ベランダから眺める校庭は登校する生徒で賑わっている。バスを一本早くした私はまだ人が少ない時間帯にすでに学校についているのでこうやってベランダに出ていることが多い。最近はたくさんの生徒の中から友達を探すことにはまっていて、今日もちょっと身を乗り出すようにして友達を探す。似たような髪形の女子生徒の中に紛れているときに見つけられたときの達成感が私の最近の唯一の楽しみだった。見つけられずに友達が教室に来たときと私より先に教室にいるときは負けた気分になる。一回もっと分かりやすい格好で来てよと言ったら無言で頭を叩かれた。

 生徒の数がまばらになってきたなと目を細めていると後ろから友達の声が聞こえた。あーあ、今日は負けだ、と振り向けばコンビニの袋を持った友達がひらひら手を振りながら立っている。



「今日も私探ししてたの?」

「うん」

「結果」

「負け」

「残念」



 荷物を机に置いてすぐ私の隣に並んだ友達は次は別の人を探そうと言い出した。その横顔を見て小学生のときに夢中になって読んでいた絵本を思い出す。隠れた小物を探すその本は図書室でギネスブックと張り合うぐらい人気があった。借りれたときはクラスの子全員で集まって読んでたっけ。
 数年前の幼い自分を思い出しながら友達の横顔を眺めていたら友達の表情が強張ったのが分かった。不思議に思って校庭のほうを見ると、おんぼろの軽自動車が入ってきているところだった。

 あの日の朝がフラッシュバックする。運転席から降りてきたまだ名前を知らなかった上條先輩とくたくたのTシャツを着て助手席から降りてきたマツさん。あの人を好きになる!と言っていた何も知らない私。ちゃんとした恋が始まると変な自信を持っていた私がベランダの向こうで消えた。

 今日も運転席から降りてきたのは上條先輩で、助手席から降りてきたのはマツさんだった。上條先輩は眠そうにあくびをしながら校舎へ歩いていく。マツさんはなぜかきょろきょろと辺りを見渡していてなかなか車に乗ろうとしない。何かを探してたのに見つからなかったらしいマツさんはちょっと肩を落として運転席のドアに手をかけた。そして一瞬だけ顔を上げてこっちを見る。とても離れているのに、しっかり目が合ったのが分かった。長い手がひら、と一回だけ振られてだらりと落ちると大きな体が背中を丸めて軽自動車の中へ消えていく。マツさんが私に向かって手を振ったことなんて分かってる。でも私はまた逃げた。



「ちょっと、大丈夫?」

「え?」

「泣きそうな顔してるよ」



 鏡を見てないから分からないけど友達が言ったことは本当のようでまぶたがひりひりと痛む。唇の裏側を噛むと友達は慰めるようにぽんぽんと頭を撫でてくれた。



 上條先輩を見て泣きそうになったわけじゃない。私はマツさんが私を探して私を見つけてくれたことが苦しかった。付き合おうって直接私に言った日から連絡のひとつもしてくれなかったくせになんでそんなことをするんだろう。まだ軽いマツさんとラインを鬱陶しいと思いながら繰り返していたら違ったはずなのに。背筋がひやりとする顔と真剣な声の最後は子供の私にはどうしていいのか分からない。頷けばよかったのか。まだ上條先輩のことをどう思ってるか自分でもよく分かってないあの状態で頷いていたら、何が変わっていたんだろう。



 今日に限ってジンジャーエールなんか買ってきてる自分が恨めしい。嫌でもマツさんを思い浮かべてしまう。キャップをあけて炭酸がはじける音を聞いたあと一口運ぶ。飲むたびに初めて行ったライブハウスの記憶が濃くなって蘇ってきて涙腺を刺激するから一日ずっと泣きそうな顔のまま過ごさなくちゃいけない。



「みょうじ」



 ペットボトルのラベルを剥がそうと爪で引っかいていると私の机に腰をかけて滝が声をかけた。顔を見上げるとなんともいえない微妙な表情で私を見下ろしている。



「なに」

「・・・いや、うん」



 歯切れが悪い滝が聞きたいことは大方予想がついたけど、自分から話すことはやめた。友達にも深く言えないことを、上條先輩やマツさんを私より知っている滝に言えるはずがない。無言を貫くことを決めたらいいタイミングでラベルの糊が剥げた。そのままぺりぺりと剥いでいけばペットボトルに黄金色だけが残る。一度あけたから気泡が底から上っていく様子が綺麗だった。



「・・・これやる」



 机にぽい、と置かれたのはカントリーマアムとキットカット。どっちも私が好きなものだ。唐突なプレゼントにきょとんとすれば滝はちょっとだけ咳払いをして立ち上がった。



「また遊びに来なよ」

「・・・まあ、そのうちね」



 優しいね、滝は。分かりやすい、同い年の男の子の優しさだ。席から離れていく背中を見つめて、多分もう二度とあの練習場に行くことはないだろうと思った。