「・・・はぁ」

「ね?めっちゃどうでもいいでしょ?」

「うん、めっちゃどうでもいい」



 並んで歩きながら今回の事情を説明すれば滝はめんどくさそうにため息をついたあとさらりと言った。私がどうでもいいと思うんだから滝なんかもっとどうでもいいだろう。あの日校門に入ってきた人が上條先輩じゃなかったら滝は巻き込まれなくてよかったことだ。それは私も分かってる。だけどそれでも滝が私に付き合ってくれるのは応援してくれる・・・わけではなく、ただ単にお菓子とジュースを奢ったからで、それがなければとっくに突き放されてると思う。私が逆の立場なら間違いなく突き放している。

 結局私はバンドの練習場には連れて行ってはもらえなかったけど、代わりに上條先輩の教室に連れて行ってもらえることになった。滝経由なら間違いなく会える。上條先輩って、どんな人だろう。好きになる人のことをどんな人だろうって思うなんておかしな話だ。私ってもしかしたら高梨くんのこと、本当は想像以上にものすごく傷ついていたのかもしれない。

 特に仲がいい先輩がいるわけじゃない私が三年生の教室に向かうのは初めてのことだった。徐々に二年生の上履きの色が減っていって三年生の上履きの色が多くなる。それだけでものすごく浮いているような気持ちになってそわそわと落ち着かなくなる。なのに滝は慣れているのか飄々としていて、それどころかたまにすれ違う先輩にため口で話したりしていた。見た目から想像していた私の滝へのイメージ像がどんどん壊されていく。でもそれは別に嫌なものじゃなくて、むしろ新鮮なものを見られてちょこっと得した気持ちになった。

 放課後なのにまだまだ人が減る気配がない三年生の教室を二個通り過ぎたあと滝が足を止める。その隣で私も足をぴたっと止めた。ベランダから見下ろしたのが初めてだった上條先輩。遠かったからおぼろげにしか見えなかった顔はすでに霞んでいる。どんな人なんだろう。ほんの少しだけ緊張する。



「上條くんいる?」

「智拓?」



 上條先輩のクラスメートの一人に滝が声をかけるとその先輩は女の人の名前を口にした。ちひろ?上條先輩ってもしかして女?わけあり?ん?え?
 私が首をかしげていることに気づいたのか滝は呆れたように見下ろしてくる。



「名前も知らないの?」

「知らない」



 どうやら上條先輩はちひろというかわいらしい名前らしい。でもどうにもベランダから見下ろしたけだるそうなあの人と合わない。もっと、こう、ともや、とか、そんな名前が似合いそうな感じだった。



「智拓ー!お客さんきたよー!」

「誰ー」

「滝と・・・女の子!」



 先輩は私をちらりと見やったあとにやっと笑ってそういった。やっぱり滝が言うとおり上條先輩に会いに来る後輩は珍しくないようだ。特に誰かが騒ぎ立てるわけでもなく、みんな各々自分のことをやっている。課題をやってる人がいればマンガを読んでいる人もいて、いつもの私たちみたいにお菓子を食べながら談笑している人たちもいた。なんだ、三年生も二年生もそんなに変わらないんだな、なんて思っていたら、ついにそのときがやってきた。滝がひらひらと手を振った先には一人けだるそうな男の人が立っている。



「どした」

「いや、上條くんに会いたいって言うから連れて来たんだけど」



 この人が、上條先輩。

 背はあまり高くない。切れ長の目元に上唇の薄い口、やけに色が白くて肌がうらやましいほどきれいだ。



「これ」

「・・・はじめまして」



 上條先輩の顔を凝視していて挨拶もしてなかったことにはっと気づいて私は慌てて頭を下げた。笑顔を作らなければ。第一印象は大事だよね。



「はじめまして!滝くんと同じクラスのみょうじです!」



 どこから出てきてるんだその声は。そんな視線が隣からびしばし伝わってくる。でもそれは今触れることではない。私は滝のほうは見ずに上條先輩にだけ視線を向ける。上條先輩の顔、意外と好みだ。



「みょうじちゃんね・・・で、なに?」

「いや、上條先輩に一度会ってみたくて」



 これは嘘じゃない。好きになるって決めたときから一度会いたかったのは本当のことだ。少しでもよく見られるように精一杯猫を被る。かわいい後輩、そこから始めよう。

 上條先輩は私と目を合わせたあと、ふいに柔らかく笑った。



「それはどうも」



 一瞬心臓がきゅんとときめいた。これは、本当に好きになれるかもしれない。



「滝くんから一緒にバンドをしてるってお話聞いたんですけど」

「え、マジ?」

「はい!それで、私の兄もバンドが好きで、その、私はよく分からないんですけど、興味はあって・・・」



 ぺらぺらと嘘ばっかり出てくる自分にびっくりする。私にいるのはバンドが好きなお兄ちゃんじゃなくてアイドルに夢中な弟だし、バンドとかあんまり興味はない。知識として知ってるのは大体ボーカルと弦楽器が二人とドラマーが一人いるってことぐらいで、四人以上のバンドとか出てきたら他のメンバーが何をしているのかさえ分からない。上條先輩が滝と一緒にバンドをやっていることは知っていてもどのパートかも知らない。なんなら滝が何をしているのかも知らない。



「だから練習とか見てみたいなって思って、それを滝くんにも伝えてみたんですけど」

「あら、滝から断られたから直談判的な?」

「はい!」

「いいじゃん滝、見学くらい」



 上條先輩が私から滝へ視線を向けたから私も同じように滝のほうを見る。滝は嫌そうに私を見ていて、ばっちり目が合った。心の声が聞こえてきそうなほどの視線が突き刺さる。でも私はくじけない。出しにして悪かったとはちゃんと思ってるけど。



「ダメかな、滝くん」

「・・・もう勝手にすれば」

「つめてぇなぁ、おい。みょうじちゃんかわいそうだろ」

「いえ!大丈夫です!滝くん、ありがとう」



 嫌そうな滝の顔は変わらないまま、「いいえー」と棒読みで返された。ごめんね、滝。ありがとう、滝。



「じゃあ今度滝と一緒においで」

「はい!ありがとうございます」

「いやいやこちらこそわざわざどうも」



 さっきの柔らかい笑顔とはまた違う笑顔を見せてくれた上條先輩に確実にときめいている私がいる。作り笑いから思わずもれた自然な笑いで分かった。私はこの人を好きになる。