数十年前のとある日、母のお腹からこの世へと誕生し、いろんな人に囲まれて訳も分からず泣いていた新生児がいた。その新生児とは何を隠そう私のことで、無事に年を取りながら現在はくたびれた日々を送るアラサーだ。毎日毎日似たような日々が続く人生に絶望もなければ希望も特にはない生ぬるさだけを感じながら生きている。



「それで、そろそろ結婚考えてるの?」



 今日私はまた一つ年を取った。毎年誕生日には生んでくれてありがとうと遠く離れた場所に住んでいる母親に電話をするわけだが、毎度毎度話の最後に問われるのは“結婚”のこと。残念ながらあなたの娘は相手さえ見つけておりませんよという言葉を飲み込みながら脱ぎ捨てたスーツのスカートをベッドに投げる。



「まだ生活が落ち着かない」

「でもあんたの年の頃───」

「ごめん、仕事の連絡だ」



 私の年の頃に自分は結婚していたといういつもの文句を嘘で遮った私は雑に「また連絡するね」とだけ言って電話を切り上げた。せっかくの誕生日にやいやいと言われるのは嫌だ。普通の日ももちろん嫌だけど。

 電話を切ったスマホをさっき投げたスーツの上にまた投げる。適当に散らばしていた部屋着を下着姿のまま拾い上げながら、こんなこと結婚どころか彼氏がいたとしても出来ないよなあと思った。少し暑くなってきた外に比べて過ごしやすい室内は下着姿ぐらいが心地よいのだ。

 ちらりとテーブルの上に置いた白い箱に視線を送る。仕事の取引相手であるバンドの方から誕生日だからとケーキをいただいた。9mm Prabellum Bulletという四人組のバンドで付き合いはそこそこ長い。それこそこうやってケーキを貰うのも3回目だか4回目だ。ありがたい。だけど今私は複雑な気持ちでいる。理由は、気になる人がこの箱をくれたときにその場にいなかったなんて子供っぽい内容。まいったな、厄介だな、なんてぶつぶつ呟きながらTシャツを頭からかぶった。


 最初にかみじょうさんを見たとき、涼しい目元とガタイのよさが不釣り合いな人だなと思った。そして言葉の端々からうかがえる人たらしの感じが妙にくすぐったかった。ネイルを変えればすぐに気づく、ピアスを変えれば褒めてくれる。だけど悲しいことにそれは私だけという話じゃない。誰にでもそうなのだ。それこそ老若男女問わず。むしろ女の人だけなら良かった。女好きな人なんだろうなぐらいに一瞥できたから。


 着替えてやっと一息ついた私はスーツもスマホも押しのけてベッドに沈んだ。ああ、今年も特に何もなく誕生日は過ぎて人生がまた一つ先に進んだ。どうしたもんか、明るい未来を夢見ていた私はどこへ消えたのか。

 なんだか変な方向に思想がいきそうになっていることに気づいて私は慌ててスマホを手繰り寄せた。ウーバーで何か頼もう。少しだけ贅沢しよう。何が食べたいかな、お酒も頼めるようなものがいいな。そんなことを考えながらごろりとあお向けになった瞬間、大きな着信音が鳴り響いてスマホの画面に文字が浮かび上がる。その音の大きさと着信の相手に驚いて手が滑ったスマホが顔面に落ちてきて派手に小鼻にぶつかった。あまりの激痛に声にならない声を漏らしながらベッドから落ちた私はしばらく悶えたあと半泣きになりながら静かになってしまったスマホを慌ててわしづかむ。ラインのトーク画面を開けば不在の文字。何も考えず条件反射でかけ直せばワンコールで電話は繋がった。



