好きそう…買います?」
「はい」

やっぱりの乗り気なその人を見て、ちょっとは息抜きができてるかなと思っていると、視界の端からこちらに向かってくる影。

「おーい、もふこちゃん!竜崎!」
「うわ、たくさん買ってる…」

いなくなってしまったときの宣言通り、松田さんはいくつもの戦利品を抱えている。やきそばのパックだったり、焼きイカの乗ったトレイだったり。
それなのに松田さんの目は、目の前の林檎飴の屋台に向かっている。

「あ、竜崎食べますよね?僕買いますよ!」


そのまま松田さんが林檎飴の屋台に素早く進んだのを見て、私も竜崎の腕を引っ張ったまま、のそのそと付いていく。

「竜崎、大が良いですよね?林檎飴の"大"!」
「はあ」
「私も大きいのが良いです!」

二人分の返事を聞いた松田さんが、屋台の人に振り返って注文をしてくれた。
手もとにひとつ目の大きな林檎が渡されるので、それを左隣の竜崎に渡そうと向き直ると、案外近くにあったその顔に驚いてしまった。
「…あ、はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「食べ方、わかります?飴のところから、こう、がつがつ食べるんです」
「分かりました」

元気な返事が聞こえたと思ったのに、なかなかそれを持ってくれない彼を不思議に思って見上げると、その目は、赤く綺麗な林檎を見つめていた。
それから直ぐに私に軽く視線を投げ、また林檎を見てから、それに齧りつく。

がつん、という衝撃が私の手に伝わった。

「、ちょっと!自分で持ってくださいよ!」
「私、右手が使えないんです」
そういえば私が捕まえていたんだっけ。
じゃあ左手は、と思ってみても、そこには当たり前だが、先程のビールのコップ。
悪く思って彼の腕を離そうとしたが、案外不安定な林檎飴を持っているせいで、組んでいる腕を思い通りに動かすことができない。ついでに竜崎も、私の手から逃れようともしない。
竜崎の組んでいる手には何も持ってないんだから、そっちから外してくれてもいいのに。

「…ああもう、今だけ離しますから、自分で、」
食べてくださいよ!と文句を言っている途中で、今度は逆に私の腕が彼の腕によって挟まれてしまった。

訳が分からないという表情で竜崎を見上げるも、その顔はいつも通り涼しく、その手を緩めるつもりもなさそうだ。
飴に向けられていた不健康そうな目だけが、私を見据える。
「もふこさんが連れてきたんですよ、最後まで私の身の安全を確保してください」
「…………」
思わず絶句してしまった。
確かに連れてきたのは私だし、私はたぶん彼の護衛もしなくちゃいけないとは思うけれど。

いかにも普通なことのように私の左腕ごと、林檎飴を食べ進めていくつもりらしい竜崎を見ていると、なんだか変に言いくるめられているような気がしてしょうがない。だけど、うまく反論する文句も自信も、今のところはない。

はた、と意識をもとに戻すと、全員分の林檎飴を買い終えた松田さんがこちらに戻ってくるのが見えた。
もちろん竜崎は、そんなことに構うことなく、私の持っている飴に夢中。
ちょっと恥ずかしく思っている自分が変だと言われたらそれまでだけど、とにかくこんな状態で過ごしていたくはない。

思い切って、持っていた飴を竜崎から引き離し、暇そうなその右手に押し付けるようにする。
「ほら、持ってくださいよ!」
「こっちの手で持っても、もふこさんの腕があるから食べられません」
「だから、それは外しますから、ね、今だけ!」
「嫌です」
その言葉と同時に、組んだようになっていた腕にさらに力を入れられ、身動きも取れなくなってしまった。

「ちょっと竜崎!」
いよいよ恥ずかしくなってきてしまい、慌てて竜崎を見上げると、予想外なことに、その顔は楽しそうに笑っていた。
最初は見間違えかと思ったが、どうやらそうではないらしい。きちんと彼の口端は、形よく持ち上げられている。


「もふこちゃん?何してるの?」
ようやく帰ってきた松田さんが私たちの異常事態に気付いて、こちらと竜崎を見比べるようにして立っている。その手に抱えられた食べ物たちが今にも落ちそうなのに、ぽかんとした表情がミスマッチで少しだけ滑稽にも見える。

とにかくこの状態から脱したい一心で、松田さんに助けを求めることにする。
「竜崎が…、我儘なんです!」
「連れてきたもふこさんに責任があるという話をしているんです」
「なんのこと?」
「竜崎が、食べてる間でも警護しろって!だから食べさせろって!」
少し省略し過ぎてしまったけれど、焦りのせいだし仕方ない。思った通りに、さらに不思議な顔をする松田さんは、少ししてから納得したみたいな表情を見せた。
「…まあ、確かに連れてきたのはもふこちゃんだもんね。そういう責任がある気はするかなあ」
「ええ、ちょっと松田さん…でも、だからといって…」

物を食べさせる責任なんて無いでしょう!と強く反論したい気持ちがぶくぶくと膨れていくの感じながらも横を向くと、さっき見たような楽しそうな顔が見えた。
つい30分前まで本部でやつれていたその表情が、少しながらも元気になっているようにさえ見えるのだ。
それに加えて、とっても能天気でいい加減な松田さんのせいで、非情だと言われそうな文句を言うことなんてできない。

「…今日だけですから」

私に言えることといったらそれだけで、全然納得できないから小さく呟くように言ったのにも関わらず、松田さんは、問題解決だねなんて無責任に言って、また楽しそうに何処かへ行ってしまうし、竜崎は私に構うことなく林檎飴を楽しんでいる。

早く食べ終わんないかな、と考えながら右手からビールを飲んでいると、動きを止めた竜崎がこちらを見ていることに気が付いた。

「どうしたんですか?」

「…たまには、良いですね」

こういうのも、と小さく動いた口から聞こえてきた。
さっき見たようには笑ってはいなくて、真面目な顔のままに此方も見ずに言った言葉だったけれど、それが本心なんだなとなんとなく思えて、私は今日、ちょっと頑張ってみて良かったかもしれないと思ったのだった。



161009



 


-Suichu Moratorium-