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「おーい名前ー!ダッシュでこっち来てくれー!」




体育館の舞台付近で部活前の準備をしていると、私の名を叫ぶ黒尾の声が聞こえてきた。


遠方に目を向けると、私の位置から30メートルくらい先にある体育館倉庫の入口で、黒尾がひょいひょいと手招きしていた。


何か手伝って欲しいことがあるのだろうか、はたまた急ぎの用事だろうかと考えながら、私なりの全力疾走で黒尾のもとへ向かった。




「どうしたの?」


黒尾のもとまで走り着いた私が、不思議そうに尋ねる。




「相変わらずスゲー乳揺れだな。お陰で気合い入った。」


すると黒尾は自分の胸元に垂直に宛てた両掌を上下する、『胸が揺れているような仕草』をしながら、とんでもないことを発したのだ。


そんなくだらないことで、私は全力疾走させられたのか。




「‥‥目潰ししていい?」


羞恥と憤怒で今すぐにでもブチ切れたいのだが、ここは平静を装いながら尋ねる。




「いいぞ〜。名前が俺の目の代わりになって、一生介護してくれるならな。」


「じゃあいいわ。」


脅迫のつもりで放った台詞を良い方に解釈した黒尾を、うんざりとした表情で見遣る。




男が下ネタ好きなのは百も承知だが、黒尾ほど執拗にからかう奴は他にはいない。


こんな奴にこれ以上付き合ってられないと思った私はくるりと踵を返し、準備を再開したのであった。









「名前、差し入れもらった?」


部活終了後、近くの水道場で片付けをしていると、体育館入口から夜久が顔を覗かせた。




「うん、もらったよ。」


クリップボードの上に置いた、結構な量の差し入れを指差しながら答える。




「バナナもらってねーじゃん。もらってくるよ。」


「えっ、もうみんなもらったかと思って、残ったやつ食べちゃいました!」


言いながら取りに行こうとした夜久に、通りかかったリエーフが告げた。




「食べちゃいましたじゃねーよ!何勝手に食ってんだよ!」


「ギャーッッ!!夜久さんスミマセン!名前さんスミマセン!!」


夜久に回し蹴りを喰らい、リエーフが泣き叫ぶ。




「全然いいよ。よっぽどお腹空いてたんだね。」


事が荒立たないように、夜久を宥め、リエーフを慰める。


正気に戻った2人が部室へ向かう姿を見送ると、今度は黒尾がスッと私の隣にやって来た。




「なァ名前。俺のバナナ食うか?」


「いやいいよ。クロ食べなよ。」


黒尾の気遣いはありがたかったが、選手の分を食べる訳にはいかないと思った私は気持ちだけいただいた。




「あ〜、そのバナナじゃなくてな、このバナナの方だな。」


下を俯きながら話す黒尾に、まさかと思いながら目を向けると、黒尾の視線は黒尾自身の下半身に注がれていた。



‥‥そっちのバナナを食べろというわけね。




「再起不能になるぐらい噛みちぎればよろしいでしょうか?」


『こいつはそういう奴だった』と蔑むような目で、力なく冗談を言う。




「お〜、名前はサディストか?」


「違いますー。早く部室へ行ってくださーい。」


感嘆の声を上げる黒尾を追い払うよう、しっしと片手で払う。




「まあそう照れるなよ、手取り足取り教えてやっから。」


ニヤニヤとした表情で黒尾が迫り、逃げても逃げても執拗に近づいてくる。




「ほんとしつこい!」


我慢の限界に達した私は、顔を近づけた黒尾の頬に、バシンと平手打ちをした。




平手打ちが効いたのか、突然のことで驚いたのか、黒尾の動きが停止した。




『平手打ちは流石にやり過ぎだったな』と反省した私は、謝ろうと口を開いた。




「‥‥クロごめ「キタ。名前からの最高のご褒美。」


私の言葉を遮って、マゾの素質をうかがわせるような発言をした黒尾。


その黒尾の表情が、私にはどこか恍惚としているように見え、ブルっと身を震わせた。




「‥‥‥‥ドMかよ。」


「名前の所為でそっちに目覚めたのかもな。責任取れよ?」


冷ややかな視線を向ける私に、目線を合わせた黒尾が意地悪そうな表情を浮かべる。




「どうか他当たってください。あっ、研磨。」


救世主の如く通りかかった研磨を呼び止めた私は、先ほどの一部始終を簡潔に説明した。


聴き終えた研磨は、私の気持ちを代弁してくれたかのように『流石にそれは気持ち悪い』とゴミを見るような目で黒尾を見つめたのであった。