最悪なフルコースの最後は甘く




同い年夢主
別れる危機
インターハイ前

「アメリカ行き、決まったぜ」

 そう話してくれたのは愛しの彼氏様ではなく、彼の父であるテツさんだった。「栄治から聞いてるだろ?」って言われたけど聞いてないよバカ。行きたい、なんて話は何百回何千回と聞かされてたっていうのに肝心なことは何も教えてもらえないなんて。

 思えば最近、メッセージのやり取りが極端に減った気がする。元々私も栄治もずっと連絡を取り合うようなタイプではなかったにしろ、あからさまにやりとりが終わるのは早い気がするし、前まで二日に一回していた電話は殆どしなくなった。元々は家が近かっただけの関係。別の高校に通う私たちは、学校で会うことが無い分一緒に過ごす時間は多くない。一年生の時のインターハイでいきなりスタメンに抜擢され活躍した栄治が優勝した直後、大型犬のように走ってきて告白してきたのがとてつもなく昔に感じてしまう。
 甘えたい、会いたいなんて飢餓感はあるけれど、たまに見る試合で活躍する栄治や雑誌に取り上げられる栄治を見るとそんなこと言えなくて。もしかして、このまま栄治のアメリカ行きを機に別れるのだろうか。栄治のことは好きだけれど、バスケをする栄治の枷にはなりたくない。それでもこのままいけば自然消滅まっしぐら。もしそうなれば、私は一生栄治を引き摺って生きていくのは火を見るより明らかだ。



「沢北くん、アメリカ留学するんだってね」
「向こうの女って積極的そ〜、あんた捨てられないようにね」

 テツさんに教えて貰った数日後の土曜の昼下がり、幼馴染二人に誘われるがまま辿り着いたのは写真映えしそうなカフェ。テーブルに置かれたパフェやパンケーキを「ちょー美味しそうなんだけど」なんて言いながら写真を撮って一口頬張り、口の中にクリームの甘さが広がる中かけられた言葉。やっぱり私は何も教えられないまま遂には友達にも先を越された。

「あー、それ誰から聞いた?」
「学校で沢北が言ってたよ、やっと行けるんだーって」
「私はさっきこの子から聞いた」
 
 二人目は兎も角、一人目の言葉はこの関係に終止符を打つと決めるには十分だった。甘かったはずのクリームは味がしなくなり、身体に苦味が広がって呑み込みたくない言葉で満たされていく。バスケに勝てるなんて思ってもいないし寧ろバスケが一番の栄治が好きだけれど、何で私だけ教えてもらえないのだろうか。そんなに私って頼りないのだろうか。最早向こうに行く前に捨てられそうなんだけどな。ジワジワと膨れていく苦い感情がお腹にまで辿り着いて、あんなにも美味しかったパンケーキに手が伸びそうもない。
 二人の言葉を聞いて明らかに様子が変わったのだろう。二人は「多分あんた自分が思ってるより酷い顔してるよ」「何があったか知らないけどちゃんと話しなね」なんて詳しいことは聞かず慰めて残りのパンケーキを全部食べてくれた。そうだ、話さないと。このまま栄治と離れ離れになれるほど私は大人ではない。



 部活終わりの栄治を待ち伏せするため山王高校の体育館まで来たのはいつぶりだろうか。練習の邪魔になるし、なんて建前で本当は栄治を応援しているファンの子たちを見るのが辛くて、彼女たちの私を見る視線が痛くて訪れなくなったことを知っているのは多分私だけ。今日だって誰もいない、体育館の中が見えない閉じられた扉の前で座り込み耳を澄ましていた。一際大きな声が響き渡りドタドタと音がする。「疲れた〜」なんて声が聴こえるあたり多分練習が終わったんだろう。
 ここから自主練、どれだけかかるかな。なるべく早いといいな。なんて揺れそうな覚悟をこねくり回して崩れないように固めていたその時。ガラガラッと音を立てて扉が開き、体育館に篭っていた熱気が広がった。

