「久しぶりー」
ちひろからラインが届いたのは丁度お風呂上りのときだった。ライブの打ち上げがあるから遊びに来いという内容に私はとくに悩むことなく行く、と返事をした。お腹も減っていたし、お酒でも買いに行こうかと思っていたところだったからラッキー、ぐらいにしか思ってなくて、いつも穿いているスキニーにトレーナーに革ジャンなんて気を抜いた格好に化粧も必要最低限だけして家を出た。どうせいつもの面子だろう、と思っていたのだ。今思えばちひろたちが今日どんなライブをしたのかぐらい調べておけばよかったと後悔する。誰と飲んでいるのか聞けばよかったとも思う。でも時すでに遅し。ああ、と心の中で泣きながら私は手を振ってくれている人に向かって引きつった笑顔を返した。
「うぉ、びっくりした!」
突然背後から声が聞こえて振り向けばそこには私を呼んだ張本人のちひろが立っていた。トイレ帰りなんだろう。手が濡れている。
「ち、ひろ」
「え、早くね?」
「・・・ちょっといいかな」
「え、なになに」
濡れた手を引っ張って私は部屋の扉の影にちひろを連れ込む。ちょっと躓きながらそれについてきたちひろは不振そうな顔をして私を見ていた。
「なんだよ」
「聞いてない」
「は?」
「山田さんがいるって聞いてないんですけど・・・!!!!!」
無駄にたくましい肩をグーで思いっきり殴る。イタッ!と顔をしかめるちひろは無視だ。頭の中はさっき手を振りながら声をかけてくれた山田さんで埋め尽くされている。山田さんがいるって分かっていたら私はきちんと髪を巻いて化粧もしたしかわいい洋服を着ていたしこの間お父さんが買ってくれた新しい靴だって履いてきた。だけど今の私はどうだ。髪はひっつめでファンデーションとアイシャドーに色つきリップだけの化粧にトレーナーにスキニーに革ジャン、バッグは女らしさが一ミリもない蛍光色のショルダーバッグ、履いてきたのは昔買った安物のコンバース!好きな人の前に立てるような格好じゃないことは火を見るより明らかだ。本当に、あり得ない。
「お前聞いてこなかったじゃん!」
「こういうのは事前に知らせておくべきじゃないかね!?」
「打ち上げって言ったら大体わかんだろ!」
「わかんないよ!!そんぐらい配慮しろよ!」
「配慮もクソもお前が普段から女らしい格好してればいいだけの話なんじゃないの?」
核心を突かれて思わず言葉に詰まる。
「・・・それか今から帰るか?」
にんまり笑ったちひろの肩をもう一回強くグーで殴った。
「なまえちゃん久しぶりだね〜」
「うん、久しぶり〜」
結局女らしさのかけらもない格好のままちひろに引っ張られて部屋に入るとビールを飲んでいた卓郎がひらひら手を振ってくれた。私はぎこちなくそれに返事をしながら引っ張られるままどんどん部屋の奥へ進んでいく。
部屋の中には親しいスタッフさんと挨拶ぐらいは交わしたことがあるスタッフさんが半分ずつぐらい、そしてキューミリとバックホーンがいる。スタッフさんの中には私と変わらないような格好をしている女の人も何人かはいるけど他はそれなりに女性らしい格好をしていた。ふと髪を切って男に間違えられていた頃の自分に戻りたいと思った。そうすれば男のスタッフさんの仲に紛れていてもそこまで目立たないのに。
「ここ」
「あ、うん」
少しは私に気を使ってくれているのかちひろは山田さんから離れた場所に私を座らせてくれた。そして自分もその隣に座る。ちょうど山田さんと私の間の壁になってくれているようだ。ちひろは男性としては小柄な方だけど女性としても小柄な私ぐらいならたぶんいい感じに隠れるだろう。ほっとして小さなため息をつく。
「何飲むよ」
「・・・とりあえず生」
二杯のビールと一杯のハイボールを飲み干した私の気分はとてもよかった。空腹も満たされて、仲がいいスタッフさんやちひろとやいやい話していてとても楽しい。たまに滝や和彦からちょっかいをかけられていたものの、なんだかそれも嬉しかった。そういえば最近一人の時間がなにかと多かったから寂しかったのかもしれない。・・・ところで頼んだコークハイがまだ届かないわけだけど。
「おじさんも混ぜてよ」
コークハイが入ったグラスが高い位置にあって、受け取ろうと顔を上げるとそこにいたのは私の前の席に座っていたスタッフさんではなく。
