長い船旅で忘れていた。完全に油断していたがこの男、モテるんだった。お頭みたいな少年らしさで母性本能をくすぐることはないし、副船長みたいなプレイボーイでもない。それでも彼は所謂人タラシと言われる部類に入るんだった。
四皇の幹部ともなれば当たり前に強くて、船医をしているだけあって地頭がいいし面倒見もいい。同業相手でなければ海賊とは思えないくらいに人当たりが良く、買い出し先では大体気に入られる。それでいて容姿だって文句のつけどころがないのだ。鍛えられた身体は勿論、ただでさえ整っている顔に普通ならマイナスイメージにしかならない左目の上にあるキズだって、海賊である彼にとってはステータス。ちょっと悪くて強い男を想像させるスパイスでしかない。もっと言えば戦闘中、一瞬にして相手の武器をバラす姿は何度見ても惚れ惚れする。絶望した敵の顔も相まって、この人世界で一番カッコいいのでは?と錯覚するくらい。いや、実際に物凄くカッコイイんだけど。
結局何が言いたいかってホンゴウはモテるのだ。それも、夜のお店の人だけに留まらないどころか寧ろ――言い方は悪いが――その辺の女の人にモテるのだ。そう、今回だって。
一週間前に着いたこの島は物資補給ができる店が揃い、歓楽街が栄える処だった。服や食材、雑貨や本に煙草や女。買い出しを終えたクルーたちは思い思いに島を満喫し、大きな酒場で宴に明け暮れる日々を過ごしている。金払い良く襲いもしない海賊に気を良くしたのか、初めこそ身内で盛り上がっていた宴は次第に人数が増えていった。最近では赤髪海賊団と飲むためにこの店に通ってる人もいるらしい。元々の常連や冒険話を肴に酒を煽る各店の店主らとその息子たち。そして娼館の綺麗な女性に街の看板娘たち。飲めや騒げや歌えや踊れや。海賊島民入り混じる様相は七日目ともなれば見慣れたものだった。勿論、万年片思いをしている相手の隣にいつも同じ女の子がいることもだ。
買い出し先の薬屋にいた女の子。珍しい薬の数々に目を光らせるホンゴウにたどたどしくも丁寧に、ひとつひとつ効能や用法用量を教えていたあの子。細くて白い四肢にまろい肌。吹けば飛んでいきそうな守ってあげたくなる女の子。死ぬ気で人を殴ったことも殴られたこともないだろう。
頬を赫らめ「カッコイイです」だなんて、傷一つ無い手を口元に添え隣の男と話す姿は海賊として生きている私とは正反対だ。
まだ赤髪海賊団が結成したての頃。前代未聞の女クルーとなった私は、ガサツで横着で横暴な野郎どもに普段の威勢はどこへ行ったかと聞きたいくらい、それはそれは丁寧に扱われた。「私だってここのクルーで戦闘員。甘く見ないで」だなんて言っても雑務をこなしていると重いものは奪われ、宴では代わる代わる私の隣に座っては「大丈夫か?無理するなよ」と声をかけてくる。「女の子なんだから」「女は可愛がられとけ」そんな風に扱われる日々。所謂女の子扱いが嫌なわけではないが、気を遣われていることがあからさまで。私だって、私だって赤髪海賊団の一員になったんだ。みんなと対等に扱われたいし男女とか関係なく仲間としてともに過ごしたい。
とある日、摂取しすぎたアルコールのせいで緩くなった口からそんな面倒くさい思いが零れると、お頭は「そうかそうか、わかった!」と複雑そうに、それでいて嬉しそうに笑った。あぁ、何だ早く言えばよかったのか。心が少し軽くなった気がする。小さく「ありがとう」と呟くと、何かを察したホンゴウが近寄ってきた。
「じゃあお前、船医目指してみねェか?」
「……なぜですか??」
突然横から入ってきた上に全くもって何が「じゃあ」なのか分からなかった私は声の主を見上げパチパチと瞬きを繰り返す。
「いいじゃねェかそれ!せっかく面倒見られるなら可愛い子の方がいいもんなァ」
「アホかお頭、そういうことじゃねェだろ」
「いや、本当に話が見えないんですけど」
ニヤニヤと無精髭を触りながら横槍を入れてきたお頭はホンゴウに軽くどつかれている。さっきちょっと尊敬したのにそれは撤回だ。本当はこの人何も分かってないんじゃないのか。
