田舎から上京してきた私は“終電”なるものの重要性を知らなかった。だって田舎だったら夜遅くなってもタクシーがたくさんいるし、こっちみたいに初乗り運賃は高くない。田舎だけあって夜中になれば車はほとんど走ってなくて、楽勝で家に帰れてた。だけどこっちではそうもいかないらしい。それは山田さんの顔を見れば嫌でも分かることだった。



「まあ、終電逃すことってよくあっから」



 ぽりぽりと頭をかきながらそう言った山田さんにかける言葉を見つけられない。タクシー代お支払いしますよ!と言えるほど財布が潤っているわけでもない。



「どうすっかなぁ・・・」



 ぽつりと呟いた山田さんに、今考えればいくら酒が入っていたとはいえ、よく言えたもんだよなあと思った。



「家に泊まりませんか!?」



 カギを開ける手が震える。私、山田さんを家に誘ってしまった。山田さんと一晩一緒に過ごすことになってしまった。なんだか尻軽女みたいな印象を持たれてしまったかもしれない。いや確実に尻軽だと思われた。深い意味はないんです!って言い訳をすれば余計に尻軽だと思われる。カギがカギ穴にあまりにも入らなくて私は思わずため息をついたあと温度は生ぬるいけど心には冷たい玄関に額をぶつけた。どうしてこうなった。本当に、どうしてこうなったの。

 喉の奥でぐるぐる鳴る自分の声を聞きながらどうにかこうにかカギをカギ穴に差し込んだ瞬間、エレベーターがこの階に到達した音が聞こえた。私は慌てて玄関を開けて部屋に飛び込む。靴を脱ぎ捨てて勢いよく電気をつけた我が家は朝見た通りの状況で、テーブルの上にメイク道具が散らかっていてごみ箱はティッシュとタバコの箱が山ほど詰まっている。どうしよう、山田さんが来ちゃう!!!
 台所に置いていたごみ袋をひったくってごみ箱めがけて腕を伸ばす。だけどそれは届かず、淵に指だけが引っかかって中身がこぼれてしまったではないか!!!慌ててごみを袋に投げ捨てようとしたそのとき、尻ポケットにねじ込んでいたスマホが震える。誰もいない部屋で一人で変な声を漏らして肩が跳ねてしまった。心臓が痛い。大きく息を吸い込んでスマホを取るとポップアップに山田さんからのメッセージ。



“買い物終わったから、今から行ってもいい?”



 ・・・そうだった、この人はこういうところが紳士的だったんだ。酒は無理やり飲ませる節があるけど。
 力なくその場にへたり込む。私はトーク画面に移動して力なくメッセージを入力するとそのまま送信した。



“あと5分待っててください”



 ごみ箱はごみ袋にひっくり返して、溜まっていたお酒の缶だけはクローゼットに押し込んで隠した。今朝捨てれなくて溜まっていたお風呂場の排水溝の髪もティッシュにくるんでごみ袋、メイク道具はいつも通りポーチの中に、そしてリセッシュを振りまいてぐちゃぐちゃだったベッドを整える。・・・これが5分で出来るんだから普段からもっとちゃんと掃除をしよう。
 スマホをタップして山田さんに電話をかける。その間にトイレを覗き込んで思わず声を上げてしまった。月一の例のあれで必ず必要なものが袋から飛び出しているではないか!!慌てて買い置きのトイレットペーパーを置いている棚に乗せてさらにそれをトイレットペーパーで隠す。



「もしもし?」

「もしもしっ!」

「もう大丈夫?」

「はい!大丈夫です!」



 そう言いながらトイレから出て私は玄関に立つ。出しっぱなしだったパンプスを棚に突っ込みながら。



 そしてついにその時はやってきた。コンビニの袋を片手に持った山田さんが申し訳なさそうに笑ってこっちに歩いてくる。



「お待たせしてすみません」

「いや、こっちこそいきなりごめん」

「大丈夫です!その、私が、終電を・・・」

「いやいやいや」



 山田さんが終電を逃したのは私と二人で二次会と称して飲んでいたからだ。最初は大木さんも一緒で、お開きになるときに「早く帰れよ」という忠告をしてくれたのにほどよく酔っ払っていた私と山田さんは適当な返事だけしてバーに行ってしまったのだ。話し上手なマスターと盛り上がっていたら逃していた終電。しかも主にしゃべっていたのはほかの誰でもなく私自身。・・・山田さんを付き合わせる形になってしまっていたわけだ。



「ど、どうぞ」



 どもる私を心配そうに見ながらも、もうここまで来てしまったからには帰ることもできない山田さんは「おじゃまします」と呟いて部屋の中に入っていく。ああ、あああ、山田さんが、私の部屋にいる!!そして、めちゃくちゃ気まずい!!!!だけどその気まずさを打開する策は、ない!!