「もしもしっ!!!」

「も、もしもし・・・」



 私の勢いに押されたのか少し戸惑った声で返事をしたかみじょうさんは一瞬黙ったあと、えーっと、と続ける。



「忙しかった?」

「いえ全然!ちょっと、まあ、小さな事故が・・・」

「事故?」

「ちょっとスマホを落としただけです」



 小鼻部分が腫れてないか指先で撫でながら確認していると「そっか」と短い返事が返ってきた。そしてやってきたのは沈黙だ。かみじょうさんとの間に沈黙ができることは無いことはないけど、電話越しの沈黙は顔が見えない分少々気まずい。どうやって話を切り出そうか悩んでいるとわずかに震えたため息のすぐ後にかみじょうさんが沈黙を破ってくれた。



「忙しくなかったらちょっと出てこれない?」

「へ?」

「見せたいもんがあってさ」

「・・・どちらまで?」

「家、教えて」



 クローゼットを勢いよく開けて気張りすぎず、でも抜きすぎない洋服を引っ張り出す。急いで着替えたあとテーブルに伏せていた鏡を乱暴に立ててよれた化粧を猛スピードで整えた私は仕事用のバッグをひったくったあとスマホを投げ入れて短い廊下を走った。浮腫んだ足をむりやりパンプスに押し込みながら家を飛び出して目指すのはエレベーターだ。かみじょうさんがスタジオからこのマンションに到着する前に駐車場に向かわなくてはいけない。この早鐘を打つ胸はかみじょうさんに会えるからか、ただ単に急いでいるからか。

 エレベーターの溝にヒールを持っていかれそうになりながら急いで降りるとシンと静まり返ったエントランスに硬い音が響いた。誰もいない無駄に広いエントランスで呼吸と髪を整えて自動ドアをくぐる。かみじょうさんがまだ来てませんように。心の準備ができていないから。
 しかしこういう時の神様は意地悪で、何度か見かけたことがある黒の大きな車がハザードを炊いたまますでにマンション前に停まっていた。助手席の向こう側、数時間前に別れたかみじょうさんのけだるげな顔が見える。

 最後の深呼吸をした私は助手席の窓をこんこんと軽くノックした。



「お疲れ」

「お疲れさまです」



 清潔な匂いで満たされた車内に緊張が酷くなる。手のひらの汗をばれないようにスカートの裾で拭っているとかみじょうさんはドリンクホルダーに手を伸ばした。視線で追えばそこにはドリンクではなく紙切れが刺さっていて、短くてたくましい指がそれを摘まんで持ち上げている。



「見て」



 紙を摘まんでいるかみじょうさんの親指と人差し指がするりと滑ると一枚だと思っていた紙が二枚になった。びっくりして紙を凝視するといつもの軽い笑い声でかみじょうさんは続ける。



「ちーちゃんマジックで二枚になりました」

「え」

「これから映画に行きませんか、お嬢さん」



 拒否権はこの車に乗った時からないはずなのに少し意地悪にそう言って映画のチケットを手渡したかみじょうさんはどことなく満足げだ。



「ちなみにこの映画なんだけど」



 ぱちん、と突然つけられたライトが暗がりになれていた目に小さなダメージを与える。目を細めながらチケットの文字をなぞるとそこに書いてあったのは私がずっと見たかった映画の名前。時間がなくて行けないとどこかで嘆いた記憶はあるけど誰に言ったかまでは覚えてなくて、しかしその相手はかみじょうさんではなかったことだけは確かなのに、なぜこの人はこのことを知っているんだろうかと驚きが頭中を回る。
 気づかないうちに口がぽかんと開いていたらしく「間抜け面」とかみじょうさんが噴き出した。恥ずかしくなって急いできゅっと口を閉じると笑いが残ったままの声でかみじょうさんは言葉を紡ぐ。



「そんでそれ見たあと飯食いに行こう」

「え?」

「日付またぐけど明日休みだろ?」

「休み、ですけど・・・」

「俺にも誕生日祝わせて」



 俺だけに、とニヒルな笑顔をしている割には少しだけ顔が赤いかみじょうさんにぶわっと愛しさがこみあげて、まだ映画を見ていないのに泣きそうになった。



20240510



 最高な誕生日は始まったばかりだとタイヤがコンクリートを擦る音が告げている。



友達のお誕生日に送りました。はっぴーはっぴー