なぜだかだなんて、わからない








この女が本当の馬鹿なのか、あるいはそれはカモフラージュであって実際は頭が切れる奴なのか、という問いには自分なりの答えが見えてきていた。
恐らく、こいつは両方だ。


もふこの持つ携帯電話で、この家の場所を特定できないかと考えて、シャルに電話したのは今朝のこと。

もふこがシャワーを浴びているときに、無防備にベッドに乗せてあったままのあいつの携帯電話を手に取りシャルに繋いで、電波から位置を割り出せないかを尋ねた。
もちろんこの状況を打破してもらうためにしたわけではない。自分でも何故なのか分からなかったが、おそらく、もふこの言っていた"蜘蛛はいない"という仮説が面白かったから、という曖昧で些細な理由だろう。突発的なものだ。自分でも詳しい分析は追い付いていない。

とにかくシャルにそう依頼したわけだが、俺が考えていたように上手くいくものではなかった。
もふこの携帯電話の向こうから聞こえてくるシャルの声は普段より困惑しているように聞こえた。

「団長がいる場所ならすぐにでも知りたいんだけど、結構強いプロテクトかかってるんだよね、この回線」
「お前でも無理か?」
「ちょっと面倒になりそうで…。うーん、団長が帰ってくる方が早いと思うな」

確かに、俺がここに閉じ込められるのは、今日を入れてあと四日。そんなに長い期間ではない。

どうにか手は尽くすよ、といって切れた電話を再び同じ位置に戻して、それから窓際まで移動し、あいつがシャワーから出てくるまで景色を見ていることにした。

不思議と、落胆の気持ちは大きくなかった。







もふこの念能力で理不尽なダメージを食らったり、頭のおかしいあいつをからかい半分で相手をしていたりするうちに、どうにか朝飯を取ることまでは出来た。


右隣に、手を繋いだままやや不機嫌に座っているもふこは、先程自分の勘違いを認識したところで、ご機嫌斜めだそうだ。顔に書いてある。

オレは、自己評価するに、そこそこ機嫌がよかった。
今いる喫茶店に興味深い本があった、ということもあるし、ここのマスタのサンドイッチが殊の外美味しかったから、という理由もある。
それに今は、目の前に最高の見世物もある。

「おいもふこ、ひどい顔だぞ」
この店の前を時たま通り過ぎる人たちの、好奇の目。その視線を浴びる度に覇気がなくなっていく彼女。
「だめ、もう逃げ出したい」
「へえ。案外、根性がないんだな」
のろのろ、と恐らく睨むつもりで俺に焦点を合わせた目だが、やはり気迫は感じられない。

「クロロには分からないんだよ、こういう小さな街での噂の威力ってものを」
「そうだろうな。俺はそういう目に遇ったことがない」
「えー?…そうは言っても、こういう煩わしい噂の中心になったことくらいあるでしょう?ほら、子供の時とかさあ。それに似た感じ」
「いや、その経験もないな」
「…ほんとに?」
黙って頷くと、それって幸いっていうか不幸っていうかさ、と彼女は眉を下げて口端を上げた。言いたい意味は、わからないでもない。
だが生憎、俺はそんなことで幸福も不幸も感じていないから、特に気にする言葉でもなかった。

読みかけだった本を閉じ、テーブルに置いてから皿の上のサンドイッチを手に取る。
既にそれを食べ終わったらしいもふこは、なんにも考えてなさそうな顔でコーヒーを飲んでいる。
「此処によく来るって言ったな」
「え、ああ。そうだよ」
「本が好きなのか?」
「うん、ジャンルは片寄っちゃうけど、本を読むのは好き」
そう言えば、このカフェにも幅広い種類の本が並んでいた。その中でどういうものを好んでいるのか、ということも気になったが、訊きたいのはそれではない。

