“すまん!”と謝罪するクマに対してため息をつきながら少し怒った女の子のスタンプを送ったあと、そっとラインの画面を閉じる。カップルや女性グループが並ぶ中、私は一人だ。行先は最近スイーツがおいしいと話題になった予約なしでは入れない超人気のレストラン。レストランといっても敷居が高いような高級感のあるお店じゃなくて、どちらかというとカジュアルな、カフェに近いとっつきやすい感じの雰囲気だ。だからだろうか、いつもお店の前には行列が出来ている。通り過ぎるたびに行ってみたいと思ってはいたけど、こんな風に一人で、というわけでは決してなかった。友達と久しぶりにお茶をしたかったのだ。なのに、ドタキャンという仕打ちである。しかもレポートの提出が間に合わなかった、が理由なのが腹立たしい。のんきでマイペースなのは重々承知してるし、そういうところが好きでもあるんだけど、嫌いな部分でもある。バカ、このぼっちが辛い空間どうしてくれようか。

 レストランの外観の写真を撮ってはしゃいでいる女子高生のグループが前後にいるのが本当につらい。年齢は2、3こしか変わらないはずなのにもうすでにノリについていけなくなっている。インスタ、タグ付け、映え、私からすればまるで異国の言葉だ。



「店員さんかっこいいー・・・」



 そんな異国の言葉の中、私も反応せざるを得ない言葉が飛んだ。窓際の席の女の子のグループの注文を聞いているウェイターさんにたくさんの視線が向いている。確かにかっこいい。すっとした目元に少し薄い唇、営業スマイルとは思えない自然な笑顔。モノトーンの制服も着こなしていて動きもスマートだ。ドタキャンした友達のタイプドストライク。きっとこの場にいたら目をハートにしているだろう。

 でも、確かにかっこいいと思うけど私のタイプではないなあ、と思っているとふとウェイターさんと目が合った。そしてにっこり笑いかけられた。よく分からない状態に戸惑っているとモノトーンの制服は窓際から消えていく。首をひねっている私の後ろのグループの女の子たちが黄色い声ではしゃいで笑っていた。



「いらっしゃいませ」



 順番が回ってきて、少し重たそうなドアが開いた。開けたのはあのウェイターさんで女の子たちが小さな歓声を上げてはしゃいでいる。まるで映画で見るような柔らかくきれいなお辞儀に見とれているとふいにまた目が合った。心臓がどきりとはねた気がして慌ててそらした。かっこいい、とはまた別にこの人はなんだかどぎまぎする雰囲気を持っている、気がする。
 脇を抜けるように店内に入るとふわりと甘い香りとたくさんの賑やかな声が溢れていた。一人の私は完全に浮いていて、肩に力が入ってしまって居心地が悪い。改めてドタキャンした友達を恨んでいると人影が隣を通り過ぎた。



「こちらへどうぞ」



 顔を上げたときに耳にきらりと光るものが見えた。そこから視線を少しずらせばウェイターさんが微笑みを携えてメニュー表を持った手と反対の手を空いている席へ向けた。



「あ、ありがとうございます・・・」



 案内された席にぽつんと一人で座る。調理場に近い席で、甘い香り以外にもおいしそうな香りがしてきた。その匂いに反応するように朝から何も食べてない私のお腹の中が震えて、ぐぅ、と大きな虫が鳴く。想像以上に大きな音で思わずお腹に手を添えたのとほぼ同時に人が噴き出す声が聞こえた。差し出されかけてるメニュー表は小刻みに震えていて、ウェイターさんは顔をそらして笑っているようだった。顔から火が出そうとはこのことだろう。一気に熱くなる顔を伏せたくなりながら無言で震えるメニュー表を受け取る。



「すみません」



 小さい咳払いのあと、それでも半笑いのウェイターさんは続ける。



「本日のおすすめはカニのクリームスパゲッティと、抹茶のドルチェ、チーズムースになっております」



 恥ずかしさが消えない私は受け取ったくせにメニュー表を見ず早口で言った。



「それじゃあ抹茶のドルチェとチーズムースとアイスティーで」

「・・・腹減ってんじゃないの?」



 突然の砕けた口調にびっくりして俯いていた顔を上げれば、ウェイターさんはにやにや笑いながら腕を組んでいた。さっきまでの丁寧な姿が全く見えなくなったことに呆然とする。そして呆然としたままの私に気を使うこともなく、ウェイターさんはメニュー表で自分の肩を軽く叩きながら笑った。



