上條先輩と無事にファーストコンタクトを取ってから早いもので一ヶ月がたった。その間に滝は本当に私を練習場に連れて行ってくれて、上條先輩以外のメンバーの菅原くんと中村くんにも会った。そこでも私は猫を被り、いい後輩、いい同級生、いい先輩、の地位を確立できたと思う。まあ事情を全て知っている滝はいつでも私を胡散臭そうに見ていたけどそれはそれ。滝以外にいい印象を持ってもらえたらそれだけでいい。

 上條先輩の耳にはピアスの穴があって、練習場にはシルバーのシンプルなピアスをつけてきていた。慣れた手つきで吸うタバコにもいちいちときめいて、高梨くんに感じていたときめきなんて完全に忘れてしまっていた。

 そう、私は自分が言ったとおり上條先輩のことを好きになっていた。



「どうなの、上條先輩」

「めっちゃかっこいい。どうしよう、超好き」

「宣言通りすぎて笑えるよ」

「私も自分のことながらめちゃくちゃ笑える」

「だろうね、私が同じ立場ならめちゃくちゃ笑ってると思うよ」



 やっぱりペットボトルから紙パックに戻した私は飲み口をきれいに開けるとストローの袋を破って紅茶の海に突き刺した。なんだかここ最近リプトンがやけに美味しく感じる。なにか成分でも変わったのかな?とぼやいたとき上條先輩のことを調べてくれた彼女がそれが恋だよ!とチョコボールを食べながら言っていた。なるほど、恋とはそんな作用もあるのか。高梨くんのことを好きだったときはそうでもなかったから、上條先輩はすごい。

 あまり背が高くないとはいってもやっぱり男の人だから私よりは高くて、隣に並ぶといい身長差がうまれて嬉しくなる。みょうじちゃんからなまえちゃんに呼び名が変わった日、世界はばら色だった。頭がよくて、ドラムが上手で、字がきれいで、優しくて、上條先輩はいつでもとても素敵だった。私が知らない世界をたくさん教えてくれる。



「好きだー!」

「はいはい」



 一人で足をバタバタさせていると名前を呼ばれた。顔を上げればそこには滝が立っていて、教室ではあんまり話しかけられないのになと不思議に思いながらとりあえず返事をする。すると滝は当たり前のように私が机に広げていたお菓子の中の一つを手にとっていった。しかもそれは私が大好きなキットカット。取り返すために少し腰を浮かせるとキットカットの封を切りながら滝が言った。



「ライブのお誘いなんですけど」

「え!」



 キットカットを取り返すという目的を忘れて勢いよく立ち上がる。ガタン、と大きな音を立てて揺れた椅子は後ろの席の机に激突したあとその勢いで私の膝裏にぶつかってきた。思わずひざかっくんになりそうになったのを気合でこらえて滝の顔を凝視する。滝は特に表情を変えるわけでもなく、ぱくり、と一口でキットカットを食べてしまった。



「せっかくだからみょうじも呼べって卓郎たちが言ってて、今週末」

「ほんと!?」

「くる?」

「いく!!」



 練習場でしか見れなかった上條先輩たちが見れる。ステージの上で演奏する姿は、絶対かっこいい。ああ、どうしよう、今からテンションがあがってしまう!

 自然とにやついてしまう顔を押さえることもせずに、私は机の上のお菓子をいくつも滝の手に無理やり握らせる。本当にありがとう、滝がいてくれて本当に助かった、本当にありがとう!そうやって繰り返し言えば呆れた顔して滝はさっさとお菓子をポケットに突っ込んで私から離れていった。



「私、今天使でもついてるのかな」

「なぜゆえ」

「こんなラッキーなこと続いちゃっていいの?」



 座ったままの友達を見下ろすと、彼女は下唇を突き出して「まあ、いいんじゃない?」と軽く返事をした。



 昼休みの高揚感が抜けないまま迎えた放課後、私は財布を握り締めてコンビニへと向かっていた。今日も滝たちはバンドの練習で、そこにサプライズで差し入れを持っていこうと思ったのだ。ライブに誘ってもらったお礼も兼ねてるから今日はたくさん買っちゃおう。お菓子、ジュース、あ、そういえばみんなしょっちゅうお腹すいたって言ってるからパンとおにぎりも追加で買おう。からあげとかも、喜んでくれるだろうか。



