仕事が上手くいかないから泣くなんてあまりにも幼稚な自分に嫌気がさす。容赦なくジーパンを濡らす自分の涙を手で強めに拭い上げて息を止めるけど涙は止まらない。せめて家で泣けばいいのに我慢できないなんて情けないなと思えば思うほど悪循環に陥ってズキズキと頭まで痛くなってきた。私はなんてダメなんだろう。
足音が聞こえて私の前で止まる。次に自動販売機から機械的な女の人の声が流れてきてピッと大きな音が続いた。そしてカコン、と軽い音で全てが終わる。ほんの少し顔を上げるとそこには光舟が立っていて、滲んだ視界にタバコのフィルターを小指の爪で剥ごうとしているのが見えた。表情は普段通り飄々としていて私に何かを言おうとする気配はない。だけど何も言われないからって目の前でめそめそしているわけにもいかないし、さっきより気合を入れて泣き止もうとするけど私は悪循環の渦の中から抜け出せないままだ。鼻の奥がずぐずぐいう。変に力を入れているからか奥歯と喉も痛い。
「あ、ライターないわ」
突然喋った光舟に驚いて思わず顔を上げたら光舟は自分のジーパンのポケットを探りながら首をかしげていた。タバコのフィルムは無事剥がされていて封を切られている。吸うまであと一歩、というところで一番必要なものがないなんて光舟もついてないなぁと思っているとふと目と目が合った。くりくりした目がじーっと私を見つめてくるから気まずくてこっちから目をそらす。
「なぁ」
ぴくっと肩が跳ねる。何を言われるか想像がつかなくて返事を出来ずにいるとそんなこと気にせず光舟は話を続けた。
「ライター買いに行くけどついて来る?」
暖房を入れたばかりの車の中は全てがしっかり冷えていて身震いをする。ジーパン越しに感じるシートの冷たさから逃れるように手を間に押し込んで体を縮めていると光舟の白くて長い指が暖房の温度を上げた。顔の辺りにだけ勢いよく当たる温風は私の目の上に必要な分の涙さえ乾かしていきそうで目を細める。
初めて乗った光舟の車の中は光舟の性格をそのまま形にしたように几帳面に片付けられていた。タバコのにおいを感じさせない控えめな芳香剤がさらに清潔さを際立たせている。片手でハンドルを握って慣れた手つきで車を操る光舟をたまに横目で見ながら他の場所に視線を張り巡らせていると前から眩しい光が飛び込んできた。ただでさえ泣いて弱った目に眩しい光はダメージがでかい。手で目元を隠す私を見たのか光舟は少しだけ笑った。
自動ドアをくぐって戻ってきた光舟の手にはほっとコーヒーが二つ握られていて、車に乗るとそのひとつを私側のドリンクホルダーへ置いた後自分のカップに唇を寄せた。結構熱いみたいで飲み口からほんのり色づいた湯気が漂っている。
「いただきます」
「どうぞ」
鼻が詰まっているせいでコーヒーの強い香りはしなかったけど口の中にはしっかり苦味が広がった。ブラックコーヒーなんて久しぶりに飲んだから自然と顔が歪んでしまう。だけどやっぱり光舟は何を言うわけでもなく何度かカップを傾けたあと車を発進させた。ライターは無事に買えたんだろうか。そんなことを思いながらコーヒーを啜る。車内は無言、私たちはどちらも口を開かない。
ビル街を通り抜けて人気のない道に出た後また大通りに戻る。光舟は特に行き先を決めているわけじゃないようで適当に車を走らせてるみたいだった。私は空っぽになったカップを手に持ったまま変わりすぎて行く景色をボーっと眺める。頭の中は空っぽで全部が霞んでいて重たい。
「なまえ」
「え?」
名前を呼ばれて顔を光舟のほうに向けると光舟は一瞬だけ私を見た。
「腹減んない?」
「・・・お腹・・・」
自分のお腹をさすってみる。そういえばお昼から何も食べてないことを思い出した。一度思い出せばさっきまでは感じてなかったのに空腹が襲ってくる。
「・・・すいた」
「じゃあどっか食いに行くか」
その言葉に私は慌ててフロントミラーで自分の顔を確認して絶句してしまった。涙でどろどろに溶けて黒くなった目元、ファンデーションは落ちて眉毛だって消えかけてる。完全に人様の前に晒していい顔じゃない。確かにお腹はすいたけどこんな顔で外に出るぐらいなら何も食べないほうがマシだ。そのぐらい酷い有様をしている。
「いや、ちょっと、この顔・・・」
ちょっと眉をひそめた光舟が信号で車が止まったタイミングでこっちを見る。そして思いっきり吹き出した。
「なんだその顔」
「笑わないでよ・・・」
腫れる予感しかしないまぶたをさすりながらため息をついた。
「それじゃ外出れないわな」
「・・・そうだけど・・・」
「じゃあドライブスルーで牛丼でも買う?」
光舟の提案に素直に返事を出来ないでいると信号が青に変わって車が走り出す。うーんと唸った私に真っ直ぐ前を見たまま光舟が言った。
「ちゃんぽんでもいいけど」
「・・・ちゃんぽん食べたい」
分かった、返事をするようにウィンカーを上げて車は右に曲がる。
買ったちゃんぽんを膝の上に乗せて走る車の中、私はまたぐずぐず泣いていた。光舟に話を聞いてもらったら辛いことがまたべりべりと胸の奥から剥がれてきたのだ。さっきまでは今日の失敗、今は蓄積されたものがぼろぼろと涙になっていく。自分が想像していた以上にいろんなものに傷ついていてそれを無理やり見ないようにしていたことに気づいてしまった。大人なんだから当たり前のことだといわれればそれまでだけど、大人だって傷が増えれば痛くなる。泣きたくなる。涙も出る。
光舟の声は優しかった。私を励ます言葉を言ってくれるわけじゃないけど、その優しい声や相槌が傷ついた私の心に薬を塗ってくれる。すぐには効かないけどこれで私の心の傷は少し落ち着くんだろう。
道なりに走っていたら広い駐車場がある大きな公園へたどり着いた。そこに車を止めて私と光舟は買ったちゃんぽんを食べることにした。膝の上に乗せていた袋からちゃんぽんと割り箸を光舟に渡す。行儀悪く口を使って割り箸を割って二人で同時に食べ始めた。
「ふは」
「まっず」
伸びきった温いちゃんぽんはお腹が空いてる状態でも美味しく感じれなくて面白くて笑ってしまった。
「まずいね」
「もっと早く食べれればよかったのにな」
「ごめんって」
また一口ちゃんぽんを食べる。たぶん光舟のものよりしょっぱいこの味を私は忘れないだろう。
やさしいこころをありがとう
title by チエラ
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