「みょうじもきちんと自炊ぐらいやって彼氏の一人や二人作れよー」
周り全員苦笑いだって気づかないのか、このくそ親父!!!
という言葉は飲み込んで大人しく笑っておく。思っていても口に出してはいけない。一般常識だ。当たり前だ。はらわた煮えくりたっていても立ち上がって文句を言うなんてもってのほか。それが社会人。たとえみんなの前で自炊をやっていないなんて知りもしないウソの情報を言われたって言い返す方がバカを見る。そうなの、だから我慢するの。みんなそうなの。ただ今日やたら私に絡んでくるだけで―――
今日は会社の忘年会だ。古臭い考えが抜けないうちの会社は個々でビールを頼めばいいものをわざわざ瓶ビールを頼んで女性社員にお酌をさせている。もちろん私も酔っ払った上司に悪質な絡み方をされながらもお酌をしていかなければならない。若い人たちは自分で勝手に飲んでいたりするからいいけれど、くそジジイたちはお酌をさせたがる。親睦を深めるためとかなんとかふざけたことをほざきながら。そしてその先で待っているのは今のご時世誰かが声を上げれば裁判待ったなしのセクハラだ。でもこれも我慢していればいい。居心地が悪くなるぐらいなら、この時だけ、この時だけと言い聞かせながら。
だけど残念ながら限界はあっさり迎えてしまった。
「みょうじ、お前スカートは穿かないのか?」
そう言ってパンツの上から太ももを撫でた上司のはげた頭を思わずビール瓶で殴りそうになった瞬間、私の前に同僚の滝さんが現れた。手には自分のコップとまだたっぷりビールが入った瓶を持って、顔はへらりと笑っている。
「みょうじさんごめん。俺ちょっと課長と話したいことがあるから代わってもらってもいい?」
神の言葉だ!と思いながら素早くうなずくと課長はあからさまに嫌そうな顔をして「忘年会ぐらいお前と話したくない」と言ってのけてわざわざ席を立った。このくそ親父くそなだけあってくそ失礼なこと言いやがって、と奥歯をぎりっと鳴らすと滝さんはなにも気にしてないのかコップとビールを手に持ったまま笑って「こっちにおいでよ」と言ってくれた。私は中途半端にビールが残ってる瓶を放置して呼ばれるままついていく。
滝さんが元々座っていた席の前の席は誰も使ってなかったようで、きれいなお箸とお皿が残っていた。一人だったのだろうかと思ったけどどうやら滝さんは自分からこっちに座っていたようでやっぱりなにも気にしていないみたいだった。
「誰かが訴えるかも、とかそういうの気にしないのかな」
「さあ、気にしないんでしょうねえ・・・老化でそこまで頭が回らないんじゃないですか」
「言うね」
くそ上司はいつの間にか若くてかわいらしい女性社員の隣を陣取っていた。分かりやすいね、と言いながらビールを飲む滝さんに私はこっそり言った。
「あの子、夜そういう店で働いてるんですよ」
「え、マジ?バレたらやばいんじゃないの?」
「ですよねー。でも、なんか本人妙に堂々としてるんですよね」
そう言いながら滝さんのそばにあったビール瓶に手を伸ばそうとして止められた。手酌する滝さんを見て申し訳ないと思っている自分に気づいて、この古臭い習慣に毒されていることを知る。頭がくらくらする。
「みょうじさんは気ぃ使いすぎだよ」
「あはは・・・ごめんなさい、ついいつもの癖で」
「俺の前ではそんなことしなくていいよ。気使う必要もないし」
優しいなあ、滝さん。見習えよなくそジジイ。
「っていうかみょうじさんサラダ食べた?ここのドレッシングすっごくうまい」
「ほんとですか?じゃあ食べよ」
「取るよ」
お皿を取って色鮮やかなサラダをいい感じの量に盛ってくれた滝さんがお皿を差しだしてくれて、お礼を言いながらそれを受け取るとほんの少し手がぶつかった。その手がちょっぴり冷たくて、いい歳した女のくせになんだかドキドキした。あったかい態度とのギャップだろうか。
