背中を追う


荒い息が聞こえる。

そう勿論私からでた息だ。なぜこうなったのかは分からないが、軽率な私の一言だったという事は理解している。


"偶には坂とか登ってみるのもいいかもね"


ふと、土曜の部活終わりに呟いた言葉。それを幸運にも受け取ってくれたのは真波だった。

"じゃ、みょうじさん今から一緒に行きましょう"

と私を引っ張る様に部室を出たのは何十分前の事だろうか。他のみんなが哀れみの目をしていたのは印象的であった。




そりゃこんな部に所属しているのだからロードは乗れる。でもあくまで趣味の範囲なのだ、インハイで優勝を争う彼と走れる訳がない。そりゃ真波はペースを相当落としてくれてはいるのだが、こちらにとっては全開だ。

私の隣を走る真波は"綺麗な夕焼けですねー"と空を見ながら穏やかに笑っている。私はそんな綺麗な夕焼けを見ている余裕もなくただペダルを回すだけだ。

「…でも、まさかみょうじさんとこの道走れると思いませんでした」

"まさかでした"
そう不思議な事を続ける真波。不思議ちゃんの不思議な部分を考えても無駄であろう事は理解している。そんな言葉も一瞬にして真波の発言は頭の隅に追いやった。

「…真波、っ…はぁ…やっぱ凄いね…速い…」
「えー、そうですか?ペース落とします?」

息も絶え絶えに、斜め前を走る真波に話しかけると、首を傾げながら笑顔で余裕の一言が返ってくる。

夕日を背負う真波はどこか儚げで、そのままどこかに行ってしまいそうな危なさ…あぁ、それは真波の魅力でもあるのかもしれない。
それなのに実は頼もしい背中の持ち主だ、今はそんな背中を追うようにここまで登ってきたのだった。
登ってきた道を振り返るともう充分なのではという気持ちになる。遠くに霞む箱学校舎が此処までの道のりの厳しさを物語っていた。





ギシっと鳴る私のロード、ふくらはぎは引きつりそうだし、太ももは乳酸が溜まりまくっている感覚。
滴り落ちる汗が、フレームを伝って路面に落ちた。ジワっと広がる黒い染みは私の限界を示している様だった。

「はぁ…ぁ…はぁ…、ま、
…まなみ、待って…も、限界」

息も絶え絶え足をペダルから外して、フレームに跨り路面に足をつけた。真波はそんな私に気付いたらしくサーッと軽やかに私の位置に戻ってきた。

「はぁ…はぁ…もう心臓破れそう…」
「わぁ、みょうじさんヒドイ顔ですね」
「…失礼でしょ…」
「えへへ、でもみょうじさんが生きてる感じがします」

そう言いながら、"どうぞ"とドリンクを渡してくれるのでギュッと喉めがけて押し込んだ。熱い喉を温い水分が通り抜けていく。
あぁ、これ間接キスだな…なんて頭の片隅でそんな事思ったけれど、真波はそんな事を気にしそうもないだろう。

「っ…私、生きているの知ってるから、もうこれ以上の生きてる感は…はぁ…必要ないよ…」
「みょうじさんはそうでしょうね」

アッサリと突き放すような台詞もなに食わぬ顔をして言う真波だ。それはそれで離れそうな距離が寂しい気がしてならないわがままな先輩だ。

「俺、みょうじさんとここまで走れて嬉しかったです」
「あぁ、そう…じゃ、もう戻ろうよ、時間も時間だし…」

ロードに寄りかかる様に俯けば路肩の小石が気になる。会話をしながら、その小石を足先で蹴った。

「みょうじさん、顔上げて。そして頂上まで少しです、走りましょう」
「え、」

こいつは何を言ってるのか。私は限界なのに…!グリップを握る手に力が入る。
そんなに軽く言わないで欲しい、ここまで私は全開に走ってきたのに。いや、確かに軽率だったけどちょっと坂登るつもりなだけだったから。人並みに苛立つ気持ちが湧き上がる。

文句の一つも言ってやろうとして顔を上げた。



"チュッ"

僅かな音と共に目の前にはいつの間にか真波の顔があって、唇に軽く押し当てられた柔らかいもの。そして伏せ目ながちな目と目が合った。

「…奪っちゃいました」
「…!?」

意味有りげに低い声で呟く真波に、訳分からず、言葉にならない私。なぜキスをされたのだろうか聞きたいのに言葉は出てこなかった。ざわつく胸のうちなんてこいつは知らないだろうし、知っても欲しくはない。

私のざわつき知らずに、真波は何食わぬ顔をしてペダルに足をかけた。

「じゃ、頂上で待ってますから」

"勿論走れますよね?"

空耳が聞こえた気がした。私もペダルに足をかけるまであと数秒。













(紗羽様より書けるのではないか?#タグから 真波)