「昨日、ある本が欲しかったが、先に蜘蛛に盗まれたって言ってたよな、どんな本なんだ?」
もふこは、何で知りたいの、と顔を顰めて見せてから、コーヒーカップをテーブルに置いた。
「ん、待って、蜘蛛?蜘蛛ってなに?」
恐らくこいつは、そこまでアンダ・グラウンドな活動をしていないのだろう。"旅団なんてない"と思うのも当たり前か。
「"蜘蛛"は、幻影旅団の通称、みたいなものだな」
「え、通称?そんなものあるの。初めて聞いた…クロロ、詳しいんだね!で、なんだっけ。私が欲しかった本?」
目で頷いて見せてから、再びサンドイッチを齧る。
三秒ほど彼女は考えるように瞳を上に上げてから、俺を見据えた。

「私ね、お金が好きなの」
「は?」
「だから、お金。金属のゴールドじゃないよ、硬貨とか、紙幣とか。そう、貨幣のことね」

瞬時に考えてみたが、思考が繋がらない。
「……金が好きだなんて、案外俗っぽいんだな」
「あ、違うよ。お金の価値なんてどうでもいいの。あの感触とか、美しさとか、そういう物質としてのお金が好きなわけ!あのただの金属の塊に細かい模様があってしかもそれが手のひらサイズ!とか、紙のざらざら感とかにおいとか、たまらないでしょ」

なるほど、もふこの頭がおかしいということは、改めて理解した。
しかし、分からない。
それと俺が訊ねた本について、なんの関係が?
そう疑問に思ったことを素直に顔に出してやれば、彼女は分かっていると言いたげに、大袈裟に頷いてみせた。

「昨日はいきなり過ぎて言いそびれちゃったから今言ったけど、私、お金が好きだから、お金にまつわるものを集めたりしてるわけ。コレクタって言うのかな。で、その本っていうのが・・」

そこでわざとらしく切れた言葉に、もふこを睨んだまま首を少し傾げる。
彼女は、なにが楽しいのか、"聞いて驚くなかれ"とでも言いそうな得意気な顔で声をひそめて続けた。
「…ある地域の、中世の紙幣と同じ材質の紙で作られた本、なんだよ…!」
「………」

あまりにもどうでもよくて、彼女を半目で見ながら思わず背凭れに勢いをつけて寄りかかってしまった。

「しかもその紙幣そのものも、現存してる枚数はとても少ないやつなの!ね、凄いでしょ欲しいでしょ!」
分野外だな、と呟いてから、そう捲し立てるもふこを適当にあしらうと、想像通りのつまらなそうな顔をされる。
「クロロには分からないの?この凄さが、ロマンが!」
「悪いが、そんな紙に芸術的な価値を感じたことはない」
「うわ、絶対人生損してる」
「そんなわけないだろ」
「だって全ページあの最高な紙なんだよ?ああ、絶対手に入れたかった」

ちらりと彼女を見遣れば、ふてくされたような顔でコーヒーカップの底を眺めている。
「…過去形、か」
「だって…見つからないから。きっと、なにかの事故でなくなっちゃったんだよ」
可笑しくなって、自然と口端が上がる。
「"蜘蛛はいない"、からな」
「そう」
あっさりと何でもないように答えたもふこはやはり、本気でそう思っているらしい。だからといって、それを否定するつもりも肯定するつもりもないオレは、彼女の手を握り直して、手元の本を持って、席を立った。




喫茶店の会計が済むと、何故かさっきより機嫌の良さそうなもふこが俺の手を引いていた。
「朝市に行くよ」
こんな小さな田舎町に、市場なんてものがあるのかと疑問に思ったが、引っ張られていく右手に従って歩いていくと、少し開けた広場のような道に、屋台のような形で何軒か、確かに青空市のようなものが開かれていた。
魚や青果などが目立つ。どうやら生鮮食品を中心に置いてあるらしい。

「あ、そうか」
ふいに聞こえてきた独り言に、ちらとそちらを見ると、何やら納得顔のもふこ。
「どうした」
「先に、洋服とか買わないとだよね」
「洋服?」
なんとはなしに、少し珍しいこの市場の風景を眺めながらそう返すと、こちらを責めるような視線が横顔に刺さる。
「…ずっと私のクマTシャツでいるつもり?」
「…ああ、もしかして、俺に必要なものを買う、って言ってるのか?」
親切過ぎるその提案に半ば驚いて再び彼女に目を向けると、呆れたような顔をしたまま、手を引いて歩きだした。


