竜崎という変な上司の元に不本意にも引っ越してきてしまってから、暫く経った。
慣れというのは不思議なもので、今や私は、いたって普通に、本部まで出向いて仕事をしたり、ときどきは部屋から署まで行ったりと、前の一人暮らしと殆ど変わらない生活を送っている。
まあ、本当のことを言えば、休日に共有の(元は竜崎のなのに、そういうことになった。恐れ多い)部屋で見かける竜崎とか、残業が終わって帰るときに横並びになって部屋まで帰るとか、そういう普通の一人暮らしでは考えられないことがあるが、ある意味貴重な体験をしているな、と自分を励ますことで日常生活を送っていたりもする。
ただ、やはり普通のアパート暮らしとは決定的に違うことも出てきて、たまに私は混乱している。
例えば、今日のこと。
一応決められている定時過ぎの捜査本部は、例のごとく、私と竜崎だけになっていた。
もちろん私以外の人は、ここから離れた家に帰るのだから先に急いで帰るのは当たり前なのだが、他の捜査員たちは私の例外を知らない。
口々に、また残業するのかという様なことを言いながら帰るのだ。
実は、他の人には、私の現在の住居というか置かれている状況については説明していない。
わざわざ自分から言うことでもないしその必要もない、というのは建前であって、なんだか正体不明の恥ずかしさみたいなもので、未だ口に出来ないでいるだけだったりする。
だから今日もこうやって、当然の成り行きみたいな形で、広くて静かな部屋に二人きりになってしまった。
「この状況にも、だいぶ慣れてきましたね」
のんびりとした口調で竜崎がそう言う。
ただ、休むことなくその目はデスクに広げられた書面の内容を追っている。
それを見ながら、そうですねえとか適当に相槌を打ち、自分のデスクの整理をする。
今日もまた、あまり進展のない一日だったのだ。
いやな平和だな、と思ったりしながら慣れた椅子に座り直す。
はた、と気付く、私に向けられた視線。
いつも通りに竜崎に目を遣れば、いつも通りに彼と目が合う。
「ああ…」
「、え?」
突然の言葉に思わず眉を顰めれば、私とは反対に、竜崎は少しだけ口端を上げた。
「これもメリットだ、と今、気づきました」
「な、なんのことです…」
「この時間、ですよ」
どういうことですか、とさらに惚けることも出来たが、そうする前に、恥ずかしいという当たり前な気持ちが一番に出てきてしまった。
それに、私と竜崎、その二人の音しかきこえないこの空間で、分からない振りが出来るほど器用でもない。
言葉を無くして軽く俯く私を見て彼は満足したのか、目の端に映るその顔は、何かの勝負に勝ったかのような嬉しそうな顔。
このストレートな、それでいてちょっと掴みづらい竜崎の感情表現は、どんなにやられても慣れる気はしない。
「もふこさん」
用がありそうな声で呼ばれて視線を上げると、続いて彼の口が動いた。
「実は、あなたに言わなければいけないことがあります」
「なんですか?」随分と唐突だ。
「来週から、捜査員全員をこの建物に集めようかと思っています」
「…集める?」
もう決めていることなのですが…と前置きをしてから、竜崎は詳しく説明を始めた。
「つまり、この建物で生活をしてもらうということです」
「生活?」
「はい、今のもふこさんのように、です」
今の私のような生活を…、ここで、
「…え、全員、ですか」
「全員です」
各々の家庭があるだろうにという疑問を込めて見つめれば、その寮生活のような真似事の必要性を説かれた。
どうやら、利便性、危険性の管理、それから少しの意味での監視が含まれているらしい。
「なるほど…。竜崎の言っていることは分かりました。でも、その、他の捜査員も、みんなこの部屋に…?」
いくら広いとはいえども、それってちょっと大変なんじゃないかと心配していると、竜崎は、かえるみたいに間の抜けた顔で息を吐きだした。
