支配者のお遊び




お腹と背中がくっつきそうと私の胃が暴れるからどうにかしなくては、と冷蔵庫を開ければ、そこにはやっぱりあのキムチと、キムチくさそうな湿布だけがあった。その光景を見て、朝ごはんを食べようと意気込んでいた私の気持ちは、風船みたいに音をたてて萎んでしまった。だけれど、私のお腹にある脳みそを黙らせることは出来ないようで。

「しょうがない。朝ごはんは、外で食べるしかないね」
いつの間にか後ろから冷蔵庫を見ていたクロロに向き直ってそう言えば、彼の目が少し開かれる。
「外?」
「うん。あ、もしかしてクロロ、朝からキムチだけ食べられる人?タフだね」
「…そうじゃない」
「え、だって今、飯があるのに外なんかに行くのか?って感じだったでしょ」
「違う。俺も外に行けるのか、と思っただけだ」
「ああ。うーん、多分ね」
「多分?」

はっきり分からないのか?というように眉を顰めて私を見るクロロ。でも、仕方のないことじゃないかと思う。だって、今までで一度たりとも軟禁している奴なんかと外に行こうと思ったことはないんだから。
「ま、分からないけど…私の念なんだし、どうにかなるんじゃないの」
クロロの目は、とことん適当な奴だ、という色をしたまま、私を見つめていた。




「よし、お財布だけ持っていけば良いよね」
薄っぺらい財布をいつものように後ろポケットに突っ込んで、クロロと並んで玄関のドアの前に立った。出かける支度をしよう、と言ったはいいものの、ここは地元だし私は特段支度というものは必要なく、クロロとかいう居候に至っては役に立つ持ち物なんて皆無だったから、着の身着のままというやつだ。
「…で、もふこ。俺は、ここからどうすればいい」
「うー、ん」
軟禁されている奴は一人ではこの部屋から出られない。それはどの入り口を使ったとしても同じだ。そこまでは分かっていることだが、どうすれば出られるかということについては未知の領域だ。特にこれと言った案があるわけでもない。適当にやろうかと言おうとしたが、目の前の男が私に冷たい目線を送ってくるので、仕方なく脳みそをフル回転で考える。だけれど所詮、私の頭だ。素晴らしいアイデアが出てくることはない。

「じゃあ、とりあえずさ、普通に出ようとしてみてよ」
やっぱりまずはそこからだよね、と苦し紛れに知ったような顔で言ってみれば、意外にもクロロは大真面目な顔で頷いたもんだから、少し笑ってしまった。けど、下を向いてたからバレていない、はず。

ついと前に進んだ彼は、目の前のドアノブに手を伸ばした。
迷いなく、触れる。
それが見えた瞬間、大きな音。
そして、白い光。
目の前が見えなくなった、と焦った時にはもう辺りはさっきの状態に戻っていた。
ただ、そこにクロロは、いなかった。



「クロロ?!」ものの2秒くらいの出来事。
消えた?
一瞬で?
身構えていた身体を動かして慌ててドアを押し開け外廊下を見るが、誰もいない。
信じられない。
もう一度、ドアを45度開け、廊下の隅々を眺める。
それから、がちゃんと閉めた。
ドアノブを掴んだまま前屈み。
視線を足元に落とし、回らない頭で少し考える。

これを触って、消えたんだ。
変な所に飛ばされていたら、どうしよう。
私は一向に構わない、寧ろ面倒もないから好都合ではある。しかし、あいつは今、絶状態。私の頭の中では、訳の分からない"責任"の文字が軽やかに踊っている。
「ええ…うそお」


「あー…、電気が通ったような痛みだったな」
「え?!」
弾けるように振り向けば、クロロが部屋の真ん中に突っ立っていた。悠々と自分の手を眺めている。
「クロロ!なに、どういうこと?」
「もふこの念だろう。自分で分からないのか?」
あ、心配して損した。
わざとむすっとした顔を大袈裟に作って、未知の部分がたくさんあるから面白いんです!と言ってやった。








「え、じゃあ、クロロがドアに触れた瞬間に電撃、そんでもって気付いたら部屋の中だった。ってこと?」
「そうだな」
大の大人が二人して玄関口で腕組みをしながら話し合う図は、なかなか不思議な光景だけれど、そんなことに気を取られている頭の余裕はない。

「クロロ一人だと、きっと強制的に帰されるんだね」
軽く頷いた彼は、私を他所に思案顔。まあいいや。これは、私の念についての新たな発見だ。(なんたって今までは、軟禁者が逃げられるような事態になったことがないから。)よし、きちんと覚えておかなくては。こめかみをトントンと叩いて暗記しておく。
それから、なかなかやっぱり便利じゃないか、私の念。などと思いに耽っていると、はたとクロロと目があった。
「そうだ、もふこが俺を掴んでいたら良いんじゃないか?」
ぽつりと静かに聞こえたその提案が、私のなかでぱちんと弾けた。

「あ、それ、よさそう」




「い、いくよ」
「ああ」
私はクロロの右腕をむんずと掴んだまま、左にいる彼を見遣った。特に緊張した様子もなく、早くやれと目で言っているみたい。こちとらどきどきなのに、なんともまあ神経の先っぽまで図太いやつなんだ、きっと。


