私と一緒についてきて
ああ、荷物が重い!
涼やかな海風が暖かくなってきた昼下がり、私はその言葉を何回か胸の内で叫んでいた。
たぶん、何回かは口に出した。
もう感覚も曖昧でその覚えがないが、無意識に言っていたんだと思う。
隣の愛想のない目が、たまに批難めいた色を滲ませて、私を見ているから。
日差しは弱くもなく強くもなく、湿度は低め、たまにオリーブの香りでもしそうな爽やかな風。
こんなに気持ちの良い昼だということに気付く度に、それを無駄遣いされているのを改めて感じる。
ただでさえ普通じゃない状況にある私は今、手を繋いだまま買い物だなんて本当に馬鹿みたいなことをしている真っ最中だ。
なんて非効率。それでもって最悪。
先程、いつもの市場で色鮮やかな野菜と少しの魚と肉と卵を買おうとした。だけどこれからちょっとした用事があるから痛みやすいものはやめて、他に食べたいものを眺めていたところ、私の目線の先のものを次々と指差していく見知った片腕。
気が付いたらとんでもない量の缶詰やパン、お菓子なんかを買わされてしまっていたのだ。(それがほんとうに食べたかったものだったかどうかは問題じゃない。)
そのうえ、手を繋がないと勝手に消えてしまう奴がいるせいで、持てる袋の数は非力な子供並に少ないし、その格好ったら恥ずかしくってたまらない。
そんな姿を見た人からは、そこまでして手を繋ぎたいか!なんていうふうに思われることは必至だ。
改めて両腕に力を入れ直してみると、思考は一気に現実に戻ってきた。
「ねえクロロ、もう手が疲れたよね」
「いや」
「クロロも、直ぐにでもお家帰りたいでしょ」
「まだ街を見ていたいな」
さり気なく、手を離して私の家に瞬間移動してしまえば、と誘ってみたのにあえなく失敗。
こちらの思惑を知っての上での返事らしく、心なしか笑っている様に見えるのも腹立たしい。
まったくもう、と呟きそうになって止めた。
そう、出来る限り、こういうことは今後避けよう。
しかし今はどうしたものか。
湿った手のひらが滑りそうだななんて最悪なことを考えていた私の頭の片隅に、あ、という一瞬の閃光。
それはもう、とてつもなく良い考え。
実行あるのみだ、と暢気な横顔を見せてる隣を見上げてから力を込めた。
「よっ!」
ばっ!と、クロロと繋がれた手を力一杯にぶん回す。
が、しかし離れない手。
睨むような目。
「…あは」
「なんのつもりだ」視線が刺さるとは、まさにこのこと。
「そう…その、やっぱりクロロだけ先に、荷物持って帰ってもらおうかと思って」
本当は、重い荷物と私の貯金を食い潰そうとする悪いやつという問題二つを一気に片付けるつもりだったけれど、そんなことを悟られないように、慌てて、悪気はないんだよと付け足してみたが、私を批難する視線は一向に弱まらない。
まあ確かに彼だって、痛いことは嫌か。可哀想だし今回は免じてあげようか。
ということで、B案だ。
「じゃあしょうがない。クロロ、荷物かして」
「お前も持ってるだろ」
「いいから!」
ぐいとそれを奪って、私が全部の荷物を持つ。
それから人目のない路地裏に移動し、荷物を持つ片手だけを地面につけた。
ぐしゃりという袋の中身と地面がぶつかる音。
それから、ぼわん、という何とも云えない空気が歪む音。
その音と同時に、アスファルトに身を任せていた荷物たちが、思い出したかのように下方へ落ちた。
それから直ぐにその重さを取り戻し、私の腕を思いきりしならせるから多少痛みを感じる。
私の片腕だけは、念空間である私の部屋の天井に繋がったのだ。
今や、宙ぶらりんになっているその袋はやっぱりとても重くて、なんの躊躇いもなくそのまま手をパーにすれば、無事に荷物を部屋に送り届けることに成功した。
中に入ってるものも、恐らく無事だと思う。(心配することがあるとしたら、家のフローリングだ。)
一仕事終えたぞ、と息のかたまりを短く吐いてから目線を戻すと、一緒にしゃがみこんでいたクロロと同じ高さで目があった。
「地味だが便利なものだな」
「なんにでも使えるんだから」
貶されてるような気もしたが、本気で感心したような羨むような目だったから、ちょっとだけ自慢をしておいた。
よいしょと立ち上がってから彼の手を引っ張れば、億劫そうに動きだす。
「どこかに行くのか?」
そうゆっくりと訊いた目は私を見ずに、細い路地の向こうや後ろを見ている。地形でも把握したそうな観察の仕方だ。癖なのかもしれない。
「家にいてもやることないから、その辺ぶらっと」
視線で方向を示せば、何も言わずに片腕を引かれる。せっかちなのかもしれない。
その動きに、一気に軽くなった身体は、流れるようについていってしまう。
私にとって見慣れた小さな街でも、自分の意思で動かないで見るそれは、やっぱりなんとなく新鮮だ。
思いもしない方向に行くなあと思いながら連れ回されていると、街の端、海に面した丘にある公園に出ていた。
公園といっても、他の道よりも幅と樹が少しあるのと、海に向いたベンチが三つほどあるだけの小規模なものだ。遊具なんてものはないし、塀のような囲いもない。
