家族が増えましたなんて言葉と幸せ百パーセントの家族写真、そしてクソほどハッシュタグを付けて友人はSNS越しに出産報告をしていた。その記事を発見したとき私は着替えている最中で、ストン、とホックをはずしたスーツのパンツを床に落としてしまった。シャツにパンツにストッキングなんて間抜けも間抜けな格好でしばらくボーっとしたあとスマホをベッドに投げつけた。丁度一週間前の出来事だ。多分私はあのとき感じた敗北感とスースーした下半身を一生忘れないだろう。それほどに、惨めだった。



「おしめ一年分とか買えないかな」



カートに体重をかけて押しながら振り向かずに言うと後ろから「そりゃ喜ばれるな」とだるそうな返事が返ってきた。ちらりと後ろを見ればちひろがたくさんかけてあるベビー服のタグを見ながらあくびをしている。何を確認してるのか聞こうとした瞬間ちひろはタグを服の中に戻してしまった。タイミング悪ぅ・・・なんて思いながらもめんどくさいから深くは追求せずに私はまた前を向いてカートに体重をかける。そしたらカートが私の体重を受け止めきれず前輪が浮いてガシャンと結構でかい音をたてたけど後ろからのリアクションは特に無い。つまんね、心の中で呟いた。

今日私とちひろは一週間前に無事家族を増やした友人への出産祝いを買いに来ていた。ちなみに私とちひろと友人は高校時代からの付き合いで、ほぼ腐れ縁に近い。私と友人が就職した照明会社は主にアーティストのライブで仕事をすることが多く、ちひろのバンドが所属している事務所とは契約を結んでいるので職場でも三人しょっちゅう顔を合わせていた。まあ、それも友人がデキ婚で会社を辞めるまでの話だけど。

昔から三人の中で結婚一番乗りしそうな人ランキング不動の一位だった私をダントツ最下位の友人が華麗に抜いていったのはちひろ共々ただただ愕然とするしかなかった。相手を紹介してもらったときに二人で何度も確認したし詐欺じゃないかと疑ったしエイプリールフールにしては悪質な嘘じゃないかと真剣に言ったら今何月だと思ってんだよとエコー写真と共に返されて私もちひろも何も言えなくなった。お相手は立派な立派な会社勤めのサラリーマン。デキ婚なんかしなさそうな落ち着いた茶色の癖毛が印象的な人だった。だから、信じられなかった。私と同い年の彼女が、女の幸せというものを軽がる手に入れてしまうことを、信じたくなかった。



「社会的カースト最下位に叩き落された気分だわ」

「不動の結婚一番乗りしそうな人から?」

「そう」



実際の値段より十倍は安く見えるクマさんがプリントしてあるスタイを元の場所に戻しながら薄くため息をつく。そんな私の隣でちひろはやっぱりタグをめくって眺めては服の中に戻していた。



「何確認してんの」

「国産かそうじゃないか」

「デリケートぉ」

「母親はそういうの気にするんですぅ」

「どこ目線よ」

「サンキュー知恵袋」



スマホで検索検索ぅ、ってことか。にしてはいい情報の一つも持ってこない男である。まあ、たぶんあの友人と世の中の声を照らし合わせたところでいい情報なんてなかったんだろう。結婚一番乗りランキング万年ダントツ最下位の彼女だから、余計に見つからないんだと思う。

私からカートを押す役目を代わったちひろが空っぽのかごしか乗っていないカートを小さく押したり引いたりを繰り返しながら喉で唸った。その声にたくましい首筋へ思わず視線が向いてしまって地味に動く喉仏をぼんやり眺める。出産祝い。出産。子供、かぁ。私、同い年なのに婚約者どころか彼氏の一人もいない。本当に社会の底辺の人間になった気分だ。今、ものすごくいやな気分。人間が生まれたことへのお祝いを買いに来るには適していない、そんな気分だ。



「あ、ベビーカーはどう、よ・・・」



ひらめいた!と言いたげな顔で私のほうを見たちひろの自信満々な声がしぼんでいく。カートを押す手を止めて、ふぅ、と呆れたように肩を動かしてため息を漏らす。長い付き合いだ。私の顔を見ただけでたぶんちひろはなんでも分かってしまう。私が今ものすごくいやな気分だってことぐらいお見通しだろう。いや、もしかしたら誰が見ても分かりやすいぐらい変な顔をしているのかもしれない。ベビー用品が売られているここは幸せだけしか溢れちゃいけないような場所だから、ものすごく浮いて見えてるのかもしれない。



「コーヒーでも飲み行く?今ならちーちゃんプライス三百円」

「がっつり取る気だな。奢るぐらい言え」

「アイスとスコーンも付けてやろう」

「・・・私今小銭ないよ」

「仕方ねーなぁ、奢ってやるよ」



意地悪そうに、でも優しく笑ってちひろはカート片付けてきて、と私に押し付けてきた。小さい男!なんて憎まれ口を叩きながらも私は分かりやすく元気になって笑うのだった。




窓を開けてエンジンを切った車の中にコーヒーのほろ苦い香りが広がる。私は自分のカフェオレはドリンクホルダーへ置いて小さなスプーンでちまちまアイスを食べていた。運転席のシートを後ろに下げてちひろはボーっと窓の外を眺めながらコーヒーを飲んでいる。音楽もかけていない車の中はそこそこ静かだ。ベビー用品で溢れかえった店より、居心地がいい。

私がアイスを食べ終わって、ちひろがコーヒーを飲んでしまったら終わり。今日は解散。それまでどっちも口を開かないし、ちひろは普通に私を家まで送ってくれるし、私は家に帰ったらちひろにラインをして飲みに誘う。これでいい。これがいい。日常だ。私のよくある日常。そこへ早く戻りたい。

とろりと溶けたアイスをスプーンいっぱいに掬ったとき、ふいにちひろの唇が動くのが視界に入った。



「焦る?」



一瞬空気が止まって、スプーンからアイスが手の甲に落ちた瞬間我に返った私は慌ててスプーンを口に押し込んだ。落ちたアイスはゆっくり手の甲を滑っていって、慌ててティッシュを取ろうとバッグを手繰り寄せようとしたらアイスがこぼれた手をちひろに掴まれる。そしてアイスはちひろの熱い唇が奪っていった。



「じゃあ俺と作っちゃえばいいじゃん」



飲み込んだアイスがどろどろと喉を焼いていく。冗談、とも笑えないちひろの顔に、手の甲の熱に、思わずかみ締めたプラスチックのスプーンがガリッと音を立てた。