全くもって流れを理解していない私に流石に言葉が足りないと思ったのか、急に2人は真面目な顔をして説明してくれた。買い出しくらいでしか重いものを持つことはないため、そもそも気を使われる場面が少ないこと。何より船員が増えてきた今、船医一人では回らなくなってきたことを中心に説得され「名案だろ?」と裏表ない笑顔を向けられ断れる人などいるのだろうか。
今なら、あの頃の皆はただ単に新しく入ったクルーを可愛がりたくて、どうにか世話を焼きたくて仕方がなかっただけだと分かる。敵対する海賊でも無ければ夜の女でもない同じ船に乗った仲間。そんな女にどんな話を振ればいいか分からない不器用な男たちは、どうにか接点を作って私と関わろうとしてくれたのだろう。船医を勧めてくれたのも他の作業員に比べて満遍なく関わることが出来るからだろう。ホンゴウはもちろん、あの時はちゃらんぽらんに見えたお頭も私のことを考えてくれていたのだ。
翌日から私の仕事は雑務から船医に変わった。とはいえ傷ができたら絆創膏を貼るくらいの知識しかなかったので、ホンゴウに船医として必要な知識をゼロから教えてもらうところから始まった。押さえるべき手当の方法からメジャーな病気とその対応法。赤髪海賊団の船医といえば必須とも言える二日酔いの薬の調合方法。鍛錬の合間を縫っては本を読み、戦闘で傷を作っては自分に実践することを繰り返せば必然的に教えを乞うためホンゴウとの時間が増えていく。面倒見が良くてたまに意地悪な気のいいお兄ちゃん。初めはそんな印象だったけれど、彼の優しさに触れ続ければ特に大きい理由はなくとも彼を好きになるのは時間の問題だった。
強いて決め手を言うなら戦闘中、ちょっとしたミスで銃を突きつけられ死を覚悟したあの時。
「それ持ってたら勝てるとでも思ったのか?」
突如現れ、いつもの武器を宙に放ったホンゴウは自由になった両手で瞬く間に銃をバラバラにしてみせた。何事もなかったかのように再び棒状の武器をキャッチして一言「まだ行けるか?」と聞いてくるその一連の鮮やかさにノックアウト。今ここで消えそうだった命を繋いでもらったからか尚更カッコよく見えて。「男女とか関係なく、仲間として接してほしい」そう言ったことを後悔し始めたのはこの頃からだ。そして、ただ好きだという純粋な感情だけでは収まらなくなってきたのもこの頃からだ。
陽の光を浴びて始まった宴は闇夜に包まれ、幹部の集まる卓には妖艶な女が揃っていた。ちらりとホンゴウの方をみれば、片側には変わらず薬屋の女の子。そしてもう片側には娼館の綺麗系のお姉さんが増えている。
「今日は綺麗系かぁ……ベタベタ触られて鼻の下伸ばしてやんの……」
「お姉さんも懲りないねぇ、嫌なら見なきゃいいのに」
「気にしないって思えば思うほど目に入るもんなのよ」
それに私だって本当はあんな風にホンゴウに接してみたいだなんて彼女たちを羨ましく思うの。そう零せば「ほんと、複雑だね」とお決まりのセリフを返された。
この酒場で宴をするようになり、カウンターが私のお決まりの場所になった。バーテンダーの彼は毎日私のくだらない愚痴に付き合ってくれている。日に日に雑な扱いになっているけれど、話を聞いてくれるだけでも儲けもんだ。
「そんなに好きなら言っちゃえばいいのに」
「そう簡単に言える状況なら苦労してないわよ……」
私は只のクルーを望んだ女で、いつ死んでもおかしくない生活を送る女だ。そして、そんな環境で想いを伝え愛を囁き合う覚悟のない女。あっちの傷ひとつない身体をしている子達とは到底異なるわけで。薬屋の女の子の純粋さを目の当たりにする度に、娼館の女が触れる度に。そして何よりホンゴウがそれぞれに向ける手と瞳に。自分には無いものと自ら手放したはずのそれに、飲んでいたアルコールが胃の中で沸騰するかのような感覚が襲いかかる。私以外に優しくしないでよ、なんて言えるはずもない。それならば彼の知らないところで、泥のような嫉妬心と醜い憧れを吐露することくらい許してはくれないだろうか。これは私の自己防衛なのだ。熱を中和する冷たいアルコールと口から溢れる戯言でしか、この身を守る術を知らないのだから。
「……おれ、今日はもう上がりなんだよね。良かったらこの後一緒に飲もうよ」