「うめーよ、今日のスパゲッティ。店長の自信作」



 そういった瞬間、荒々しい声が「上條!!!」と名前を呼んだ。それに返事をしたのは目の前のウェイターさんで、厨房に向かって大きな声で返事をしている。



「あの!」

「ん?」

「チーズムースじゃなくて、スパゲッティ、を・・・」



 お願いしますの声が消えていく。そんな私を見てウェイターさんは笑顔で言った。



「かしこまりました」



 一人取り残された私はすることがなくなってバッグから取り出したスマホの上に指を滑らせる。レポート提出のスケジュールを確認して、少し前に届いていて気づいていなかったバイト先からのラインを開く。新刊コーナーを新しくするらしく、その構図のイラストが送られてきていたけど担当の先輩は全く絵心がなく、いまいちどうしたいのか分からなかった。それはみんな同じ気持ちのようで既読はグループの人数分ついているのに誰も返信をしていない。どうやって返せばいいんだろう、これ・・・と悩みながらどうにかそのイラストを解読しようと必死になって首をひねる。画像を拡大したり遠目で見たり試行錯誤しているとまた笑い声が聞こえた。



「何やってんだ」



 顔を上げる前に目の前に置かれた白いお皿の上にはとろりとした柔らかいオレンジ色のクリームソースがかかったスパゲッティがあった。緩く巻かれて盛られたスパゲッティはとてもいい香りがしてまたお腹が鳴りそうになる。フォークとスプーンが入ったかごがお皿の隣に並んでハッとした私はようやく顔を上げる。ウェイターさんは隠すことなくにやにや笑いながらアイスティーもテーブルの上に並べた。



「いや、ちょっと」

「なに、彼氏?」



 まるで友達のように話しかけるウェイターさんに呆れて何も言えなくなっていると、そんな私に気を使うことなく向かい側の椅子に平然と腰を掛けた。え、仕事中でしょ?休憩じゃないでしょ?突拍子もない行動にさらに何も言えなくなっている私にウェイターさんはやっぱり気を使うことなくテーブルに肘をついてにやにや笑っている。



「あの、お仕事・・・」

「あのさ」



 絞り出した言葉さえかき消したウェイターさん。スパゲッティに手を付ける気になれなくなった。



「よくこの店の前通り過ぎてるでしょ。なんかショートカットのお友達と」

「は、はあ・・・」



 なんで知ってるんだろう、と思ったけどこの店の前をしょっちゅう通り過ぎているのは本当のことだし、ここで働いているんだからなんとなく覚えていたんだろうと流すことにした。



「ずっと気になってた」

「・・・は?」



 ひっくり返った声にけらけら笑ってウェイターさんはエプロンのポケットから何か四角い紙を取り出した。厚紙のそれを私のスマホケースのポケットに差し込んで立ち上がる。



「それじゃあごゆっくり」



 ひらひら手を振りながら厨房の方へ行ってしまったウェイターさんの背中をぼけっと眺める。そのあとスマホケースのポケットに入れられた厚紙を取り出してみるとそれはお店の名刺で、裏返してみると“上條智拓”という名前と電話番号、ラインのIDがきれいな字で書かれていた。これは、どういう?しばらく考えてみる。そういえばこういうの昔のドラマで見たな。薄暗いバーでコースターの裏側には電話番号・・・



「・・・うそでしょ」



 ぽつんと呟いた声は誰にも聞こえない。



 この名刺の意味を問い詰めようと抹茶のドルチェを待った。だけど持ってきてくれたのはかわいらしいウェイトレスさんで、聞けば“上條智拓”さんはもう上がったとのことだった。なんというタイミングだ。これももしかしたら計算?

 口に運ぶドルチェは甘すぎず、ほろ苦くてものすごく好きな味だった。だけど、店を出たら私はきっと忘れてしまう気がする。だって今の私はドルチェどころじゃないのだから!



ドルチェと一目惚れ



「ねえ、あのお店リベンジさせてよ。奢るからさあ!」



 手を合わせる友達に私は無言で頷いた。またいるのかな、なんて、バカみたいなことを考えながら。



「あ、珍しい。今日並んでないや。行けるか!?」



 私の手を引っ張って友達がお店へと歩いていく。あの少し重たそうなドアを開いたら入り口の近くにあったテーブルを片付けていた人がこっちを見た。



「―――」

「あのー、今から二人大丈夫ですか?」



 その人は私を見てしたり顔で笑ったあと、すぐに営業スマイルに切り替える。



「いらっしゃいませ。はい、大丈夫ですよ」



 案内しながらウェイターさんはあの日より楽しげな声で言うのだった。



「本日のおすすめは抹茶のドルチェとチーズムースになっております」