よし、と鼻息混じりに呟いて、そろりとノブに手をかける。
そっと六感で周りの様子を確認。
平気、まだ、なにもない。
クロロも平然。
そのまま回して、押す。
ドアはいつもの軽い金属音を響かせて、開いた。
明るい日差しが目に染みる。
異常はない。
足を出して、一歩、廊下に出た。
大丈夫だ、いける。
そう思って、もう一歩。
私は完全にもう外廊下。
今度は、左のクロロが足を出した。
また白く光るか、と思ったが、特になにもなく着地。
彼もまた、そのままするりと外廊下に出ることが出来た。

「やったやった!!クロロ、出られたよ!」
「ああ、そのようだな」
さっと後ろ手にドアを閉めて微笑んだ彼は、心なしか嬉しそうだ。そりゃそうか、痛くもないまま外に出られて、ご飯が食べられるんだから。

「念のため、腕は掴んだままでいるか」
たしかに、いま離したら、また嫌なことが起こる気がする。そうだねと軽く頷いた。

「よし!じゃあ、朝市の方まで行ってみようか。なんかねえ、美味しい朝ご飯がある喫茶店があるんだよ」
ふうんと鼻を鳴らしたクロロは、此処から見える景色を楽しんでいるみたいだ。
「あ、綺麗でしょ、こっち側はマウンテン・ビューなんだよ」
「ああ、いい眺めだな」
滑稽なくらい大袈裟に表現してみたが、彼は気にならなかったようだ。私も、ついと顔を動かしその緑の風景を眺めた。
ちょうどいい季節なことが相俟って、青々と繁る麓の森とその上の岩肌の山のコントラストが美しく決まっている。部屋の窓から見える景色もいいが、ここからの景色もなかなかだ。気持ちよさそうにしている隣を見ると、人の少ないこの町を拠点に選らんだ私の決定に、鼻高々という気分になってくる。まるで、私の手柄のように。

彼のリフレッシュは数十秒くらいですんだのか、唐突に彼はぐいと階段に向かって歩き出そうとした。が、私は慌てて掴んでいた腕を引っ張ってそれを引き止める。

「ちょっとまって!鍵、閉めないと」
クロロが止まるのを確認してからいつものように、ポケットにある鍵に手を伸ばした。瞬間だった。
ばしゅん、という聞き覚えのある音。
白い光。

ああ、やってしまった、と私が気付くのに、
四秒はかかった。


鍵を取る拍子に彼から離してしまった自分の手を呪いつつ、ゆるゆると目の前にある自分の部屋のドアを開けると、不機嫌そうな顔をしたクロロが部屋の真ん中で腕を組んでいた。

「ごめんなさい…」きっと全身が電撃まみれで痛かっただろう。
「…もふこ、もうお前は信用できないな」
「えー!そんなあ!」
「どうせ街に出ても、直ぐにオレから手を離すだろ」
その通りのことを今やってしまったから、そんなことないよ、とは口が裂けても言えない。
「だから、今度はオレが、もふこを掴んでおく」
そう言ってからクロロはこちらに来て、私の左腕を掴んだ。
それからそのまま、私に外に出るように言うので、仕方なく先程と同じように出れば、思った通り無事に出ることが出来た。

「これで安心だな」
「ええー…。でもなんかさあ、やっぱりやだよ、これ」
「なぜ?」
「掴むのはいいけど、掴まれるのって、なんかいや」
漠然とした不満を言って、私が反対の手で掴むような形で掴む方と掴まれる方の立場を変えれば、想像した通りにクロロの眉間にシワがよる。
「だが、お前に掴ませておくのは危険すぎる。いちいち此処に戻ってくるのは御免だな」
それももっともだ、と前科もちの私は悲しいことに、頷くしかできない。
再びクロロが私を掴む格好となった。

「じゃあ、どうしたらいいっていうの」
「これで我慢したらどうだ」
「えーなんか気持ち悪いんだよね、こう、自由に手が動かないところがさ」
勿論、がっつり強く握られている訳ではないのだけれども、彼の腕の重みというか、不思議な不自由さを感じる。確かめるように、ぶんぶんと自分の手を四方八方に振り回していると、迷惑そうな顔をしていたクロロが、途端に真面目な顔になってから、そうか、と呟いた。

「え?なに?良い案?」
「ほら、こうすればいい」
私の左腕を掴んでいたクロロの手が、ついと降りてきて、私の手のひらを握った。
いわゆる、手を繋ぐ、という状態。

「えーなにこれ」ちょっときもちわるーいと本音を言って、もにもに手を動かすと、それを叱るかのようにクロロの手が、私の手をきつく握った。
「これなら、片方が手を離しそうになっても大丈夫だろ」よく分からないが、意地悪く笑っている。自分が名案を思い付いたからだろうか。
「そうだけどさ、」
「仕方ないだろう」
変だよ、と言おうとしたところを制されて、もはや言い返すことが出来ない。
まあ、先程の掴まれる感覚よりかは幾分か楽な気もするから、別にこれでもいいか、と思い直すと、クロロが私の顔を覗き込んだ。
「わ、なに?」
「もう納得したのか?」
「え?別に…まあ、腕を掴まれてるよりかは良いのかなって」

あんたがそうしろって言ったんだろうと思いながらそう答えれば、もうすでに見飽きた例の顔をされる。意味は、"眠い"か、"酷いな"か、"呆れた"のどれかだろう。

「やはりお前、おかしいな」
「なんで?」
「……」
私の質問には答えもせず、彼はそのままふうと鼻息を漏らすと、行くぞと言いながら手を握って、無理矢理に私を丸ごと引っ張っていく。
慌てて足を動かしながらその背中に向かって、私は別に普通でしょと叫んでも返事はしてもらえず、代わりになのかなんなのか、繋がれた手をきつく握られた。








150907









-Suichu Moratorium-