女性スタッフがそれぞれ紙袋を持って現場にいる男性陣に義理チョコを配るこの季節、私も例にもれず紙袋の中に大量のチョコレートを準備してバレンタイン当日を迎えていた。荷物がかさばるとかお金がかかるとか愚痴はまあそこそこ出てくるけど、それでも一応普段の感謝の気持ちを伝えられるイベントなので参加しないわけにはいかない。社会人になればバレンタインだって恋人や好きな人にチョコを贈る胸がときめく甘いイベントだけではなくなってくるのだ。


 ・・・ちょっと前までは。



「これ、いつもありがとうございます〜」



 先輩が紙袋をとって中を配りだしたのを合図にその他女性スタッフもガサゴソとそれぞれ準備したチョコレートを取り出した。そして手が空いてる男性陣にバラバラと配っていく。手渡されていくチョコの包装から見るにたぶん私が準備したものも浮くほど安物には見えなかった。正直今年は去年準備したものよりも義理チョコのランクが下がっている。ばれなければいいけど、と思いながら一番近くにいた松田さんに「いつもありがとうございます」とにっこり笑って茶色の包装紙に金色のリボンが結んであるチョコレートを手渡した。



「おー、毎年どうもぉ」



 毎年のことなのに毎年同じように喜んでくれる顔を見れるのは嬉しい。



「毎年お返し考えんのが難しいんだよ」



 すでに三つも受け取っていた岡峰さんにも手渡すと困ったように眉を下げて笑いながらソファの背もたれに体を倒す。



「嬉しいくせにぃ」



 最後の一つが岡峰さん宛だったらしい先輩が重なっている箱の上に自分の分を重ねて言った。ちなみに先輩と岡峰さんは地元が同じで出身校が隣同士だったらしく、顔見知りだったことから一番仲がいい。だけど扱いは同じらしく重ねられたチョコの箱はほかの人の手にも渡っているものと同じだった。

 毎年マメだねぇ、だとか、ありがとう、とかいう言葉が飛び交う中、私は紙袋の下に隠していた箱を持ってそっとスタジオを出る。その場にいなかった一人を探して廊下を歩いているとふわりとコーヒーの香りがした。少しだけ薄暗い廊下で爛々と光る自販機の前、山田さんはポケットに入れていた手を出して紙コップに手を伸ばしているところだった。



「山田さん」



 大きくなりすぎないように慎重に声のボリュームを調整しながら名前を呼ぶとなめらかな動きで影が振り向く。パーマがあてられた髪を全部一つに束ねた山田さんはその視界に私を収めると少し驚いたのか小さく目を開いたあとにっこり笑った。



「どしたの」



 そう言って紙コップに唇を寄せる山田さんは私の手元にある箱には気づいてないらしい。無意識にその手を背中に隠そうとした自分の腕に力を込めておなかの前に固定する。さっきまではどうもなかった心臓が山田さんを意識した瞬間からドクドクと痛むほど暴れていて、遠い十代のころの自分と重なった。あの時手の中にあったのは少し崩れたクッキーだったけど、今あるのは高級チョコだ。年を取ったな、ふっと吐いた息が熱かった。



「いや、その」



 ほかの人に渡すときみたいに気軽に、と考えながら紙袋の下に隠していたはずなのに手元にあるチョコはあまりにも重すぎる。このチョコを買った時から頭の中で練習はした。たくさんした。だから大丈夫だと思っていたのに全然大丈夫じゃない。少しも大丈夫じゃない。指先がピクリとも動かない。もう子供じゃないんだから、告白をするわけでもないんだから、ただ渡すだけなんだから、考えれば考えるほど鼓膜の裏側がドクドクと脈を打ってうるさい。



「・・・どしたの?」



 腕を伸ばせ!!!


 山田さんが近づいてきて顔を覗き込まれる前に私は腕を前に勢いよく伸ばした。あまりにも勢いよく伸ばしたせいで肘が少し変な音を立てたけど今は深く考えられない。ついでに言わなきゃいけない言葉も忘れて出てこない。



「・・・俺に?」



 少し重たくなっていた先端が軽くなって箱がゆっくり手から離れていく。



「はい!」



 思いのほか響いた自分の声に驚いて口を閉じて、やっと山田さんのほうを見ると山田さんは受け取ったチョコをまじまじと眺めていた。その表情は少なくとも困ってたり迷惑そうだったりしていなくて、ほっと息をつく。迷惑になってないならそれでいい。渡せてよかった。まだ耳の奥はドクドク鳴ってうるさいけどしばらくすれば落ち着くだろう。今更痛み出した肘を撫でながら「それじゃあ」と言おうとした瞬間、私の口は固まった。



「こうやって特別に貰うの久しぶりだから、なんかドキドキすんな」



 ちょっと照れたように笑った山田さんはコーヒーを一口飲むと香りを引き連れて一歩私に近づく。



「ありがと」



 のどが張り付いてしまったように声が出ない私に山田さんは笑顔と一緒にとどめをさすのだった。



「大事に食うな」



まだ春の鼓動を知らない



「お返し考えねぇとなぁ・・・」



 コーヒーカップを傾けながら通り過ぎる山田さんはぽつりとつぶやいたあと、口元を少しだけにやけさせてスタジオへと戻っていった。



title by 星食