「なんのために高層ビルに移動したと思っているんですか」
「高層ビル…」
確かに最近、この捜査本部は立派なビルに移設された。つまるところ、このビル内の何処かに住まわせるということか。
「いくら捜査員でも、同じ部屋で寝食を共にするのは御免です」
竜崎が絵に書いたような苦い顔をしながら、彼の前のパソコンに目を落としている。爪を噛む音もする。
少しその言葉に引っ掛かった。
「…私も、このビルの別の部屋に?」
途端に、妙に鋭い色をした彼の目が、私を刺す。
一瞬の間。
「…移りたいなら、止めませんが、」
軽く息を吸う音。
「セキュリティでは、この部屋が一番です」
「セ、セキュリティ…」
「はい。男性捜査員にはそこまで配慮はしていませんが、あなたには必要だろうと判断したまでです」
この部屋が最も厳重な警備システムですよ、と半ば自信に満ちた顔で語る竜崎。どうやら他の人の部屋には大したセキュリティはないらしい。
そりゃ世界の探偵が住む部屋の中に居座るんだから、ある種これ以上のセキュリティはないのかもしれない。でもなんか、プライバシィだとかその他諸々…なにか大事なものを同時に失うんじゃないか、と思ったが、そこはさすが常識のない竜崎だ。
真っ当なことをしたまでと言いたげな目がこちらを見つめていたが、私を見つめてから、少し揺らいだ。
「ここでは不満ですか」
「、不満だなんて」
そんなことはないです、と言いそうになって、すんでのところで飲み込んだ。
それじゃまるで、この状況を喜んでいるみたいじゃないか。
普通、これくらいの女性ならば、確実に文句の一つや二つ、出るはずだ。
それなのに…。
いくら例の"可哀想な竜崎”の雰囲気を出されたとしても、さすがに言えることじゃない。
「…今のところ、大きい問題は、特にないです」精一杯の強がりだ。竜崎には伝わらないといい。
「では、引き続き此方に住むということで」
はい、と頷く以外に、私に出来ることはなかった。
問題が無いと言ってしまった以上、大きく断れる理由もないし、なにしろここは竜崎の持ち物であるビルなのだ。部屋に空きはないだとか言われてしまえば、それでお終い。あまり関係ないかもしれないが、何であれ立場が違うのだ。
大人しく返事をしてから、何を考えてるでもなくぼーっとしていると、ふいに微かな音が聞こえた。
「助かります」
それは、ほんのわずかな、椅子でも動かしてしまえば消えてしまうような音量の声だった。
一度耳を疑って、彼の顔を見ると、彼もこちらを見ていた。
「気分転換になるんですよ」さっきよりは聞こえる音で。
「な、なにがですか」
勇気を出してそう問えば、竜崎の顔が、嬉しそうに緩んだ。
「先程言ったとおり、メリットなんですよ」
私の質問に答えるつもりはないらしい。
それは当たり前かもしれない。
案外素直らしい私のことだから、きっと既に、"なんのことかを分かっている"と顔に出ているんだろう。
やっぱり竜崎相手には何にもごまかせない私は、とても不器用だ。
けれど、こんな変なことばかり言う竜崎も竜崎で、私と同じくらい不器用なのではないかと思ってしまう。
まだ少し明るい顔をした竜崎がこちらを向いたかと思うと、立ち上がって言った。
「もう帰りましょうか」
「…はい」
いつも通りに帰る支度をする私は、なんの支度もしない竜崎よりも動きだすのが遅くて、彼は何も言わずに待っている。
そして並んで部屋を出る。
一緒に帰るだなんて、いつもやっていることなのに、先程までのいつもと違う会話のせいで、私の中では戸惑いが増えるばかりだ。
だけれども、こんなのやっぱり変だ!と主張して暴れる私よりも、素直に従ってしまう私の方が強い。
全くほんとに、これはしばらく慣れそうにない。
170410