「あ、おかえり」



 ずっと立ちっぱなしでパンパンに浮腫んだだるい足を叩きながらアパートの階段を上って自分の部屋の玄関を開けたらそこには随分と久しぶりに見た顔が当たり前のように立っていた。驚いて持っていたコンビニの袋を落としそうになる。玄関を閉めることも忘れていた私を眺めた光舟はコンロの火を止めるとすたすたと近づいてきてパタンと代わりに玄関を閉めてくれた。目の前にある光舟の胸元を凝視しながら私は考える。最後に会ったのはいつだったか、電話をしたのは、ラインをしたのは。それがぱっと思い出せないぐらい久しぶりの再会にどうしていいかわからない。

 動けないでいると突然頭の後ろに手を回されてそのまま勢いよく光舟の胸元へ顔面を押し付けられた。ただでさえ低い鼻が余計に低くなるんじゃないかと思うほどの衝撃に顔をしかめるけど光舟に見えているはずもなく、私の変なうめき声だけが響く。



「お疲れさん」



 押し返そうと上がりかけた手が止まる。大きな手が背中をぽんぽんと叩いてくれる。私が頭をなでられることが嫌いだということをきちんと覚えてくれていたことに気づいたとき、押し返そうとしていた手は自然と光舟の背中に回されていた。光舟の家の柔軟剤のにおいがする。私が好きなにおい。



「・・・ただいま」

「おう」

「・・・めっちゃ疲れた」

「飯作ってる」

「・・・食べる」



 いつもなら遅番の日は食べる気力も残っていないけど光舟のご飯となれば話は別だ。私は光舟に抱きついたまま器用にかかとでスニーカーを脱いで部屋へ上がる。疲れてるからか、妙に泣きたくなった。


 さすがに光舟の目の前じゃ着替えられないから洗濯機の上に置いていたスウェットを持って寝室へ入る。荷物を布団の上へ放り投げて革ジャンのポケットに入れていたスマホを取り出してすぐにラインを開いた。画面の一番上には姉ちゃんとのやり取り、その下はお父さん、友達、店長、と続いて光舟とのやり取りは六番目に出てきて大きなため息が漏れる。今は四月、光舟との最後のやり取りは三月の頭だった。仮にも恋人同士だというのに、これは酷い。確かに私はこまめに連絡を取ったりするのはめんどくさいと思う。それにお互い忙しかったし、なんて、全部都合のいい言い訳だ。よく光舟はこんな私に愛想を尽かさないなと不思議になる。今日だってわざわざ家にまで来てくれて、ご飯まで作ってくれている。私ならこんな女絶対に引くのに、それでも光舟は私との関係を続けてくれているのはなんでだろう。

 スウェットを頭から被ってダッカールで雑に前髪を留める。そして化粧落としシートで薄い化粧をふき取って寝室を出た。



「相変わらず顔色悪いなお前」



 寝室から出てきた完全にオフモードになった私を見て真っ先に発せられた言葉があまりにも光舟らしくて普段ならムカつくはずなのにたまらず笑ってしまった。



「いまさら」

「すっぴん久しぶりに見たわ」



 炊き立てなのだろう、白くてつやつやしたご飯をよそった茶碗を私に渡した光舟はそのまま台所へ戻る。いつもはコンビニの弁当が並んでるはずのテーブルの上には丁寧な手料理がいくつも並んでいて胸が痛くなるような愛を感じた。



「ほれ、味噌汁」



 すぐに台所から戻ってきた光舟の手には二人分のお碗が握られていて、湯気と共に優しい味噌のにおいがした。・・・あれ、でも。



「うち、味噌あったっけ」



 味噌汁を受け取りながら冷蔵庫の中身を思い出すけどよく考えたらこれだけの料理を作れるほどの食材はもうほとんどなかったはずだ。お碗を持ったまま光舟を見れば光舟は冷蔵庫からお茶を取り出しながらしれっと言った。



「買ってきた」

「え、わざわざ?」

「わざわざ」

「なんで?」

「なんでってお前・・・」



 呆れた視線を向けられて思わず口を閉じる。本当は分かってる。でも条件反射で口からこぼれたものは仕方ない。誤魔化すためにとりあえず笑えば視線と同じぐらい呆れたため息が返ってきた。



「もういいや、食おう」

「うん」

「あ、そういや俺の箸どこ仕舞った?」

「光舟の箸?引き出し入ってなかった?」

「なかったけど」

「あれー?」

「捨てた?」

「んなことすると思う?」

「思う」

「失礼だよなーほんとお前は」



 テーブルに味噌汁を置いて光舟の箸を探そうと食器棚の引き出しを開けたときだった。



「そりゃ一ヶ月も会えなかったんだからそう思うだろ」



 思わず光舟の顔を見ると寂しそうな声だったくせに顔だけは意地悪そうに笑っていた。



「俺以外の男でも出来たんじゃねーの」

「ばっ!」



 怒鳴りそうになった瞬間パチンと軽く額を叩かれた。そしてその手に光舟自身の箸が握られていることに気づく。



「冗談だよ、ばーか」



 勢いよく食器棚の引き出しを閉じて光舟を殴ろうと手を上げるとその手は軽々と受け止められてしまった。私より一回りほど大きな手は簡単に私の手を包み込んで逃れられないように強く握られる。光舟はまだにやにや笑っていて私のリアクションを楽しんでいる。反抗すれば光舟を喜ばせるだけだと分かっていながらも、それでも私は自由な足で光舟のすねを小突くのだった。



優しさで消される日常



「米ぐらい炊けよ」

「だって食べきれないもん」

「冷凍保存でも出来るだろ」

「めんどくさい」

「だからこんな腹になるんだよ」



 布団の中で光舟の指が私のお腹をつまむ。失礼すぎるその手を叩き落すと光舟はなぜか笑って、私まで釣られて笑ってしまった深夜一時。幸せが充満している部屋は暖かい。