幸せの特効薬
枕元で、いつもの小鳥の鳴き声がする。
ほとんど無意識のままそちらに手を伸ばせば、その鳥は、私の手にすりすりした。可愛いやつめ。別に飼っているわけでもないのに、こうして毎朝こいつが起こしてくれる。柔らかい幸せだ。
もう朝か、と思いながら眠い目をうっすら開けると、視界が白んだ。
窓から入ってくる日射しが眩しい。
なんでこう朝って眩しいんだろう?
「んー…、あれ、どしたの?」
軽く伸びをして窓を見れば、まだその黄色い小鳥はそこにとまっていた。いつもなら、私を起こしたら直ぐ様飛んでいっちゃうのに。しかも何故だか、忙しなく小首を傾げている。
なんでだろう。と思って、その子の目線の先、つまり私の右隣を見下ろした。
「…ぎゃわわわわ!」
黒い髪の毛が布団の隙間から出ている。なんでだ?!なんでだっけ!?と必死に考えてから、昨日のことを思い出した。
そうだった、面倒な奴を軟禁してしまったんだ。まあでも、とりあえずホラーだとか泥沼な展開じゃなくて良かったと安堵。
軽く息をついてから視線を元に戻すと、まだ不思議そうな目をした小鳥がいたので、私は隣の奴を布団から引っ張り出して、小鳥に見せてやった。
「はい、こいつは図々しい居候だよ。クロロなんとかって言うんだって」
すぐ出ていくから覚えなくていいよ〜と笑顔で言うと、納得したのかそのまま小鳥は飛んでいってしまった。やはりあの子は頭がいい。
もしかしたら私よりも良かったりして、と考えていると、引っ張り出した頭が視界の隅で、もぞりと動いた。
「ファミリーネームは覚えられないんだな」
「っうわ!!起きてたの!」
「もふこの驚いた声でな」
「…だって、びっくりしたから」
記憶力の悪さを指摘されて少し恥ずかしかったから拗ねながらそう言えば、クロロなんとかは馬鹿にしたような笑みを浮かべてから起き上がった。
「今、何時だ?」
「えーと、8時」
携帯を見て答えれば、やる気なさそうな返事が聞こえた。あんたが訊いたくせに、と思いながら私は自分の携帯を操作した。
昨日のあの五日間という数字が間違ってれば良いのに、と思って確認してみたがやっぱりそれは変わっていない。無慈悲にも果てしなく長いカウントダウンを続けている。
思わず溜息を漏らしてしまったが、落ち込んだって仕方がない。そう気を取り直して、背伸びを兼ねて私は立ち上がった。
「シャワー浴ーびよっと!あ、クロロも入りたければ貸して上げるよ仕方ないから」
仕方ないから、を強調して言ったら何故か微かに笑われた。
「ああ。借りる」
「ん。あ!でも私が先ね」
彼が頷いたのを確認して、私はバスルームに向かった。
私のバスルームには、全部で24本のシャンプーとコンディショナが対である。もちろん全部、違うやつ。集めた数字には、これといって意味はない(お気に入りを集めていたらこうなった)。
いつもはその日の気分によって使い分けているのだけれど、今はこれといった気分がない。
よし。今日は、目を瞑って触れたものを使うことにしよう!
