楽単だと教えてもらった教科は仲良くなったグループで私だけ抽選落ちして、渋々選んだ火曜二限の授業。高確率でアイツが出席する必修科目の授業。楽単を逃し孤独を与えた神様を呪ったのは一瞬だった。
ここ最近心の住処を荒らすアイツとの関係は、たまたま初回の授業で隣になり「ゴメン、ペン貸してくれねぇ?」と人懐っこい顔でお願いされたのがきっかけで。それ以降バスケ部の都合で来れない時以外は必ず隣に座ってくるもんだからよく話すようになり、いつの間にか名前で呼び合う仲にまで進展した。それでも関わりがあるのはこの授業だけで、連絡先も知らないから授業に現れるかなんてその日になってみないとわからない。
来るかどうかわかんないけれど念の為、なんてさりげなく鞄で隣の席をキープするのは惚れた弱みだ。一緒に受ける約束なんてしていなくても毎回隣の席に座ってくるし。期待なんてしてないけれど、いつもギリギリに現れるから席無いと可哀想だもんね。そう鞄からノートを取り出し言い訳を重ねたところで右隣に影が落ちた。
「おはよ、ここいい?」
「おはよー。うん、大丈夫だよ」
直前まで練習してから授業に来たのか、いつもはキッチリと整えられている髪型が今日は少し前髪の辺りが崩れている。思えば初めて一緒に授業を受けた時もそうだったっけ、なんて鞄を退けながらジーッとリョータを見ていると人差し指でポリポリと頬を掻き始めた。
「そんな見られると恥ずかしーんだけど、オレ何か変?」
「あっゴメン、全然!髪の毛ちょっと崩れてていつもと雰囲気違うなって」
「うわーやっぱ崩れてる?急いで来たからそのまんまなんだよな」
慌てて鞄から鏡を出して髪を整える姿はちょっと滑稽なのにカッコいいんだから狡い。慣れた手つきで乱れた髪をまとめあげ、バッチリ決めたリョータは「これでカンペキ」なんて得意げな顔で何故かこちらを見てくる。
「紗梨ちゃんはリップの色変えた?」
「えっ、うん、変えたけど……変?」
「チョー似合ってる。この前のピンクっぽいやつもいーけどオレはこっちのが好き」
日によって化粧変えんの女子ってマメだよな〜って言うリョータもマメだと思う。今日みたいなリップの他にも少し切った髪の毛だって、気分で変えたワンカラーネイルにだって気がつく上に褒めてくれるんだから相当マメだ。これだけ女子の気がついてほしいポイントを全部拾ってくれる男なんてなかなかいない。それに目を見てこんな言葉を吐かれて照れない女がいるなら教えてほしい。
「〜ッ高校生の時モテたでしょ」
「いや、そんなことねーけど……まぁ2年のインハイ後からはちょっとだけ……」
当時のことを思い出したのか、隠しきれないニヤケ面が彼の顔を覆った右手の隙間からチラチラ見え隠れする。
「でもそん時はずっと好きな人いたし、何よりバスケが大事だったもんなー。色恋沙汰なんて何もなかったケド」
「そっか、リョータってずっとマネージャーの人好きだったんだっけ」
「えッ!なんでマネージャーって知ってんの!?!?」
「そりゃリョータ、軽く有名人だからね」
照れたり真面目な顔をしたり驚いたり、くるくると表情を変えるリョータは本当に見ていて飽きない。こうしてると普通の男子と何ら変わりないけれど、実際は高校バスケで結果を出しスポーツ推薦で大学に入ったような男。リョータの近くにいて彼の噂話をしない人の方が少なかった。だからリョータがマネージャーにずっとほの字だった話は周知の事実で。
「いいなぁ、羨ましい。三年間ずっとでしょ?」
「まぁね」
「そんなにも誰かに夢中になってもらえるなんてさ、中々ないじゃん」
「でも紗梨ちゃんだって好きなヤツくらいいただろ?オレはソイツのが羨ましーけどな」
呑気に嘘か本当かわからない言葉を吐くこの男は知らないだろう。確かに高校生の時、私の心には一人の男が住み着いていた。そして私がリョータと初めて会ったのはこの大学ではない。まぁ、会ったと言うと語弊はあるかもしれないけれど。
▽
「今年のバスケのインハイ会場すぐそこだって!」
高二の夏、ミーハー心満載の友達に半分連れ去られる形で見に行ったインターハイ。折角なら強いチームが見たいという彼女の言いなりになって最強山王目当てに試合会場へと駆け込んだ私たちは有象無象へ溶け込んだ。
詳しいルールはわからなかったけれど、目まぐるしく変わる戦況に思わず息を飲む。これまで見たことのなかった世界に釘付けとなり、気が付けば誘ってきた友達よりも夢中になっていた。山王、湘北どちらのチームを応援するなんて考えていなかったけれど、やっぱり目を惹かれる選手はいるもので。そう、あの試合の後、私の心に住み着いたのは山王のエース沢北栄治でもそれに張り合う流川楓でもなく、コートの中で一際小さい男がドリブルで道を切り拓く姿だった。それも、心の隅っこどころかワンルームの一角に彼専用のスペースができるくらいの占有率だから笑ってしまう。
友達と別れた後の帰り道、一番近い本屋へと駆け込み月刊バスケットボールのインターハイ特集を買ったのは私だけの秘密だ。勿論その後インターハイの結果が載った雑誌も買ったし、何なら湘北の載ってたページは切り抜いて保管した。リョータが新キャプテンとして紹介されていた号は、その一コマを切り抜いて好きなアイドルのプロマイドの下に隠して学生証に挟んでいた。
バイト禁止の高校生活、お小遣いだけでは試合を見に遠征なんて出来なくて、冬の選抜と翌年の全国大会はその期間だけスポーツ配信アプリに課金して湘北の試合は全部チェックした。
