ソファに口を開けっ放しにしたまま置いていたバッグから携帯を取り出して次はトイレに引きこもる。さすがにここまで将司は追ってこないだろう。・・・逃げたかったのもあるけどそれより下半身の気持ち悪さの方が気になったからトイレに来たんだけど。

私は携帯のアプリを開いて先月のカレンダーのページを開く。そして今月のページへ戻って目で数字を追う。・・・やっぱり一ヶ月も経ってない。




水を流して洗面台で手を洗う。タオルで拭いたけどまだ少し湿った手でスカートを叩きながら部屋に戻ると将司が次はソファに座っていた。私を待ってたんだと思う。顔は不安げだけど真剣で、戻ってきた私の顔を見るとポンポンと自分の隣を叩いた。私のバッグはいつの間にかキャスター付きの椅子の上にあって将司の隣には人が一人座れるだけのスペースがある。

情緒不安定の理由がはっきり分かった今、私は恥ずかしくて将司のそばにいけなかった。それなりに年も重ねて月に一回のこいつとの付き合いも長いはずなのに気付かなかったなんて。言い訳をすればいつもなら一ヶ月ぴったりでやってくるソレが今回一週間と三日も早くやってきたから自分の変化に気付けなかったっていえるんだけど、将司にはもちろんそんなこと関係ないんだからこの言い訳は無効になる。

私はまた寝室に戻ろうとした。将司の顔が見れなかったし自分の顔も見られたくなかった。お願いだから一人にして、そう思った。だけど将司がそんな私の行動を許すはずもなく、強引に腕を引っ張られて私はソファへ少し乱暴に体を沈めることになる。一瞬目をつぶって開いたときには将司が隣に座っていた。



「・・・」

「・・・」



二人の間に痛い沈黙が流れる。これも私が作ったということはもちろん分かってる。もしあのとき胸に引っかかったものを無視できたら、二人で美味しいねってご飯を食べてたら、将司の冗談を笑えれば、こんな沈黙できるはずなかったのだ。

逃げ出すことはできなかった。将司が手首を掴んでいたから。でも将司が力強く手首を握っているのかと言うとそうじゃない。力は入ってないけどそれを解いて逃げ出すことが許されないような雰囲気だから。私がそれを拒否することは絶対許されない、そんな圧力が沈黙のせいでよりいっそう重たく私にかかる。



「・・・なまえが」



口を開いたのは将司だった。視線は床に向けられたままぽつりと言う。私も視線を自分の爪先に集中させて絶対顔を上げない。そして返事もしない。もうここまでくれば意地になってくる。



「なんで怒ってんのか、俺わかんねーけどさ」



将司の声色は全く怒ってなかった。むしろか弱くさえあった。



「迷惑なら迷惑って言ってもらっていいし、なまえが望むなら別れるとか、そういうのも受け止めるつもりだし」



私から別れるなんて言うはずないって分かってるくせに、頭の中でそう思ったけどすぐにそれはかき消された。将司の声のトーンがやけに真剣だからだ。こんな状態で演技が出来るほど将司は器用じゃない、と思う。



「・・・いつか捨てられるんじゃねえかって思ってた。俺、完全にヒモみたいになってるし、頑張っても頑張っても、今までなまえを喜ばせられるような結果はついてこなかったし」



手首を握る力が少し強くなった。



「ごめん、ダメダメで」



違う、将司は悪くない、私が、私の独占欲が、将司をそうしてしまって、



なんでこんなときに限って上手に声が出ないんだろうと思う。喉にたくさん言葉がつまって息苦しい。どうしたらいいんだろう。どれから話せばいいんだろう。ああ、頭が痛くなる。



「なまえ」



くい、と手首を引っ張られて顔を上げると将司が優しく、でも苦しそうに笑っていた。また男の人にしては小さい手が、私の頬をなでる。乱れた髪を耳にかけてくれる。



「なんでもいいから、言って」



俺、何にもわかんねえからさ、と将司は悲しそうに呟いた。