昼間から突然降り出した雨は仕事が終わったあとも止む気配はなくて、仕方なくバッグの中から赤い折り畳み傘を取り出す。季節は秋口、雨が降れば夜は結構寒くて、ついこの間まで暑かったのにと少し不機嫌になってしまうのは仕方ないと思う。結構大きい雨粒は地面で大袈裟に弾けて街の明かりを反射して光っている。早く帰らないと。今日は大事なお母さんの誕生日なのだ。・・・まあ、早く帰らないと、と言ってはいるけどすでに9時を回ってるんだけど!
昨日のうちにお祝い用のワインや料理は準備していたけど、肝心のプレゼントがまだ買えていない、というより、買いに行く時間がなくて準備できていない。だったらせめて何か、何かと考えながら濡れた街を歩いているとふと先月の友達の誕生日を思い出した。そういえば遅くまで開いている花屋さんを教えてもらってたんだった!もう9時回っちゃってるけどまだ開いてるかな。なんて少しの不安を抱きながらいつもと違う道に足を向けた。
たぶんこっちで合ってたはず、と細い道を抜ければ明るい光が濡れたコンクリートを照らしている。花はもう店の中に仕舞われているみたいだけど開いてるようだった。よかった。ホッとしながら店に近づいていくとしゃがんだ人影が何かを優しく撫でているのが見えた。雨音の隙間を縫って聞こえるのは気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らす子猫の声。子猫を優しく撫でていたのはお店のエプロンをつけて少し長い髪を一つに束ねている男の人だった。
「・・・あのー」
子猫に夢中で私に気づいていない店員さんに控えめに声をかけると勢いよく顔を上げられた。いきなり目が合ったことに私も店員さんも一瞬ひるんで、小さくあ、と呟いたあと店員さんは接客業には向いていない声量で「いらっしゃいませ」と言った。
「まだ大丈夫ですか?」
「あ、大丈夫・・・です」
少しドキッとする低い声。子猫から手を離して立ち上がった店員さんは私よりはるかに大きくて、またひるんでしまう。前髪の隙間から見下ろされているような感覚に肩をすくめるとそんな私に気づいた店員さんはあからさまに目を泳がせた。
「・・・とりあえず、どうぞ」
そう言って店員さんは先に中に入ってしまった。その後ろをとことこと子猫もついていく。飼い猫なのだろうか。首輪、ないけど。
お店の入り口ギリギリで折り畳み傘を畳んで中に入れば、たくさんの花が所狭しと仕舞われていた。足元には植木も並んでいる。本当にギリギリだったんだな、お兄さんが子猫と戯れてなかったらアウトだったんだろう。改めて、よかった、と思ったのと同時に少しだけ申し訳なくなった。
いろんな花の匂いと葉っぱの青い匂いが混ざった店内で子猫は店員さんの足元をうろうろしていて、店員さんはそんな子猫を見ている。私はずり落ちたバッグを肩にかけ直しながら並ぶ花たちを眺めた。どんなものをプレゼントしたら喜ぶだろう。無難にバラ?でもユリもきれいだな。このピンクの花は何だろう。あ、カスミソウをいっぱいに散らしてもらって・・・それはいまいちかな。
仕事終わりの疲れた頭でうんうん悩んでいると、ふいに隣に人が並んだ。それはもちろん店員さんで、高い位置にあった花を一本取っている。
「・・・プレゼントかなんかっすか?」
「あ、はい。母の誕生日なんです」
「あー」
「でも普段花束って買わないから・・・」
迷っちゃって、という言葉を飲み込んだ。そういえば友達の誕生日の花束は選んで作ってもらったんだった。若くてきれいなお姉さんが可愛い花束を作ってくれたことを今更思い出す。・・・でもこの人に頼んで大丈夫だろうか、なんてとてつもなく失礼なことが頭によぎってしまった。だけど素人の私が一人で延々悩み続けるより花屋さんに勤めている人の方がいいアイディアを出してくれるかもしれない。
「・・・あのー」
「はい?」
「作ってもらっていいですか、花束」
「え」
「5000円分ぐらいで」
この店員さんは顔に出すぎじゃないだろうか。露骨に嫌そうな顔をしている。苦手分野なのだろうか。だけどこれもお仕事でしょう。
しばらく沈黙が続いた後、店員さんは私から花たちに視線を向けた。作ってくれるらしい。
「・・・誕生日なんすよね?お母さんの」
「うん」
砕けた喋り方に思わずため口で返して慌てて口元を手で押さえる。でも店員さんは気にしてないのか首をひねりながら花に手を伸ばす。意外にもその手に迷いはなく、ひょいひょい花を集めていった。あの失礼な不安はどうやら必要なかったらしい。
手元に集まっていく暖色系の花とにらめっこしながらバランスを取る店員さんの足元で子猫が小さく鳴いている。かわいくて自然としゃがんで撫でてしまった。だけど子猫は嫌がる気配も逃げる気配もなく、大人しく私に撫でられ続けている。人にこれだけなついているんだからやっぱり飼い猫なんだろう。ふわふわの頭や首元を撫でながら上目で店員さんをこっそり見上げれば穿いているジーパンやエプロンに猫の毛が付いているのが分かった。猫、大好きなんだろうなあ。でも確かにこれだけ可愛かったら撫でまわすのも仕方ない。目を細めて気持ちよさそうにゴロゴロ喉を鳴らす子猫をずっと撫でていると上から声が降ってきた。首を上に向ければ店員さんが手に持っている花を私に向けていた。慌てて立ち上がる。