だからか来る人もほとんどいない場所だけれど、実は、朝焼けや夕焼けがとても綺麗に見えるところだったりする。
日は傾いてはいるが、まだ夕焼けになる時間でもなく、昼間の青さが眩しい。
「本当に、絵のような街だ」
「…絵のような?」
ぽつりと聞こえた言葉に首を傾げながらクロロを見ると、瞳だけでこちらを見ていた。
「閉ざしているだけはあるな」
その言葉を聞いて、私は少なからず驚いた。
「この街を知ってるの?」
「いや。ただ、街の様子が普通とは違うしな」
"普通とは違う。"
その言葉は、私を考えこませるには十分なチカラを持っていた。
私の大好きなこの街のことを知っている人は、実のところ、世界中探しても、ほんとうに数えられるくらいの数しかいない。
"普通"の街では、まったく有り得ないことだ。
何故そんなことになっているかというと、いくつか理由がある。まず、この街が、自然保護とかそういった類の"環境保全"を謳った、非観光地化の風習の名残を色濃く残していて排他的だし、辺鄙な所にある上、ほとんどといっていいほどアクセス手段がないから。
それに加えて、此処が見た通りに美しい"秘境"というわけだから、外部の人間には教えたくないという俗っぽい理由もあるらしい。
そんな理由たちのおかげで、この土地は類を見ないほどに閉鎖的で、全く他の地域との関係を作らない習慣が根付いてしまっているのだ。
それなのに、どこから閉ざしているということを察したのか。いまの私には考えても分からないが、この男がただ者でないことは知っている。
それにきっと、住んでいる私は慣れきってしまっていて、外部の人からじゃないと分からないこともあるんだろう。
そう一人で納得。
それからの私は、何を言うでもなく、ひとり青く凪いだ海を遠く見ているクロロを横に感じていた。
○
「ちょっと来て」
耳元でそう聞こえたと思った瞬間、強い力を腕に感じてから私は、旧友とふたりきりで向かい合って立っているという状況にいた。
場所はどこにでもある路地裏で、少し薄暗い。
まだ暗さに慣れない目はあまり働かないらしい。
彼女がどんな表情をしているのか、よく分からなかった。
そろそろ日が傾いてきて、太陽も橙色味を帯びてきたなあとクロロというやつと不本意ながら二人で、やたらのんびりベンチに座っていた。
なんとなくゆったりと夕焼けを楽しめていた私だったが、ある一回の瞬きをした間にハンター仲間の一人に連れ去られてしまっていたのだった。
そう、私一人だけが。
「…わっ、待って!」
ようやく我に返ってから、まだ自分以外の体温の残る手を見ても、そこにあるのは普段よりも少し疲れて重くなっている私の手。
それだけだ。
私のその必死な喚きも、目の前の旧友にはなんの意味かも分からないはず。
「大丈夫?もふこ?」
「ああ、うん。そうだね、なんでもないよ」
軽く肩を揺すられて、飛んでいた思考がこちらに帰ってきた。
目の前にいるのは、確かに今日会う約束をしていた人だった。
たまに仕事をしている仲間の一人の、スピード馬鹿な女の子だ。なにかと自分の素早さを使って、可愛らしい我儘を見せてくる人で、たまにプライベートでも付き合いをしている。
今回呼びだされたのもどうやらその一端らしい。
たしか待ち合わせ時刻はもっと遅いはずだ。なのに偶然、知らない人と二人でいた私を見つけて、我慢できずに引き剥がして連れてきた。なかなか強引なやり方だけれども、それもいつものことだ。
彼女はようやくいつもどおりに戻った私を見て安心したのか、煉瓦の家の壁に寄りかかりながら、今の仕事の話を始めた。
仕事といっても、相談事がほとんど。
以前に一度だけ、私がなにやら価値のあるアドバイスをしてしまったらしく、それ以降、やたらめったらに相談事を聞くことになってしまっているのだ。
今日は私に出来ることはなさそうだということを告げても、彼女は私を解放しなかった。
「そういえば…今、大変なやつを入れてるんだって?」
私が軟禁しているやつを、少ない仕事仲間たちは揃ってそう呼ぶ。
「まあ、そうだね。明らかに私よりすごい人でさ」
具体的に何か困っているわけじゃないんだけどね、と伝えると、そんなことお構いなしとばかりに彼女は嬉しそうにし手を差し出した。
「じゃあ、これ。使ってみて」
その手に乗っていたものは、様々なトーンの赤色の紐を纏めて作ったミサンガだった。それも一組。
「…なに、このアクセサリ」
「これは念の力が入った護身グッズ!相手に敵意があるときは、これをしておけば、痺れて教えてくれるの」
対象者と自分に付けるものらしい。
念が入っている感じはするが、それが果たしてプラスの効果なのか。なんだか怪しいものだなあと思いながらも、余りにも彼女が使ってほしそうにしているので、お礼を言って受け取った。
でももし本当にそういうものであれば、確かに便利だ。
何を考えているか分かりづらいクロロのことを思い浮かべる。
きっと不可解な痛みで、機嫌を損ねているだろうその背中を想像するのは、少し楽しかった。
170820
<
-Suichu Moratorium-