そのどきどきを紛らわすように手を合わせて「いただきます」と呟いてサラダを口に頬張った。シャクシャクと音が鳴る野菜にかかっているドレッシングは甘めで本当においしい。なにドレッシングなんだろう。家で再現したいけどそんな神の舌を持っているわけでもないからたぶん無理だろうな。買えないのかな。なんてことを考えながらもくもくサラダを食べていたらツンと鼻の奥と目が痛くなった。原因は噛んだ玉ねぎ。さっきまで大丈夫だったのに・・・ちゃんと下処理できてないものに当たったみたいだ。
「おいしそうに食べるねぇ」
くすくす笑いながらこっちを見ている滝さんに思わずあまり噛んでない状態でサラダを飲み下す。ごくんと喉が鳴ってせき込みそうになったけどどうにか堪えて笑う。
「だっておいしいですもん」
「他になんか食べる?適当に取ろうか?」
なんか男女逆転したみたい。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「・・・そう?」
どことなく寂しそうな子犬を連想させる滝さんの顔に胸を締め付けられてしまった私は、サラダが無くなったお皿をそっと持ち上げた。
「すみません、やっぱり取ってもらってもいいですか?おすすめとか・・・」
「うん」
嬉しそうに笑うんだから、変な人。
でもさすがに取ってもらってばかりも気を使う。気づけばもうほとんど残ってなかったビール瓶を隅っこに追いやって、テーブルの真ん中に置いてあった新しい瓶に手を伸ばして滝さんのコップにビールを注いだ。
「わ、すみません」
「いいえー、私も取ってもらってるし」
いろんな料理が乗ったお皿と新しくビールを注いだコップを交換してお互い頭を下げる。変な感じが面白くて小さく笑ってしまった。
「どれがおすすめですか?」
「そのつくねおいしいよ」
「これ?」
「うん」
一口大に丸められた滝さんおすすめのつくねを頬張る。コリコリしてておいしい。
たまに他の同僚とも話しながらも基本的には滝さんと二人で話は盛り上がっていた。会社では見れない滝さんがとても新鮮で何を話しても楽しい。それにドキドキしてしまう。くそ上司からの優しい同僚のギャップなんだろうか。まあとにもかくにも今年の忘年会はとても楽しい。お酒もおいしい。このままいい感じで終われたらいいな。
「そういえば滝さんっていい人いないんですか?」
カシオレを飲み干してそう聞くと、滝さんが黙ってしまった。・・・あれ、これやばくない?私さりげなくやっちゃった?セクハラだよね?男が女にするものだって思ってる人間も多いけど女から男にするセクハラだってあるよね。あのハゲと同じになっちゃった?
黙り続ける滝さんに内心冷や汗をだらだら流しながらどうにか話を変えようと必死になっていると、滝さんはへらりと人のよさそうな笑顔を私に向けた。
「いたらいいんだけどねえ」
「た、滝さん優しいからすぐ見つかりますよ、うん」
「・・・みょうじさんは?」
もちろん返ってくると分かってた。
「私もいたらいいんですけどね、って感じです」
「そうなの?」
「自炊はしてるんですけどね」
上司に言われた言葉を引き合いに出せば滝さんは笑ったけどすぐ静かになった。おっと、そこで黙られたら正解が見えなくなっちゃうぞ?
なんとなく出来てしまった沈黙。少しの気まずさに足先がもぞもぞ落ち着かなくなってくる。ビールでも飲むか、と瓶に手を伸ばした時だった。
「じゃあさ、彼氏候補の中に入れといて」
「・・・だ、誰を?」
「俺」
はじけた炭酸が甘くなる
脱いだジャケット、緩められたネクタイ、シャツも第二ボタンまで開けちゃって、顔を赤くさせちゃってさあ。
「・・・了解、です・・・」
空になったカシオレのグラスに乱暴にビールを注ぎながら呟けば滝さんは小さくガッツポーズをしていた。
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