あめふり
灰色の冷たい空気が漂う冬の雨。
目立つ鮮やかな緑色のコートを羽織った玉虫色の彼は、雨粒が傘を叩く音をBGMに家までの帰路を歩いていた。
片手にはスポーツ飲料のはいったビニール袋を下げていることから、買い物帰りなことがうかがえる。
しかし、どうしても必要な買い物かといえばそうではなく、雨の中散歩にでかける口実に使ったようなものだ。
巻島は雨が好きだった。
服が濡れることや、奇抜な色をした髪がいうことを聞かなくなることは億劫だったが、雨の雰囲気はお気に入りだ。
また彼自身、雨音の喧騒によって醸し出される静けさに馴染んでしまうくらいには雨が似合っていた。
だからつい雨の降っている暇な日は適当な用事を作って、新しい靴が汚れることに眉をしかめながらも出かけてしまう。
特に休日の午後は雨が降っていると人通りが少なくなる。
あまり人ごみが得意ではない彼にとって、絶好の散歩日和というわけだ。
今日も鬱陶しい髪を耳の横でまとめ、服にかかる雨水を気にしながら、例外なく雨の散歩を楽しんでいた。
水のたまっている場所を丁寧に避けているところを見ると、楽しんでいるようには見えなかったが、好き好んでこの状況に身を置いているところが非常に彼らしいところだ。
ふと、足元に集中していた視線を上げると道のT字路になっている突き当りの道を見覚えのある女性が通る。
ふんわりと色づく頬に、柔らかそうな髪が、以前嗅いだ彼女の甘い香りを思い出させ彼の心臓を跳ねさせた。
それはまさしく彼が幼い頃から恋心を抱いている、近所のみょうじなまえだった。
彼女は巻島より5歳程年上だったため学校などで会話することはなかったが、彼は気づいたときには彼女への思いを密かに募らせていた。
近所に住んでいるためよく見かけるし、お互い目が合えば挨拶を交わし、時間があれば世間話をするような仲だ。
要は、よくあるご近所付き合いをしていた。
これといって長い会話をするわけでもなかったが、幼い頃から彼女は彼を見つけるとニコニコと笑いながら声をかけてくれる。
近所に住む年上の女性というのは概ね憧れの対象であって、それが続くのはせいぜい中学生くらいなものだが、今でもニコニコと声をかけてくれ、特に子供扱いするわけでもなく、対等に会話をしてくれる彼女に対して彼はいつまでたっても憧れの念をぬぐい去ることができないでいた。
自分がもう少し早く生まれてくれば、彼女との距離を縮めることができると思うこともあったし、その逆だって考えた。
会うことが約束されていない道のりで偶然に顔を合わせるよりも、学校という限られた空間で毎日彼女に会っていたら彼女のことを苗字ではなく名前で呼ぶこともできたのだろうか、と想像逞しくすることだってあった。
それほど、彼は彼女を好いていた。
しかし、目の前を通るみょうじは巻島にひだまりのような笑顔で微笑みかけてくるわけでもなく、彼の存在に気づくわけでもなく、少し濡れている肩を気にも掛けずに同じ傘の下にいる男と仲睦まじげに歩いている。
いかにも世の中の女性が好みそうな誠実そうで優しそうな男と身を寄せ合っている。
思わずその場に立ち止まった彼は、いつも目ざとく自分を見つけてくれる彼女が、一向に気づく気配もなく曲がり角に消えていくのを見守ることしかできなかった。
考えを急ぐなと、言い聞かせてみても自分に向けられることのない、みたこともないようなとろけた顔を見る限りそれは、自分が彼女を思うときの表情にもよく似ていて言い訳ができない。
シンプルなコートの裾からのぞく清楚そうな膝丈のスカート、雨なのに綺麗なハイヒールという出で立ちはいかにもデートに浮かれる様子を彷彿とさせた。
どのように整理しても行き着く先は、失恋という二文字でじんわりと左足が冷たくなるまで、彼は水溜りに片足を突っ込んでいることにさえ気がつかなかった。
顔をしかめながら気を紛らわせるように雨水で濡れてしまった片足をぷらぷらと振り水をきると、誰もいなくなった突き当りの道に視線を戻す。
気持ちが大きく揺れ動くことを好まない彼は、嫌な鼓動を続ける心臓を落ち着けようと大きく息を吐いた。
「…まぁ、そうだよな。」
まるで物分りのいい大人のような態度を取りながらも、彼は雨の日を嫌いになりそうだった。
失恋日和
そして彼は水溜りを選んで歩き始める
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