「まって、温めるから」



私から離れてキッチンの方へ歩いていった将司の背中を見ながら私はキャスター付きの椅子の上で膝を抱えた。なんだかしょっぱい。久しぶりに早く帰ってこれて、それでも結局仕事して、将司に変な気を使わせちゃって、やだなあ。
ストッキングを脱いだ素足に頬を乗せると酷くべたべたしていた。そりゃああんだけ汗をかけば顔ぐらいべたべたするだろう。てっかてかなんだろうなあ。洗わなくちゃなあ。

ぼんやりとかすむ視界で将司の背中を眺める。キッチンの中で忙しなく動く将司は冷蔵庫から出した鍋を火にかけた後ざぶざぶ何かを洗って皿に盛り付けていた。いい香りがしてくる。あ、カレー、だ。皿の上に盛り付けてあるのはサラダ、しかもポテサラ。私が将司が元気がないときに作るメニューだ。まあ私は少しばかり大雑把な性格だからレタスの上にポテサラを乗せるような盛り付け方はしないけど。(むしろ酷いときは作ったボールのまま出すときもある。それでも将司は何も言わないで食べてくれる。)

ぐつぐつ鍋の中で煮込まれるカレーの音が微かに聞こえる。



「なまえー運んでー」

「あーい」



いつも私が言うセリフ。少し面白かった。



「・・・おいしそう」



思わずこぼれた言葉だった。鮮やかな緑の上に盛り付けられたポテサラは私が作るものと全然違う。なんか、いっぱい入ってる。それに鍋の中で煮込まれてるカレーも私が作るものとは全然違った。色が違う。具材も違う。私が作るカレーはいつも豚肉で具はごろごろのタイプだ。ちなみに中辛。でも将司が作っていたカレーは具がほとんどなくて、お肉もどうやら鶏肉のようだった。チキンカレーか。やばい、よだれ出てきた・・・。

出てきたよだれを飲み込むとお腹が大きく音を立てた。将司は振り向かずに笑って私は恥ずかしくて将司の背中を叩く。



「今日何も食べてないの!」



ものすごく乱暴に言い訳をすると将司はくすくす笑いながら皿取って、と言った。




ローテーブルに並べられた晩ご飯はとてもキラキラして見えた。私がいつも作るものより何倍も美味しそうに見えた。将司の意外な一面に驚きながら私は座布団の上で正座をする。座布団越しでもごりごり感じるフローリングの床。骨が痛いのは最近痩せたからだろうか。

いつも使うグラスに麦茶を注いでテーブルの真ん中らへんに置いて将司もやっと私の向かい側に座った。座布団の上で胡坐をかいている。



「じゃあ食べよっか」

「うん・・・いただきます!!」



手を合わせて大きな声でそう言った私は早速カレーを頬張った。感想は一言、美味しい!皿さえ庶民的じゃなかったらレストランで出してもいいレベルで美味しかった。私が作ったものとは大違い。そして将司とはそこそこ長い付き合いだけどこんな才能があるなんて知らなかった。



「美味しい?」

「美味しい!」

「よかったぁ」



ほっとしたのか力の抜けた顔で笑った将司に思わずときめいて、次に運んだばかりだったカレーをあまり噛まずに飲み込んでしまった。少しだけむせる。将司は変わらない力の抜けた笑顔のまま大丈夫?と聞きながら麦茶を渡してくれた。



「だ、大丈夫」



その嬉しそうな笑顔がむせる原因なんだけどなあ。そんなことを思いながら受け取った麦茶の入ったグラスはひんやり冷たくて気持ちがよかった。麦茶ももうなかったのにわざわざ沸かして冷やしておいてくれたのかな。

そこまで考えて私はふと何かが胸に引っかかるような感覚に陥った。起きてすぐに言ってくれた「おかえり」、頬をなでながら言ってくれた労りの言葉、パソコンの周りがきれいになってたこと、ギターと鼻歌の穏やかさ、肩を揉んでくれたこと、そしてこの晩ご飯。
いつもの将司ならまず私が帰ってきたところで寝てればすぐには起きないし、機嫌が悪ければ私にもご近所さんにもお構いなくギターをかき鳴らすし、私の肩なんて揉んでくれないし、掃除だってしないし(むしろ散らかしていくし、)、晩ご飯を作ってくれてるなんて以ての外。



「・・・将司」



この嬉しそうな将司の顔を崩したくないし、穏やかな晩ご飯の時間も壊したくなかったけど、一度引っかかった胸の違和感は膨らむばかりでどんどん苦しくなっていくだけだった。