最近連絡をくれないなと思っていた彼氏から電話が来たのは午後三時。それからちひろに連絡をしたのは午後五時。そして今は午後八時。私は高校生がバカ騒ぎしている公園のジャングルジムの上にいる。何度か声をかけられたもののシカトしていたら口汚く罵られたけど所詮高校生のボキャブラリー、私が傷つくような言葉は一つも出てこなかった。というか、今の私なら何を言われても傷つかない。新しい傷がつかないほど大きな傷が出来ているから。
責任を取ってくれと言われた。結婚をしろと。彼女は別に妊娠していないのに、一夜の過ちだけで自分の一生の責任を取れと言ったという。呆れた。そんな女がいるのかと。もう一つ呆れたのは、本当にその責任を取るので別れてくださいと言ってきた彼だ。許す準備をしていたのに、向こうから別れを突き付けてくるとはどういう神経をしているんだろうか。ここ数か月、なんとなく嫌な雰囲気は漂っていたものの、まさかこんな形でぶつかってくるとは思わなかった。男の過ちを許す心の広い女にもさせてくれないなんてひどすぎるんじゃないだろうか。
そりゃあ好きだった。大好きだった。結婚も見据えてた。彼だってそう思ってくれていると、信じてた。だけど結局それは私一人の考えで向こうはどうやらうんざりしていたようだ。別に何か変わったわけじゃない。変わったのだとしたらそれは私じゃなくて間違いなく彼だ。なのに私が全て悪いんだという空気は何なんだろう。私、何も悪くないよ。
空を見上げると風で流された雲の隙間から星が見える。なんだか黒いカーペットに散らばったほこりみたいだった。
帰りたくないけど帰らないといけない。明日は朝一で会議がある。遅刻は許されない。だけど、どうだろう。すべてをすっぽかしてそのまま海へ身を投げるのも悪くはないかもしれない。
「なまえ!!」
さっき電話で聞いた声が聞こえる。来るって思ってた。分かってた。どこに行くかは言ってないけどちひろなら分かってくれると信じてた。だからとても嬉しい。嬉しいはずなのに泣けてくるのはなんでだろう。
「ほら、帰るぞ」
ジャングルジムのすごく近く、首をほぼ真上にあげないといけないぐらいの位置でそう言ったちひろが伸ばした手を私は避ける。宙で空振りをした手をびっくりした目で見つめるちひろに私は言いたくない言葉を吐く。
「もう、無理だよ。終わりにしたい」
私が何を終わりにしたいのか、ものすごいスピードで察したちひろがばっと両手を広げた。一歩後ずさってジャングルジムと距離を取ると深く呼吸をする。
「こい!!!」
ちひろの大声なんていつぶりに聞いただろう。最後に聞いたのは確か彼氏に怒ってる時だった気がする。
「俺が受け止めてやる!」
泣いてるのは私なのになぜか自分も泣きそうな顔になっていることにちひろは気づいてないだろう。唇はちょっと震えてるのに私に向けて伸ばす腕はしっかりしているんだから、笑えちゃうぐらいちひろの気持ちが伝わってくる。
恐怖はなかった。ジャングルジムってそこそこな高さがあるから立ち上がるだけでも結構怖いと思ってたけど、下でちひろが待ってくれていると思ったら自然と飛び降りていた。そんな私を見事に抱き捕まえたちひろは少し呻きながらも倒れこむことなくその場で立ち止まる。
「あんな、おとこ、わすっ」
いいことを言うタイミングで私を抱きとめた衝撃が遅れてやってきたのか思いっきりむせたちひろの肩を叩く。あんな男、忘れろよとか言いたかったんだろう。今は忘れられないけど忘れる予定ではあるし、ちひろが忘れさせてくれるのを待っている私もいる。
「忘れさせて」
呟いた瞬間、さっきまで静かだったはずなのに急に冷やかしの声がいたるところから聞こえてきた。ああ、すっかり忘れてた。そういえばここで高校生が騒いでて、私は罵られさえしたんだっけ。いい雰囲気が台無しだ。思うことは一緒だったのか怪訝そうな顔をしたちひろが私の腕を掴んで歩き出す。黙ってついていく私の背中にはいつまでも冷やかす高校生の声が離れなかった。
「くそガキ共め・・・」
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