「失恋でやけくそになってるだけだって」



 呆れた口調でそう言う滝に私は何も返さない。飲み干してしまって紅茶の海が干上がった紙パックを畳むことなくぐしゃりと握りつぶす。

 私はあれから何回かライブに行ったし、上條先輩たちの家にもよく遊びに行くようになった。まだアルコールは飲めないけどそれを恥ずかしいと思わなくなったし、打ち上げの夜はいつも楽しい。だけど、どうやらこれがこの先も続くということは無いらしい。ラインのトーク画面に浮かぶ一番上の名前を見ていたらむなしくなる。



「・・・でも諦められないもん」



 ある日の夜、マツさんの口から知らない女の人の名前を聞いた。親しげな呼び方だったから知り合いなのかと聞いてみるとマツさんはびっくりした顔のあと一瞬だけ気まずそうに表情を崩して私が知らなかった現実を突きつけた。



「・・・あっそ」



 上條先輩に彼女がいるということを知ったとき、絶望に叩き落される―――ことはなく、どこか納得さえしている自分がいた。だろうなとは思ってた、と別の私が言っていたのだ。上條先輩のことが好きなのは確かなはずなのに、高梨くんのときのような衝撃はなかった。涙が出ないという部分は一緒だけど、それ以外は特に何か大きく傷つくことはなくて、私はボーっとすることが増えることはなかったし紙パックの飲み物も上手に開けられる。景色がくすんで見えることもなかった。日常風景はそのまま、なんとなく悲しい、という気持ち。

 滝の言葉に間違いはなかった。だけどそれに返した自分の言葉にもたぶん間違いはない。始まりは高梨くんへの失恋で上條先輩のことだって自分から強制的に好きになった。友達にはしゃいで逐一報告するような熱が本当は最初からなくて無意識に作っていたとしても、でも、好きな気持ちはちゃんと本物になっていた、と思う。

 ベランダでポッキーを食べながら私の隣で何も言わなくなった滝と一緒に陸上部の練習風景を眺める。かつて好きだった彼はきらきらした汗をかいていて私の目にはとても眩しく映った。



「・・・携帯鳴ったよ。見なくていいの?」

「うん、誰からか分かってるから」

「誰?」

「マツさん」



 滝が持っていたポッキーの箱から一本勝手に取って言えば滝はその一本を取り返しながら不思議そうな顔をした。


 上條先輩の家に遊びに行くようになったら必然的に一緒に暮らしてるマツさんとも顔を合わせるわけで、いろんなことを教えてくれるおしゃべりなマツさんと仲良くなるのに時間はかからなかった。お兄ちゃんがほしかった私はマツさんと話すことが楽しかったしマツさんはそんな私を大層可愛がってくれる。家に送ってもらったのも一度や二度じゃない。だけど今はそんなマツさんが少し鬱陶しい。きっかけは私がマツさんに上條先輩のことを相談したことだった。



「見る?」

「うん」



 トーク画面を開いて滝に携帯を渡す。無表情でラインの内容を読んでる滝は私から取り返したポッキーを口に運んで画面に指を滑らせた。



「・・・マツさんも軽いからなぁ」

「そんな感じする」



 滝の言葉に頷いて返してもらった携帯をそのままスカートのポッケに押し込んだ。

 私が彼女もちの上條先輩を好きだと言ってからマツさんの態度が変わった。優しいお兄さんだったのに今は頻繁に「俺と付き合おう」とラインを送ってくるようになったのだ。マツさんは私が上條先輩のことを好きだということ知っているはずなのになんでこんなことが出来るのだろうと本気で不思議に思う。何回も「私は上條先輩が好きなんです」と送り返すせいで携帯の予測変換の最初は“私は”と“上條先輩”が並んでいる。マツさんとのトーク画面も今やそのことばかりだ。遡れば優しいお兄さんだったころのマツさんがいるのに今はただただ軽いマツさんがそこに居座っている。

 私と滝はまた陸上部の練習に視線を戻した。眩しい中にふと制服の女の子が見える。手に何を持っているかまでは見えなかったけど誰かを待っていることは分かった。よく目を凝らしていると練習している中から一人離れてその子の元へ軽く走っていく人を見つけた。その人と女の子が接触する少し前にそれが高梨くんと彼女だということに気づいて嫌気が差した。青春ど真ん中の眩しさを見せ付けられている私は好きな人に彼女がいた挙句それを知った年上の男の人にしつこく絡まれているという現実が嫌だった。
 これが本当に私のことが好きで夢中になってくれてるから届くアピールなら鬱陶しいともめんどくさいとも思わないんだろう。でもどうせマツさんは、とまで考えて不快な気持ちになった。改めて“傷心の女子高生だから簡単につけこめる”というマツさんの考えが私を鬱屈で塗りつぶしていく。



「ほら」



 上條先輩やマツさんがタバコを渡すときによくするような仕草でポッキーの箱を傾けた滝に私は何も言わず一本取る。タバコと違って甘いポッキーを口にくわえて大きなため息をついた。