今日は、勤務最終日です。最終日の夜。ああ、最終日。ちょっとなんだか寂しいような、そうでないような。正直言って、寂しいかな。でも、口に出しはしない。彼はきっと、にやって笑って喜ぶから。


「ああ、もふこさん」

いつものパソコンの前に座った竜崎が、思い付いたようにくるりと椅子を回してこちらを見る。

「何でしょうか?」
「私、明日からメキシコなんです」
「…知ってますよ、聞きましたもん。治安、悪そうですね」
「日本よりは、悪いかもしれません」
「ああ、だから行くんですかねえ」
「そうかもしれません」

「…なんだかいつになく曖昧だなあ。まあ、十分に気を付けてくださいね」

竜崎、肉弾戦?になったら弱そうですし。と笑ってから荷物の整理をし始めようとすると、もふこさんと私を呼ぶ声が聞こえた。

「はい?」
「…また戻るんですか、元の事務所に」


事務所とは、竜崎の元で働く為に、半年前に出てきたかつての働き先のことだ。


「そうですね、恐らくは戻ると思いま
す。他に行くところも無いので」


待遇はここより悪いし、上司は竜崎より普通の人だが竜崎ほど良い人じゃないから、戻りたいって訳じゃないけど。致し方ない。


「…寂しくなりますね」


「さみ、」



驚いた。一瞬、何を言っているのか分からない程驚いた。分からなすぎて思わず繰り返してしまった。彼がそんな、人間的なことを、まさか、自分から言うなんて。


「…寂しくないんですか?」

いつもと同じ、底が見えないような黒い黒い目が、じっと見てくる。
寂しいです、という私の返事を促してくる。


「寂しい、です。…やっぱうそです」
「ひどいです」


「…うそです、寂しいです」


ほら、この、にやっとした笑顔(と言って良いのか)。ちょっとむかつく。けど、もう見ないのかなんて思うと、何となく許してしまう。


「半年間、…結構短い間でしたけど、何かと楽しかったです。ありがとうございました」

普段はそんなに礼儀正しくやってきた訳ではないけど、最後だからお辞儀くらいする。彼はいい上司だったし。
ふいと目線を元に戻すと、竜崎が微笑んでいた。珍しく、普通の笑顔だ。どきん。私の中の何かが跳ねた。


「最期のように言わないでください」
「えっ、だって、最期じゃないですか!」
「最期じゃないです」
「…最期ですよ!だって竜崎は、また世界を飛び回るんですよね?確かに、また会えるかも知れないですけど、そんな確率は低いですもん」
「そうですね」


「…あっさりですね。そんなことないですよ、くらい言ってくれるかと思ったんですけど」

「…じゃあ、『そんなことないですよ』」
「おうむ返しされても意味無いです」

「では、また会いましょうと言うことで」
「 世 界 の L と 一般人の私が、また会える可能性があれば、ですね。楽しみにしています」
「…もふこさん、今日は随分とひねくれているんですね」
「どうもすみませんね、」


なんかまともに挨拶なんてしたら、悲しくなりそうで怖いもんで!なんて素直なこと言ったら、また勝ったような誇らしげな顔をされそうだから、言いたい言葉は飲み込んでおいた。
その代わり、ため息をついた。
それから、ふと竜崎を見ると、何か言いたそうな唇。


「…どうかしました?」



「そんなあなたがすきですけどね」



「は。 え、」
「どうしましたか」

「え、いや、いま、なんて?」
「特に何も」
「ずるっなにそれ!え?ちょっと聞き逃しましたもう一度!!」

「すきですけどね、と。……まあ、嘘です」
「ななななんですか、それ…」
「なんでしょうね、言わなきゃいけない気がしてきましたので」


「うっわ、何ですかそれ、こっぱずかしい…」
「まあ気にしないで下さい」
「何言ってるんですか、気にしない訳ないじゃないですか!」
「じゃあ、気にしてください」
「えーそれもまた反応に困る…と言うかどういう意味ですか、それ…冗談?」


「深い意味は、ないです。……うそです」
「っえー!!なんなんですかもう!」


あー!頭がこんがらがってきた!!と変な汗をかきながら叫ぶと、いつもより楽しそうな彼が、楽しそうに椅子から立ち上がって、楽しそうに近寄ってきた。


「では、最後に纏めてあげます。あなたと最期の別れを言い合うのは寂しいことだと気づきました。何故そう感じるのかは、前から気付いていました。なので、メキシコに行きましょう」


「っえ、全然纏まってません!!もっと簡潔に!!」

「図々しいですね…。良いですか、」



あいしていますから、どうか一緒にメキシコに来てくれませんか。




「、竜崎、こここれは、」


「駄目、ですか?」



「…ええと、私はどうすれば…」

「一緒に来てくれないんですか?」







「…わ、私も、メキシコに行き、たい、です」





その瞬間の、今までとは違った彼の嬉しそうな笑顔は、一生かかっても忘れることは出来ない。



嘘のパラドクス

(誠実な嘘は嫌いじゃない)


「断られても、連れていくつもりでしたけど」
「…こわいです」
20120826
Thanksalot,不在証明




 


-Suichu Moratorium-