「こんな感じで、どうでしょうか」
手の中で少し形を整えながら聞いてきた店員さんが選んだ花たちはどれも鮮やかできれいだった。こんなに素敵な花束を作れるのになんであんなに嫌そうな顔をしたんだろう。
「とても素敵です」
素直に感想を伝えると、店員さんは初めて微笑んだ。そして手際よく花の下の方にある葉っぱをちぎって包む準備を始める。そんな光景を眺めながら、私の心臓はバクバクと動いて仕方なかった。微笑みがいけなかった。嫌そうな顔をしたり目を泳がせたりしてた人がいきなり微笑むなんてずるい。しかもその微笑みがかっこいいなんて、ずるい。
バケツの中で慣れた手つきで茎をハサミで切って、バランスを見ながらそばに置いていた輪ゴムで束ねる。ティッシュを濡らしてアルミホイルと一緒に巻くとあっという間に花束の形が出来上がった。そして満足げに小さく笑った店員さんはカウンターにラッピングペーパーとフィルムを広げてその上にそっと花束を置いた。
「お母さんの好きな色ってあります?」
「えっと・・・緑、かなぁ」
「じゃあ、リボン緑にしますね」
いろんな色のリボンの輪が通された棒の端っこにあったリボンを指先で引っ張って、目分量の長さを切り取ると店員さんの動きがふと止まった。ハサミとリボンをもってしばらく黙ったあと何か思い出したようにカウンターのガタついた引き出しを開けて中を探り出す。急にどうしたんだろうと眺めていると、あった、と小さな声が聞こえて目の前にリンゴの形のメッセージカードを差し出された。
「よかったら、余ってたんで」
そしてペン立てを指さされて、私は手元のカードを見つめる。・・・少し恥ずかしいけど、たまにはいっか。
「お借りします」
メッセージを考えている間も店員さんの手は止まらず、器用にリボンを結ぶとハサミを滑らせカールさせていた。雨音とフィルムが擦れる音、そして子猫の鳴き声。花の香りが満たすこの空間が私をドキドキさせる。仕事で疲れてるから些細なことでも敏感に反応しちゃうんだよ。そうだよ。
「・・・できた」
「出来ました?」
「はい」
「ここ、入れるスペース作ってるんで」
そっとメッセージカードを忍ばせてプレゼントの花束が完成した。素敵な花束にお母さんが喜ぶ顔が頭に浮かぶ。
「4600円です」
バッグから財布を取り出して中身を見ると、5000円札がなかった。1000円札も1枚、小銭もギリ100円足りない。ええー・・・
「それじゃあ、10000円からお願いします」
カウンターに10000円を置くと、店員さんは素早くレジを打った。5000円札と小銭を手のひらに乗せて確認したあと、手を差し出される。
「じゃあ5000円と」
400円、と渡された瞬間手が触れて、私は思わず手を引っ込めてしまった。派手な音を立てて小銭は落ちて、びっくりした子猫が棚に上る。
「大丈夫っすか」
「すみません!」
しゃがんで小銭を拾おうとすると、それより少し早く拾ってくれた店員さんと同じ目線になる。そのまままた小銭を渡されてたまらず頭を下げた。
「ほんとすみません・・・」
「もういいって」
くすくす笑った店員さんに顔が熱くなっていく。
店先に立てかけていた折り畳み傘を開いて外に出る。わざわざ花束を運んでくれた店員さんからそれを受け取って少しだけ寂しくなった。
「なんか、いろいろ気を使っていただいてありがとうございました」
「いえいえ」
「母も喜んでくれると思います」
ぺこりと頭を下げて、それじゃあ、と背中を向けようとした瞬間店員さんが小さな声で「待って」と言ったのが聞こえた。
「あの」
「はい?」
「・・・これ、どうぞ」
差し出されたのは一輪のチューリップだった。クラフト紙に簡単に包まれた黄色のかわいらしいチューリップ。でも突然のことで受け取ることも出来なくて何度も店員さんとチューリップを見比べていると、抱いた花束と腕の隙間に強引に差し込まれた。
「一本だけ余ってても、あれなんで」
「あ、ありがとうございます」
「・・・帰り道、雨なんで、気を付けて」
さっきの笑顔はどこへやら、店員さんは私が店に来た直後の顔に戻ってしまっていた。目を泳がせて合わせてくれない。
「・・・それじゃあ、失礼します」
「・・・ありがとうございました」
チューリップ≠望みのない恋
家に帰ってお母さんに渡した花束はもちろん喜んでもらえた。早速飾ると意気揚々と花瓶を探しだしたお母さんについていって、私も一輪挿しを1つ貸してもらう。部屋に戻ってなんとなく窓際に飾ってみると、かわいらしいチューリップがなんだか儚げに見えた。
なんとなく、なんとなく花言葉が気になって検索してみた。黄色のチューリップの欄を見て、首にかぁっと熱を持つ。でもね、まさかね。花屋の店員が全員花言葉を知っているとは考えられないし。あの店員さんだってきっと知らないはず。だって余ったって言ってたし。
「・・・一目惚れ、ってか」
目を閉じてもあの店員さんの笑顔が忘れられない。まるでマンガのような見事な一目惚れをしてしまった私は、次の日の朝、またあの花屋がある通りを歩く。そこで店員さんと鉢合わせて、お互い赤い顔でぎこちなく挨拶をすることはまだ知らない。
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