「あれ?」



 コンビニの袋を揺らしながら四人の練習場に行ってみればそこにはそれぞれ楽器のケースを持ったまま上條先輩以外の三人が立っていた。三人はまだ私に気づいてないらしく、携帯を片手に何かを話し合っている。なんで上條先輩いないんだろう。もしかして今日お休みだったりするのかな。
 高ぶっていた感情がゆるゆるしぼんでいく。三人には悪いけどやっぱり一番の目的は上條先輩だからテンションは下がってしまう。せっかく四人分買ったのに、意味なかったかな。足を止めて食べ物と飲み物がどっさり入ったコンビニの袋を見下ろす。・・・まあ、お礼も兼ねてるから、渡して帰ろう。そう思って私は止めていた足を再び前に出した。



「こーんにちはー」

「あ、みょうじさん」



 一番最初に気づいてくれたのは菅原くんだった。次に中村くんがこっちを向いて、最後に滝が少し驚いた顔で私を見る。今日も練習を見に行く、っていういつもの約束をしてなかったから驚いているんだろう。なんだかちょっと面白い顔を見れたような気がする。私はそんな滝にコンビニの袋を手渡しながら菅原くんと中村くんに「みんなで食べてね」と猫かぶりの笑顔を見せた。



「ありがとー」

「いえいえ」

「今日も練習見ていくんすか?」

「えっと、今日は、どうしようかな」

「上條くんなら遅れてくるよ」



 さりげなくそう言った滝はガサゴソとコンビニの袋を開いて中からジュースを取り出している。思わずひっくり返った声でそうなの?と口に出せば滝ではなく菅原くんが返事をしてくれた。



「一旦家に帰ってから来るって」

「そうなんだ」

「たぶんそろそろ来ると思うけど」



 どきんと胸が高鳴る。しぼんでいた感情がまたむくむくと起き上がってくるのを感じながら、私はにやけそうになる顔にきゅっと力を入れた。全部知ってる滝の前ではまだしも菅原くんと中村くんがいる手前、だらしないにやけ顔は見せられない。スニーカーの中で足の指をグー、パー、と繰り返し動かしながらそわそわする背筋を伸ばす。

 菅原くんと中村くんが同じ方向を眺めていたから私も同じようにそっちへ視線を向けたら、どことなく見覚えのあるおんぼろな軽自動車が走ってきた。そしてフロントガラスの向こうに見えた人影に、心臓が大きく音を立てて跳ねた。私服の上條先輩がタバコをくわえて運転している。上條先輩、運転免許持ってるんだ。今度ドライブに連れて行ってもらいたいな。隣に並んで好きな音楽流しながら、苦いタバコのにおいに酔いしれたい。
 そんな妄想をしていたら上條先輩の車が私たちの目の前に止まる。そしてエンジンは切られないまま運転席が開いてくわえタバコの先輩が気だるそうに降りてきた。ああ、あの朝と同じだ。あのときは学年も名前も知らなかったのに、今私は上條先輩がバンドをしていることも、銀色のシンプルなピアスをつけていることも、なんでも知っている。



「遅かったね」

「マツさんからスネアのお古貰ったから取りに行ってた」

「おお、太っ腹」

「その代わり今日送り迎えしなきゃいけないんですけどね」

「飲み?」

「この間のライブの打ち上げだってさ」



 マツさん?

 首をかしげていると隣にいた滝が「同居人だよ」と教えてくれた。上條先輩はルームシェアをしてるのか。同居人、その響きがどこか大人っぽく感じて余計に先輩が魅力的に見えた。なんて単純な頭なんだろう。

 華の女子高生は、たぶんみんな頭が悪い。