一通り仕事を終えたのかエプロンを外しながらカウンターの向こうからこちらに向かってくる。迷いはしたけれど、正直悪い気はしなかった。毎日話を聞いてくれて、美味しいお酒を作ってくれて、この一週間心の拠り所だった男からのお誘いだ。「落ち着いて飲めるいいとこ知ってんだ」と楽しげに語る様子に寧ろ私なんかでいいのか、という感情が湧いてくる。あくまで私は海賊で、その上一方的に好きな男の話を聞かされてるだけだったのに。
「それに、そろそろアレ見続けるの限界なんじゃない?」
手元のグラスを見つめ、なんて返そうか言葉を選んでいた時だった。彼の言葉にハッとして顔を上げれば、はだけた胸元をしなだれかかった綺麗なお姉さんに触られ、当の本人は相変わらず顔を赫らめている薬屋の女の子の頬を撫でていた。グサリと心臓をナイフで一突きにされたような感覚。または胃を力の限り握り潰されたかのような感覚。胃の中で沸騰したアルコールが出てきそうだ。迫り上がってくるものを押し込むかのように残りのお酒を一気に飲み干す。「ごめんね。見たくなかったかもしれないけど、お姉さんのことだから知らないのはもっと嫌かなって」そう伝えてくれたバーテンダーの彼は私のことをよく分かっている。一週間毎日喋っていたらそんなもんなのだろうか。
「お姉さん可愛いからおれが一緒に飲みたいの、ダメ?」
呆然として固まっていた意識は、空いたグラスを下げようと私の手ごと包んできた彼の手によって引き戻された。グラスで冷えた手と冷え切った感情が彼の手のひらによって熱を取り戻していく。ホンゴウにはない可愛さとは裏腹に硬い指の腹で手の甲をなぞりながら「おれと楽しいことしようよ、あんな男忘れさせてあげる」と囁く声は天使か悪魔か。
「少し待ってて、すぐに戻ってくる」
「……うん」
コクリと頷いた私を見届けてからバーテンダーの彼はグラスとエプロンを手にスタッフルームへと消えていった。
楽しいことってやっぱそういうことなのだろうか。経験が無いわけじゃないけどホンゴウのことを好きだと自覚してからはどうも乗り気になれなくて。久しぶりにまぁいっか、なんて思える人に出会ったことでソワソワしてしまう。
「なァお前、アイツと何話してたんだよ」
「わぁっ!」
完全にこの後のことが頭を占めていたせいで、声をかけられるまで隣にホンゴウが来たことに気が付かなかった。
「そんな驚かなくてもいいだろ。ンでどうなんだよ」
「いいお店知ってるから一緒に行こうよって誘ってもらったの」
だから私、もうちょっとしたら抜けるから。そう伝えればあからさまにホンゴウは顔を顰めた。「だからそんなにソワソワしてンのか」と不機嫌を隠すことなく聞こえるか聞こえないかギリギリの大きさで呟く男に、やっぱり私はあの女達のような扱いはしてもらえないのだと実感してしまう。
「なんか言いたいことあるなら言えばいいじゃん」
「……この店の奴ならここで飲み続ければいいじゃねェか」
「別に、ホンゴウには関係ないでしょ」
「いいや、関係あるね」
「タイプの違う女の人両手にデレデレしたたくせに」
「……それは男の性ってもんだろ。ンだよ、妬いたのか?」
「妬いた、ホンゴウのこと嫌いになるかと思った」
あ、と思った時にはもう遅くて。しまった、口が滑った。考えるよりも先に口が滑るのはいつもの癖だけど、これはアルコールを摂取しすぎたせいだきっと。こんなの、ホンゴウのことが好きですって言ってるようなものじゃないか。終わった。目の前の男は一瞬驚いたような顔をした後、さっきの険しさは何処へやら、顔が完全に緩んでいる。
「それは困るな、お前にはおれのこと好きでいてくれねェと」
「だからアイツのとこ行くなよ」なんて声は今まで聞いたことがないような甘さを含んでいた。何これ。私の知らないホンゴウがここにいる。いつも酒の席では遠くから見ていたから、女を口説くときの声色なんて聞いたことがなかった。その姿を見たことはあっても私に向けられたことは今まで一度たりとも無いのだ。絶対コイツも酔ってる。ふつふつと得体の知れない恥ずかしさと弄ばれている悔しさが襲いかかってきた。
「っ、ハァ!?じゃあ私だって女の性だもん。一人寂しく飲んでるより、蝶よ花よって扱ってくれる方がいいに決まってるし!」
「……なんだ、てっきりそういう扱いは苦手かと思ってたわ。昔、女の子扱いしないでって言ってたろ?」