「あー・・・ビール、飲みま、す・・・か・・・?」



 不自然な敬語になってしまった私に山田さんは苦笑いをするのだった。









「終電逃した」

「またですかぁ?」

「泊めて」

「あーもうー・・・」



 酔っ払いの声を後ろに携えた山田さんがあっけらかんとそう言うから私は食器を洗いながら「どうぞぉ」と言うしかなかった。それに対していつも帰ってくるのは嬉しそうな声の「ありがとう」。ときめいてしまうそのハスキーな声に毎回私は絆される。

 山田さんが私の家に初めて泊まった日から特に関係に進展もなく半年が経った。唯一変わったことと言えば山田さんが躊躇なく我が家に泊まりに来るようになったぐらい。そして大体終電を逃す理由は「飲み会が盛り上がりすぎた」なので、髭剃りと歯ブラシが常備されるようになった。あとたまにお風呂に入りたいからとパンツをコンビニで買ってくることがある。・・・風呂上りに着る服は私のオーバーサイズのTシャツと一着だけあったサイズを間違えて買ったスウェット。もうあの日の戸惑いも恥じらいもない。



「女として見てくれよぉ・・・」



 かわいい後輩、優しい後輩、この枠、大分邪魔。



「こんばんはー」

「はいはいこんばんはー」

「外、めっちゃ暑い」

「お風呂・・・入るんですね、オッケーでーす」



 コンビニの袋から透けて見えたボクサーを見て私は回れ右をしてTシャツとスウェットを取りに行く。いつも通りの対応なのに、山田さんはなぜかここで毎回笑う。何回か理由を聞こうとしたけど結局はぐらかされて教えてくれなかった。いくら酔っ払っていても教えてくれないからもう最近は勝手に適当に健気な後輩が可愛くてたまらず笑ってしまっているということにしている。実際そうじゃなくても、思いこむことでどうにか女として見られていないことに対して落ちるモチベーションをあげているのだ。・・・勝手に、適当に、自分でつけてる理由も、結局“後輩の枠”から出れてないけど。



 冷凍庫の氷をアイスピックで砕いているとお風呂場のドアが開いた音が聞こえてきた。ナイスタイミング、と笑いながらグラスに大きめの氷をごろごろ入れて冷えたハイボールを冷蔵庫から出す。暑い日にはこれだ。運よく明日は仕事が休みだから私も飲める。



「風呂ありがと」

「いえいえ」

「シャンプー変わってたからびっくりした」

「友達におすすめしてもらったんですよ。髪めっちゃさらさらになるやつ」

「ふーん・・・」

「嫌でした?」

「いや、この匂い好き」

「・・・好き、ですか」



 私に向けて言ってほしいよ。それ。



「明日休み?」

「はい」

「じゃあ朝まで飲むべ」

「散々飲んできてこれでしょ・・・」

「だぁいじょうぶ、アミノ酸取ってっから」

「だぁいじょうぶじゃない人の話し方ですよ、山田さん」

「・・・でも準備してくれてるじゃん」



 にやにや笑いながら氷で冷えたグラスを取った山田さんが恨めしい。無意識に私を手のひらで転がしている。



「あー・・・」



 ふいに頭からタオルを被った山田さんが小さく声を漏らす。



「・・・今度からこっちに帰ってこよっかな」

「・・・へ?」



 器用に片手で開けたハイボールの缶から炭酸が漏れる音が結構大きく聞こえて山田さんの声を邪魔した。しかもタオルで隠れて顔は見えない。そんな動きが固まってしまっている私をよそにグラスにハイボールを注いだ山田さんが振り向いた。髪とタオルが邪魔をして表情が見えない。



「かんぱーい」



 額にグラスを押し当てられて上機嫌で笑う山田さんがもう読めない。はぁ、とため息を吐いてふと気づく。



「私まだ飲んでないし!!」



これでいいのか2019



title by 星食