「私は幸せになったらいけないから」



 気づけば口癖になっていた言葉。霞んで見える母の背中を夢で見るたびに思う。幸せになったらいけない。だって私が生まれたことによってお母さんは不幸になったんだと、泣いていたから。



 苦い紫煙を吐き出す山田さんは平然とした顔をしていた。私はというと持っていたスマホを足の上に落として呆然としている。



「うん」



 銀色の灰皿の淵で叩いて落とす灰が汚く澱んだ水に溶ける。







 撮影スタジオの外、建物の陰にあった安っぽい丸いテーブルと汚れた白い椅子を見つけた私は休憩に入ってすぐにそこへ向かった。肩身が狭くなった喫煙者たちの憩いの場のようだったけど今日のそこには澱んだ水が溜まった鈍い銀色の灰皿が置いてあるだけで誰もいない。一人が好きな私にとってはとてもいい場所だった。まあ、比較的に喫煙者が多い撮影現場だからすぐに誰かが来るだろうとは、思っていたけど。
 流れる愚痴や好きな人への叫び、ちょいちょい挟まる猫、なんて、いつ見ても代わり映えのしないTwitterのTLを眺めながら私は大きくため息をつく。なにがなくても出てしまうのはもう癖づいてしまったからだろうか。ため息をつくことがストレス発散の作用があるらしいし、悪いことではないんだろうけど聞く側からすればいい気はしない。自分で聞いててもうんざりする。そのうんざりがまたため息を連れてきて負の連鎖が私の体の中で起きているみたいだ。抜け出す術は知らない。

 そんな負の連鎖でぐるぐるしたままの私の前にいきなり腰を下ろしたのは山田さんだった。禁煙したと数年前に聞いたはずなのに手には緑色のパッケージのタバコと100円ライターが握られている。誰かが来るとは思ってたけど、山田さんが来るとは思ってなかった私は思わず言葉に詰まった。だけどそんな私をよそに山田さんは慣れた手つきでとんとんとタバコを出して唇に挟むと火をつけた。タバコの先に赤色が灯るのを眺める。あ、立ち上がるタイミング逃した。



「お、お疲れさまです・・・」

「おつかれ」



 はっとして挨拶をすると山田さんは軽く微笑んで返した。何年も一緒に仕事をしているけどその顔はいつでもかっこいい。そして辛くなる。胸が苦しくなる。隣から逃げ出したいと、強く思う。だって、私なんかと一緒にいたって、楽しいことは何もない。楽しいことが何も生まれないのなら、一緒にいないほうがいい。
 さりげなく立ち上がろうとすると山田さんの視線が私を追うのが分かった。ばっちり目が合う。その目が「どこに行く?」と言いたげだったから私は立ち上がることをやめるしかなくなった。あくまで座り直した体で山田さんの方を向かないように少し姿勢を変える。何を話したらいいんだろう。どうしよう。二人きり、久しぶりだ。

 嬉しいけど、私は怖くなる。



「今日あっちぃな」

「えっ、あ・・・そ、うですね」

「もう9月も半ばすぎたんだけどな」



 ふぅ、と煙を吐いた山田さんの目が私を見ている。



「・・・なあ」



 普段通りの声色だった。顔だって、普段通り―――



「なまえちゃん、俺と付き合ってよ」



 ―――苦い紫煙を吐き出す山田さんは平然とした顔をしていた。私はというと持っていたスマホを足の上に落として呆然としている。


 胸の奥が一気に熱を持って、体中が熱くなっていく。まさかそんなことを言われるとは思っていなかった。ふわりと浮きかけた心が、ノイズ交じりに見えた背中で叩き落される。ああそうだった、私はこんな気持ちになっちゃいけないんだった。幸せになったら、いけないんだった。

 私の父親は私が生まれてすぐに交通事故で亡くなった。私が生まれたという知らせを受けて会社を飛び出した父親は気持ちが早ってスピードをかなり上げていたらしく、同じくスピードを上げていた信号無視の大型トラックと正面衝突。どちらの車も見るも無残にぐちゃぐちゃで、運転をしていた二人はどちらとも即死だったらしい。
 何度も責められた。もう少し遅ければ、もう少し早ければ、いっそ生まれなかったら。年齢を重ねた今なら私のせいじゃない、って言えるけど、それでも幼いころから呪いのように言われ続けた言葉はもう私を離してくれない。



「わ、私なんか、無理、で、」



 のどに詰まった言葉を必死で吐き出す。それを聞く山田さんはまた灰を水へ溶かす。



「だって」



 だって。



「私は幸せになったらいけないから」



 吹き消されそうな声だった。情けなく震えていて、聞き苦しい。ため息の方がましだって、思ってしまうほど、嫌になる。

 こんなこと、自分で言ってるくせに、山田さんの顔が怖くて見れない自分が、本当に嫌だ。



「・・・それって」



 ぎゅ、と目をつぶった。



「俺と付き合ったら幸せになれるって思ってるってこと?」



 想像もしていなかった言葉に突発的に顔を上げると山田さんが少し困ったような、でもどことなく満足そうな顔で笑っていた。



「俺の都合のいいように取れば、って話だけどな」



 タバコを灰皿の水の中へ押しつぶした山田さんはそっと私の髪を耳にかける。タバコの強い匂いが鼻先に触れて体の中が大きく脈を打つ。



「俺と付き合ったら幸せになれるって、思ってる?」



 覗き込むように私の目を見て言った山田さんが滲んでいく。右の手のひらで慌てて顔を伏せて俯けば、熱い手が私の頭を軽く撫でた。



「じゃあ幸せになって」



 な?と優しく笑う声に私はひたすら泣くことしかできなかった。



怖れていたのは無限大の愛



「うん、幸せになろ」



 呟くようにもう一度山田さんはそう言った。私は、私は―――



title by 依存症