バスルームから上がりドライヤーで髪を乾かせば、なかなか気に入っている香りがした。うん、当たり。今日はきっと、ハッピーだ。そんな予感。
少し上機嫌なことを自覚しつつ、歯を磨いてから部屋に戻った。
「出たよ。バスルーム使って」
さっきまでいたベッドにクロロの姿はなかった。
何処にいるのかと思ったら、私の仕事用の机に座って、窓の外を眺めていた。
涼やかな朝日と海風が、彼の髪を綺麗に靡かせている。
近付いていけば、振り向きもせずに声をかけられる。
「此処は、港町なのか?」
「そうだよ。たぶんね」
港町がどういう町のことなのか分からないから、適当に返す。この名前もない町に立派な"港"なんて呼ばれるものはないけど、船の往来は盛んだ。
私の部屋は、小高い丘にあるわりと新しいアパートの一室にある(もちろん今いる部屋はそのコピーの念空間だけれど)。
だから、それなりに眺めも素敵。
此処は三階だし窓の下はちょっとした崖なので直接は行けないが、眼下には小さな森林公園と、それに接するようにちょっとした店が立ち並ぶ通りがあって、その向こうに海がある。
この眺めの良さ。それに、静けさ。私はそれらが気に入ってこのアパートに住むことにしたのだ。
私はまだ外を見ているクロロをぽんと叩いた。
「ま、後であの辺に行ってみなきゃだし、その時にでも見てよ」
「あっちに行くのか?」
「そ。とりあえず、早くシャワー浴びちゃって」
シャンプーとかは適当に好きなの使って良いから!と言いながら、クロロを窓際からバスルームへと押しやってしまえば、彼は大人しく入っていった。
彼を押し込んでから、私はタンスからジーパンとシャツを引っ張りだした。この辺は比較的温暖な気候なので、このくらいでちょうどよいのだ。
寝巻きからそれらに着替え終わってからパソコンを立ち上げていると、バスルームからシャワーの音がして気が付く。
ああそうか、彼の着替えも必要なんだ。
慌ててタンスに戻って使えそうなものを探してみるも、下はジーパンかスカートがほとんどなので確実に貸せるサイズのものは見つからない。まさかスカートを穿かせる訳にもいかないから、さっきまで着ていた自分の洋服で我慢してもらおう。
シャツは、寝巻きとして活躍したこともある男物があったのでそれを着てもらうことにする。胸のところにいい笑顔のクマが小さくプリントされていたが、この際選り好みは出来ない、というよりかは、させない。
必死で選んだその一枚の洋服を脱衣所に投げ込んで、シャツだけ置いとくから!と叫ぶと、悪いな。と、くぐもった声が返ってきた。
…私ってばなんて親切!
でも、なんでだろう。
私は誰にでも優しく出来るようなできた人間じゃないのに、と考えてからクロロの顔がちらついた。
ああ、そうだ、忘れていた。私は、綺麗なもの好きなのだ。
それにもしかしたら、あいつはなかなか危険そうだから下手に刺激しない方がいいんじゃないか、と無意識で判断したのかもしれない。
なんだ。私、なかなか賢いんじゃない?
シャワーを浴びたことも相俟ってか、いつもよりすっきりした頭で机の上のパソコンに向かう。
一応は仕事仲間といえる人がいたのを思い出して、チャットで現状を伝えておくことにした。
それを終えてから適当に仕事のメールをチェックしていると、その仲間から返信。
『部屋に閉じ込めて、放っておけばいいだろ。』
それもそうか、と思った。
たしかにクロロは私の部屋から勝手に逃げ出すことは出来ないのだから、一緒にいる理由は無い…のかもしれない。
頼むから暇ならこっちに来てくれ!と言うその仲間に、それならばと快く応じようとした瞬間、自分の部屋にクロロを置いていくという映像が瞼の裏に走った。
…なんか自分の部屋に他人だけを置いていくって、気持ち悪いかも。直感がそういった。理由は良くわからないが、なんとなく嫌なのだ。自分の空間に知人とも言えない奴がいる、その感覚に私は何故だか背筋がぞわっと震えた。
大袈裟かもしれない。きっとそんなこと気にしない人もいるのだろうが、私にはどうにも耐えられそうになかった。
その気持ちのまま、仲間にごめんね五日間は大人しくしてる。とだけ送ってチャットを閉じた。
ふうと息をついてから、再びメールをチェック。それから簡単でつまらなそうな仕事を全部、一応はお詫びのつもりで、その人に送ってあげた。
「もふこ」
「わっ!」
いきなり肩越しに聞こえた声。
びっくりしてそちらを向けば、濡れた髪を拭いているクロロが私のパソコンを覗き込んでいた。
「ちょっと、見ないでよ」
案外距離が近くて驚いたが、殊の外冷静な声が出た。相手が絶だとこういう不便さがあるのか。
「仕事か?案外忙しいんだな」
「…失礼な奴」
クマさんの付いたシャツを着たその肩をぐいっと押すと、案外簡単に離れた。
そして動いた空気に混じり、知っている香りが鼻を掠める。
「あれ」
思わずクロロの頭を引き寄せてしまった。
「このシャンプー…」
「青いやつを使ったが」
「、私と同じ!」
何故だかとっても嬉しくて満面の笑みでそう言えば、少しした後に、微笑みつきで、本当だ。と返ってきた。
少しの逆光と、流れてくる風。
まだ濡れてるクロロの髪は、その香りとともに、眩しい色ときらきらした不思議な嬉しさを私に与えてくれたみたいだ。
20150319
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-Suichu Moratorium-