街を歩くもふこは、先程の喫茶店の様子とは打って変わって、周囲の好奇の目にも動じない様で、陽気に先を急いでいる。
全くもって、こいつの思考回路が理解できない、となんとなく嘆息した。
例えば、家を出た時の、手を繋ぐという解決法についての反応もそうだ。
一応は”いやだ”と言っておきながら、少しすれば”まあいっか”の一言で片づけていそうなあの意識の変わり具合。今の状況も同じようで、きっとあの頭の中で何らかの処理がされて、”まあいっか”という杜撰な解決に至ったのだろう。自分にはそれくらいしか予想ができないが、あの嫌でたまらないといった彼女の様子がもう見られないというのも、少しつまらない気がした。







とりあえずは日用品で絶対に必要なものだけ買おうね、と隣のもふこは一人張り切っている。
引っ張られて行った先は、大きな店舗。カジュアル・ウェアの量販店だった。
自動ドアを抜け、彼女が店の買い物かごをオレに押し付ける。
「はい、自分で持つ」
特に反論は無いため、何も言わずにそのままそれを受け取る。

「なるべく急いで、要るものだけ買ってよ」
再び強調された”要るものだけ”という表現。どうやらこいつは、そんなに金が余っているわけではないようだ。そこそこ腕が立ちそうな盗賊のくせに、と一瞬思ったが、先ほどの、貨幣が好きという話を思い出し、まさか好きだから使えないということはないだろうと、ふと考え付いたことを頭の中で打ち消した。

それにしても、珍しい光景だった。
この場所自体は全くもって、当たり前の日常にありふれているものだろう。どこにでもありそうな店だ。ただそういうことではなく、こういう場所に自分がいるというのが、蜘蛛が存在することよりも有り得ない、珍しいことなのだ。
それを意識してしまうから、ふいに気を抜きでもしたら口端があがりそうになるが、どうにかコントロールをして抑える。

とにかく、暇そうに横で辺りを眺めているもふこの気が変わらないうちに、適当に着れそうなものをかごに突っ込んでいくことにした。




「…ねえこれ全部ほんとに要るの?」
「ああ」
「上下5枚ずつって…いや、靴下はそんなにいらないでしょ!」
「ある分には困らないだろ」
「私が困る!」

故意に若干多めの洋服をかごに入れ、彼女に渡せば、思った通りの非難めいた嫌そうな顔をした。
しかし、こっちが真面目な顔で「これぐらいは要るんだ」という意思表示をすれば、彼女は思ったよりも早く、仕方がないというように眉を下げた。
「ほんとにさ…それ癖?無意識の無駄使いって問題あると思うよ」
意識的だから問題はない、と言える訳はないから、適当に肩を竦めてみせた。何かの意味には捉えられるかもしれない。

そのまま会計を済ますと、思ったより大きく膨らんだ袋を押し付けられた。
「はい、浪費家さん。大切にするように」
「悪いな」
片方の手でそれを持つと、繋いだ方の手に僅かに圧力を感じた。目だけで斜め下にあるもふこの顔を見ると、予想外に親しげな笑みがそこにあった。

「次はスーパーに行こうか。何か欲しいものあるでしょ?」
その表情にも言葉にも驚いて、思わず素直に目を大きく開いてしまった。そして薄々感じていた疑問も、素直に口にしてしまった。

「…親切過ぎやしないか?」
オレの唐突な質問を不思議に思ったのか、それとも自分でも疑問を感じたのか、彼女は少し苦笑をした。
「私もそう思った」
「答えは?」
「さあ…強いて言えば、私の美的センスのせい、もしくは私なりのエマージェンシィ・モードかな」

オレには全くトレースできない言葉を口にし、意味が分からない眩しいくらいの笑顔を向けているもふこ。
その理由は、なんとなくではあるが、検討がついた。が、彼女に対してオレは、自分なりの推測をぶつけることはせず、自然に上がった口端を元に戻す努力もせず、この街の海風に似合うような青く澄んだ気持ちでもふこの疲れた左手を握り直すことだけに力を使ったのだった。




160728










-Suichu Moratorium-