「あ」
「これ、はい」
すとん、と当たり前のように私の前に座った山田さんが私が頼んだコークハイを差し出す。あ、終わったな。そう思った。
「久しぶりだなぁ」
「あ、は、い、そう、ですね・・・」
グラスを受け取りながら乾いた笑いをこぼす。そうだ。久しぶりに会ったのだ。なのに、これだ。
隣に座っているちひろに助けを求めるけど哀れみの視線しか返ってこない。腹を括れ、そんなちひろの心の声が聞こえてくる気がする。どうせ逃げられっこないって、と、目が物語っている。ちらりとちひろから山田さんへ視線を向ければ山田さんはにこにこと楽しそうに笑っていた。
「邪魔だった?」
「いえ!そんな!」
「ならよかった」
そう言って山田さんは手元にあったジョッキをぐっと煽る。わざわざ自分の席からここまで移動してきているらしい。なんで、どうして。でも口には出せない。言えるはずがない。自信を持っているときだったら聞いていたかもしれないけど、今は、無理。
「いやー、久しぶりだね」
「将司さんそれさっき言いましたよ」
かっこつけてワインなんか飲みながらちひろが笑うと山田さんはだってねぇ、と目を細めて私を見る。心臓が痛むほど高鳴って苦しい。
「ど、どんぐらいぶりですかね!」
「まだ髪短かったよな」
「え、そんな前でしたっけ?」
「あー、ごっついネジピしてたときだ」
「うそ、それめっちゃ前じゃん」
「そういえばそのネジは?」
「あはは、風呂場で無くしちゃって・・・」
「あんだけごついの無くしたわけ、お前」
「無くした。キャッチだけ出てきた」
「あれ仕組みどーなってんの?」
自分の耳たぶを引っ張りながら不思議そうに首をかしげる山田さんは今の私の格好を特に気にしている様子はなく、好きな人の前でかわいくありたいという乙女心に揺さぶられている私は少しだけ複雑な気持ちになる。かわいくなくてもいいのかな。それは果たしていいことなのか、悪いことなのか。でも、まあ、今はどうせ逃げられないし、悩むだけ無駄なんだろう。
「あれ絶対突き刺さってるって思ってた」
「まあ突き刺さってはいるんですけど」
見た目はどうしようもできないからせめて感じぐらいはかわいく見えるように。私はにっこり笑顔を作った。
二杯のビールと一杯のハイボール、そして二杯目のコークハイ。合計五杯。これだけアルコールを摂取すればもう自分の身なりなんてどうでもよくなっていて、山田さんと話すのも怖くなくなっていた。隣でちひろは潰れかけていて山田さんも結構酔っ払っている。
「ちひろ、ちひろ寝るな、おーい」
今にも寝そうなちひろを揺さぶっていると目の前でふふ、と柔らかい笑い声が聞こえた。ちひろを揺さぶる手を止めずに前を向くと頬杖をついた山田さんがじっと私を見ている。
「・・・ずっと気になってたんだけどさ」
「はい?」
「なんでちひろくんだけ呼び捨て?」
「え?」
突然の質問にちひろを揺さぶる手が止まる。
「なんで俺だけ苗字なんだろうな、って」
グラスの中の氷をカラカラと鳴らしたあと、山田さんが寂しそうな顔でぽつりと呟いた。
「・・・え?」
いまさら呼び名についてそんなことを言われるなんて思ってなかった私は変な声が漏れた。
「いや、ごめん、うん、なんか、俺結構酔ってる、だから」
忘れて、と言いながらずるずると顔を下げていく山田さんの耳が赤いのは酔っ払っているからだろうか。そして今私は何をすればいいのだろうか。ちひろの肩から手を離してごく、とつばを飲む。年上相手に失礼かもしれないけど、今は酔っ払ってるからって、そのノリで、どうにかできるだろうから。
「・・・将司くん?」
普段の自分からは想像できないほど小さな声だった。山田さんには聞こえていないかもしれない。だって動かない。そう思って目をそらそうとした瞬間、山田さんがゆるゆると顔を上げた。その顔は赤らんでいて目じりに皺を寄せた力の抜ける甘い笑顔を浮かべている。
「やべぇ、ときめいちった」
小さな声でも私の胸を貫くには十分すぎる威力を持っていたその言葉に次は私がずるずる顔を下げていく番だった。
名前で呼んで
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