「そ、そんなこと言ってない……苦手だけど、嫌とは一言も言ってないし……慣れてないだけで、嫌いではないもん……」
好きな男にチヤホヤされて、嬉しくない女がいてたまるか。自暴自棄に吐き捨てた言葉は「……じゃあ、遠慮なくいっていいってことだな?」なんて丁寧に拾い集められる。その言葉をきっかけに、バーテンダーの彼に触られた箇所を上書きするかのよう、ホンゴウの右手が私の両手を包んできた。この男、絶対少し前からこっち見てたでしょ。
「離してよ馬鹿ホンゴウ。いつ死ぬかも分からない私より可愛いあの人たちのとこにさっさと戻ったら?」
「おれにとってはお前が一番可愛いし離すつもりも死なせるつもりもないンだけどな」
「んなっ……!タラシめ、このスケコマシ」
「スケコマシは納得できねェがこの際なんとでも言え」
「ッ開き直ったよこの男……」
「確かに人タラシってよく言われるけどよ、何も覚えがないンだよな。そもそも、おれがタラシこみたいのはお前だけなンだけど」
さっきまで嫉妬という熱で沸騰していた胃の中が別の理由で沸騰しはじめる。
「……さっきまであっちの女の人達にいい顔してたくせによく言う」
「あのな、いい気だったのは最初だけだぞ?だんだん娼婦は執拗くなるし、薬屋の女は連日の飲みすぎで熱出すし」
特に薬屋の子は前に店行った時に良くして貰った分足蹴にできねェからタチ悪ィっーの、なんて言う顔は若干面倒くさそうだ。いつも二日酔いのお頭を相手する時のような、そんな感じの顔だ。
「……ホンゴウが私の事好きなんて知らなかった」
「それはこっちの台詞だし、誰かさんのことを思って言うつもり無かったからな」
「あのー、お取り込み中悪いんですけど、おれの立場どうしてくれるんスか?」
いつの間にか私服に着替えて戻ってきたバーテンダーの彼はニコニコしているが目の奥底が笑っていない。しまった、今度はこっちを忘れて存在に気付けなかった。そういえばさっき彼の誘い文句に頷いたんだっけ、どうしよう。
「こいつ、おれが連れてくから」
「……でしょうね。ハァ、いい子紹介してくださいよ」
「あの子とかどうだよ」
必死に断り文句を捻り出そうとしていたが、想像以上の直球をホンゴウがぶつけていた。それにホンゴウが指してるあの子って、あの女の子って。
「え、あの薬屋の子明らかにホンゴウのこと好きじゃん」
「わかってるっつーの、それよりおれはお前が大事なんだけど?それに海賊なんかと付き合ってもろくなことねぇよ」
「お兄さんと付き合ったらろくな事ないんだって。お姉さん大丈夫?」
「いや、そこはコトバのアヤだろ!?」
バーテンダーの彼の一言に慌てふためくホンゴウを見て、「そうそう、ホンゴウはこうでないと」なんて思う。調子に乗るから絶対に言わないけれど、カッコつけなくたってそのままの、素を好きになったんだから何したって変わんないのだ。
「さっきも言ったけどよ、お前にはおれのこと好きでいてもらわなきゃ困るんだって」
いつもはこう、かき混ぜるかのように頭を撫で回すくせに、壊れ物を扱うかのような手つきで撫でてくる。あぁ、調子が狂うじゃないか。
「言い忘れてたけどそこの薬屋の女の子、体調悪そうだから気をつけろよ」
「アンタその介抱おれに押し付けるつもりでしょ……」
バーテンダーの彼とそんな会話をしている間も片方の手は私の頭に、もう片方の手は未だに私の両手を離してくれない。お前の面倒はおれが見てやるから安心しな、とか言ってるけどそういう問題ではない気がするのは私だけなのだろうか。
これ以上何を言っても無駄だと感じ取ったのか「よかったですね、お姉さん。あとはご勝手に〜」と手をヒラヒラさせて何処かへ消えてしまった。暫くしたら濡れタオルを持って現れたらしいからそいういことだろう。
「さて、店出るか」
「えっ行くあてあるんですか……?」
「無くはねェよ。それともおれじゃ不満か?お嬢さん」
このままでは絆されてしまう、なんて思ったけど私がこの人を、この人が私のことを好きなら何も問題ないのか。あの時沸騰していた泥のようなアルコールは全て飛んでしまった。質問に答える代わりに握られていた手を解き、彼の服の裾を掴んで「早く行こう」とだけ呟く。腹の底には懐かしい、あの純粋で澄み切った気持ちだけが残っていた。