たった一度だけ生で観た男にあまりにも心を占領されていた高校生活の約半分。それ故、まともに恋愛なんてできるはずもなかった。流石にこのままではマズい、いつまでも現実味のない恋愛ごっこをしているワケには、なんて考えてリョータへ抱いていた擬似恋愛感情は大学進学とともに綺麗に片づけようと決心したのだ。心のワンルームから彼の存在を少しでも消すため、春から始める一人暮らしの新居に彼の切り抜きを持ち込むことはしなかった。
▽
入学して数日、風の噂程度でリョータがこの大学にいることを知った私は飲んでいたコーヒーは零すし友達に話を振られても上の空で散々だった。「ごめん、なんだっけ」と聞けば「今からバスケ部の試合見に行くんだけど一緒に来る?」だなんて。本当はリョータの姿を生で見たくて堪らなかったけれど、そんなものを見たらまた私の心のワンルームがリョータの荷物で一杯になってしまうことは分かりきっていたから泣く泣く断ったのだ。
それなのに、接触を避けてきたはずだったのに、この授業で隣の席にリョータは現れたのだから目を疑った。それはありきたりだけど、本当に心臓が飛び出ちゃうんじゃないかって思うほどの衝撃で。雑誌の切り抜きでも画面越しでもない本物のリョータは、あの日綺麗に片付けたはずの感情をよりリアルにしてやっぱり心のワンルームを滅茶苦茶にしていった。
必死に何ともないフリをしたけれどあの時貸したペンは何だか勿体なくて、リョータに貸して以降自分で使うことができていない。そして、バスケをしているリョータと雑誌のインタビューから垣間見るリョータしか知らなかった私の、彼の常時を見たら幻滅するかもしれないなんて考えは一瞬にして蹴散らされた。
要するにこの男はいもしない、というよりは自分自身を羨ましがっていて。そんなこと言われてしまえば噂に聞いたマネージャーとは全くタイプが違う私でも、もしかしてなんて情念が溢れそうになってしまう。こっちはリョータが私のことを知る前から拗らせてるんだ。自分の気持ちを伝えるつもりなんてないけれど、一般人から少し逸脱したリョータのまわりにはこんな女もいるって思い知ってほしいのも事実で。
「リョータさそういうこと言ってると勘違いされちゃうよ?」
「本当に思ってんだからいーじゃん」
「だからそういう所だって……。それに褒めてもらえるのも嬉しいけど程々にしないと余計に勘違いされちゃうから気をつけないと」
「……別に誰にでも言ってるワケじゃねーし勘違いしなくていーし」
「……えっ、まって、それって、どういう、」
「てか紗梨ちゃんだってこの前うちの部の先輩に告白されたんだろ。そのくせこうやって、いつも席取ってくれるの勘違いするけどいーの?」
何でその事を知ってるのかっていうのは一旦置いておくとして。揶揄ってるでしょ!って言おうとしたのにリョータの顔はいつになく真剣だった。そのくせさっきバッチリとセットした髪のせいで丸見えの耳は赤くなっているなんて狡くないか。つられて私の顔もジワジワと赤くなってるだろう、さっきまで適温だった教室がめちゃくちゃ暑く感じる。
「……先輩の告白は断ったよ、好きな人いるからって」
「エッ紗梨ちゃん好きな人いるの……」
さっきまで私の好きな人を羨ましいと言っていたのに、今はショックですと言わんばかりにすーっと目に涙を溜めていくリョータ。もしかして、もしかして本当に押せばいけるんじゃないだろうか。自惚れてもいいんじゃないか。心の中は今までで一番とっ散らかっていて人様に見せられるようなもんじゃないけれど、こうなったらもう勢いだ。
「す、す、好き……なのは高二の時からなんだけど、仲良くなったのは最近で……あと、たまに授業一緒に受けてる、かな……」
「は、何それ、ずっと同じ人好きとか人のこと言えねーじゃん。大学も同じとかソイツ羨ましすぎでしょ」
「まぁ、大学も一緒というか大学が一緒というか」
「てかオレ以外にも一緒に授業受けるヤツいんのかよ……」
「……いつメン以外で一緒に授業受けてるの、リョータだけっていうか、席もリョータだから取ってるっていうか」
「〜ッ!それいいように捉えるケドいいの?」
「私だっていいように捉えるからトウゾ……」
振り絞ったはずの勇気は長年拗らせた気持ちの前ではあえなく惨敗。回りくどいこれが私の精一杯だから許してほしい。ぐちゃぐちゃの心にリョータを自ら招き入れるなんて私には無理だった。
「オレ、紗梨ちゃんと高校チガウんだけど」
「その話は忘れてほしいかな〜、なんて……」
「絶対忘れないし今度全部聞く」
「ヒィッ」
「紗梨ちゃん、好き」
次第にデレデレした顔つきになるリョータがストレートな言葉でワンルームに侵入してくるのを「……私も」と呟いて受け入れるのが精一杯で。それでもリョータは満足そうで「やっべー、オレ超幸せ者じゃん」なんてニヤニヤしている。
授業はもう終わりがけ。配られたレジュメには、リョータの可愛いのか可愛くないのか分かりにくい何かしらの動物の落書きとラインのID、それに「大好き♡」の文字。今日から心のワンルームには溢れんばかりのリョータの荷物だけでなく、彼そのものとこの子たちがワンルームに住み着くのだろう。
連絡もマメなリョータから頻繁に届くメッセージと不意打ちでくる自撮りに更に心のワンルームが荒らされるのはそう遠くない未来だってことを今の私はまだ知らない。