「マツさんが全部話してくれたから、次は私の番ですね」



 車が走り出してすぐ私は切り出した。前を向いていないといけないマツさんがびっくりした顔をこっちに向けたのが分かったけど私はまっすぐ前を向いたまま続きを話す。



「私、上條先輩じゃなくてもよかったんです。多分」



 声が震える。マツさんが私に本当のことを知られたくなかったのと同じだけ私も本当のことを知られたくないことがやっと分かった。だって今から話すことはマツさんが一生懸命私を守ってくれていたもの全てを否定することとほぼ同じだからだ。嫌われたくない。けど不誠実なのも嫌だ。私だけ本当を聞いてああそうだったんですね、で終わらせることは出来ない。
 家に着くまでにある程度のことを話したかったから私は自分を守るための無駄な言葉は全部省いた。失恋してやけくそで適当に選んだのが上條先輩だっただけ。タバコもお酒もライブハウスも自分の世界になかったからそれに触れて大人になった気持ちになってた自分に酔ってただけ。マツさんに彼女の存在を教えてもらったときだって傷ついた自分はいなかった。いろんな人を巻き込んだくせに多分本気で好きになる気はなかった。



「ごめんなさい、私が全部悪いんです」



 前を向いていたはずなのに気づいたら私は自分の制服のスカートを見つめていた。握り締めていた皺の部分をじっと見つめていると視界が揺れたような気がする。隣はどんな顔をしているんだろう。気配だけじゃ何も分からないけど顔を上げる勇気はない。このまま無言で家についてしまうんだろうか。



「マツさんに知られたくなかった」



 伝える話の中に含まれてなかったことが勝手に出てきた。それは酷く小さな声で私は自分の中で響いてるから分かるけどエンジン音と風の音が満たす空間にいるマツさんには届いてないと思った。



「なんで?」



 勢いよく顔を上げると前を向いたままのマツさんが少しだけ目を細めた。



「・・・だって」



 視界が揺れていたのは気のせいじゃなかったらしい。



「嫌いになってほしくなかった」



 無意識に口をついて出てきた言葉はどこに隠れていたんだろう。だって私はマツさんから届いてると思っていたラインが鬱陶しかったし、勝手に裏をかいて不快になったし、直接付き合おうと言われたときは何も返せなかった。嫌いになってほしくなかったらその逆は好きになってほしかったになるんじゃないか。でも、私は、思い込みでも上條先輩のことでいっぱいだったはずで、



「・・・そっか」



 正面から夕日が私たちを照らす。マツさんはなぜか笑っていた。その顔は滲んで見えて私は目じりに熱いものを感じた。


 優しさの本当を知りたくなかったのはなんでだろう。“マツさんとの終わり”が怖かったのはなんでだろう。本当を知って幻滅したくなかったから?私を可愛がってくれるお兄さんがいなくなるから?上條先輩じゃなくてもよかったと分かった今さら、なんで私は泣いてるの?自分で自分がコントロールできなくて怖い。高梨くんに失恋した時だって上條先輩に彼女がいるって知った時だって涙は出なかったのに、今は涙が止まらない。いろんなものが一気に押し寄せて混ざり合って頭の中が気持ち悪くなる。
 たぶん答えはものすごく簡単なんだろう。でも自己完結できない私がいる。


 遠回りしたはずなのにもう家が近づいている。帰りたくない。



「たぶん」



 手首の近くで濡れた目を擦っているとマツさんが優しく話し出した。



「今の話聞いたらムカつくのが普通なのかもしんねぇけど」



 横から伸びてきた手が目を擦る私の手を降ろして代わりに大きな手の甲で濡れた顎から頬をそっと撫でた。



「逆に嬉しいんだよな」



 ぽつん、ぽつん、と少しずついろんなシーンが頭に浮かぶ。楽しかった日々の思い出だ。そこに上條先輩がいることは当たり前だけど、それ以上にマツさんの顔ばかりを思い出す。気づいたらマツさんを探している自分も、同じだけ思い出した。マツさんとおしゃべりした日がキラキラしていたことも、ラインが来なくなって悲しかったことも。

 家が見えた。そのとき、そういうことか、と腑に落ちた。


 真っ黒な世界はばら色に染まるんじゃなくて、優しいオレンジに満たされる。