買い込んだ荷物を狭い台所へ持っていけば上條先輩が重たい袋を軽々と受け取ってくれた。ありがとうと言いながら見せてくれたのはいつもの笑顔で、その笑顔にさっきのライブのステージの上で見てしまった真剣な顔が重なっていつもよりドキドキしてしまう。

 演奏が始まった瞬間、ステージに立っていたのは私が知ってる四人ではなかった。目つきが鋭くなって叫びながら歌っているボーカルも、ギターを振り回しながら演奏しているギタリストも、挑発するような動きをしては暴れるベーシストも、一人淡々とした顔で激しくドラムを叩くドラマーも、みんな知らない人たちに見えた。甘いものが好きで優しい男の子も、意外とノリがよくて毒舌な同級生も、ちょっとだけ生意気な後輩も、いろんなことを教えてくれた先輩も、全部幻だったのかもしれないと本気で思ってしまうほど、別人のようだった。それなのにステージから降りればいつもの四人に戻っているんだから、まるで魔法をかけられていたような気持ちになった。それは四人が別人になる魔法だったかもしれないし、私が四人を別人だと思ってしまう魔法だったかもしれない。でも、嫌ではなかった。たぶんライブってそんなものなんだろう。音楽が特に好きなわけでもないしもちろん詳しくもない私にはそう思えて仕方なかった。

 小さな冷蔵庫に飲み物を全部詰め込んだら袋の中には少しのおつまみだけが残っていた。上條先輩はそのおつまみをシンクの上に適当に置いたあと空っぽになった袋を持って私の背中を軽く押す。狭い台所を出るとすぐに滝たちがいる部屋へ出た。各々お酒の缶を持っていて小さな丸いテーブルを囲うように座っている。マツさんだけは開けられた窓のふちに座ってタバコを吸っていた。くゆらす煙は暗い世界に溶けていく。

 上條先輩とマツさんの家で打ち上げをするからおいでと誘われた私は一瞬も躊躇うことなく頷いて返事をしていた。今までの人生の中で打ち上げという言葉と縁のなかった私にとってそれは未知の世界への誘いだったから仕方がない。経験をしてみたかった。上條先輩が知っている世界に私も入ってみたかった。少しでいいから、近づきたいと思った。



「おらおら、なまえちゃんが座れるスペース空けんかい」

「ここら辺適当に座れるでしょ」

「っていうか上條くんとマツさんが部屋散らかしてるのが悪い」



 片手で器用にビールの缶を開けながらそう言った中村くんは落ちていたマンガを適当に部屋の隅へ追いやって私が座れるスペースを作ってくれた。そこにスカートの裾を膝の下に入れるようにして正座をする。上條先輩はすとんと私の隣に座ってやっぱり慣れた手つきでプルタブに指を引っ掛けた。ぷしゅ、と炭酸が漏れる音がして銀色の缶に小さく白い泡が浮かぶ。大人がいる場所でしか見れないその光景は妖しい魅力に包まれていてどきどきするには十分だった。
 テーブルの上にひとつ置いてあった350ミリの小さな缶ビールを菅原くんに手渡されたとき、緊張で手が震えてしまった。だけどビビってるなんて思われたくなかったから気づかれないうちに手を引っ込めて自分の膝の上へ置く。同じ350ミリのたまに飲む缶ジュースより重たく感じるのはなんでだろう。水滴で濡れた缶の側面を滑らないように強めに握り締めて上條先輩や中村くんみたいに開けてみるとツンとしたアルコールの刺激を含んだとても苦いにおいが鼻の奥に一気に広がった。コーヒーのような香ばしい苦さじゃなくて人工的な苦いにおいは不快感として頭に伝わって、思わずしかめそうになる顔を必死に押さえる。なんでみんなこれを普通に飲んでいるんだろう。飲んでみれば意外に美味しいのかな。
 唇に触れた缶の鉄の味が混ざるすっぱさと苦味が合わさったビールの味に結局絶えられなかった私は思いっきり顔をしかめて缶を遠ざけてしまった。それを見た中村くんと上條先輩は声を上げて笑って菅原くんと滝も笑いをこらえた顔でこっちを見ている。それがとても恥ずかしくて言い訳をする余裕もなく顔をゆっくり下に向けると、両手で握っていたビールの缶をすっと取り上げられた。上條先輩とは違うタバコの香りに下げていた顔を上げるとマツさんが笑いながら私のビールを手に持っている。



「冷蔵庫たぶんコーラ入ってると思うから」



 片手にビール、片手にタバコを持ってまた窓のふちに戻ったマツさんが平然と私が口をつけたビールを飲むもんだから、一気に顔が熱くなる。こんなことは当たり前なんだろうか、誰もそれに突っ込まない。
 上條先輩たちが知ってる世界にどぎまぎする心のどこか隅っこで、私はなんとなく寂しくなった。