「わっ……!深津さん!」
「……何してるピョン」
「あー、えい……沢北いますか?すぐ終わる用事なんですけど」

 まさか扉の先に人がいると思っていなかったのか、珍しく驚いた顔をする深津さんは体育館の中に視線を投げた後「沢北、お客ピョン」と彼を呼んでくれた。多分この人は今から私が何を話すか分かっている。前にラインで深津さんから沢北のアメリカ行きについて連絡が来た時、上手く隠し通せなくて今の私たちの状況を知っているのだ。

「え!そっちに人いるんすか!?」
「早くしないとオレが攫うピョン」

 そう言うと同時にグッと深津さんは私を引っ張りあげた。突然高くなった視界に映る栄治は、驚いてますと顔に書いてあるかのように目を見開き「はっ……え?いや、すぐそっち行きます!」なんて手に持っていたボールをカゴに投げ入れ小走りでこちらに向かってくる。深津さんはそれを見て「あとは上手くやるピョン」と自主練へと戻っていった。

「急に来てどうした?」
 
 何かあったのか、と聞く彼の汗の量は今日の練習量を物語っている。こんな些細なことで、バスケを頑張る栄治が好きだと改めて思い知るだなんて知りたくなかった。栄治の世界にバスケは必要だけど、栄治が必要ないと思うならやっぱり私はいなくてもいい。こねくり回した覚悟はもう崩れない。この感情を消化するには、捨てられて惨めな思いをするくらいなら。

「ねぇ沢北」
 
 せめて、きっかけは私からがいい。苦味で満たされるのも、飢餓状態も与えられるより自ら望んだと思えば幾分か楽だろう。
 ピクリと動く綺麗な形をした眉毛と「……なんでそんな呼び方すんだよ」なんて普段呼ばない呼び方に反応した不機嫌な声に気づかないフリをして言葉を綴る。

「別れよっか」

 目を見て言うことはできなかった。荒れ狂いそうな呼吸を無理矢理丸呑みして、自らの言葉に沈んでいく感情に喰らいつき、湧き出そうな涙を必死に飲み干す。最低な感情の最悪なフルコース。全てを身体の底に押し込んで落ち着いたあと、漸く栄治を見て後悔した。

「……ハァ?何で」

 そこにいたのは今まで見たことの無い、感情が抜け落ちた姿で聞いたことない程無機質な声を出す栄治で。何でアンタがそんな顔すんの。わかってるくせに、と心の中で呟いてまた視線を逸らした。

「……アメリカ、行くんでしょ」
「え、なんで知ってんの……」
「最初に聞いたのはテツさんから」
「ッ!テツかよ……!」
「その後はバスケ部の人とか友達とか」
「もうそんな広まってんの!?」
「自分で喋ってんでしょ……逆に何で知らないと思ったの、私ってそんな頼りない……?」
「ちがっ、あー、もう!何を勘違いしてんのかワカンねぇけどさ、オレはぜってー別れたくないんだけど」

 今この人なんて言った?そう思って視界に入れた男は涙目になりながら頭を抱え、マジかよ、サイアク、こんなことなら、あークソッと訳の分からない言葉を羅列している。

「だって栄治、最近全然連絡くれないからアメリカ行くのを機に自然消滅でも狙ってんのかと思った……」
「それは……練習後だと夜遅いから迷惑だろーなって……」
「別に気にしないのに……ってか栄治にそんな気遣いできたんだ」
「……ッ、あーっ、くそ、悪りぃかよ、離れ離れになるって考えたら寂しくて余計に連絡できなかったんだっつーの」

 ばつが悪そうな顔をしながら「でも不安にさせてんだな、ゴメン」と言う栄治はいつもより一回りも二回りも小さく見えた。それは、今なら栄治のことをパクリとひと口で食べてしまえそうなくらいで。もしそうしてしまえば栄治はどこにも行けないのに、なんてバカみたいな考えが過ぎる。そんな私を知ってか知らずか「ちょっと待ってて」そう言い残して部室へと走り出す栄治を私は目で追うことしかできなかった。
 部室へと消えた栄治がいなくなった視界に残ったのはバスケ部のみんなと、それと。私のいる扉と反対岸の扉は常に開かれていて、いつだってそこには山王バスケ部の、栄治のファンがいる。自分のファンが増えようが減ろうが無頓着な男が大好きなバスケを中断してまで話していた女が気になるのだろう、栄治が戻ってくるまでの間とにかく視線が痛かった。またあの空腹をも侵食する感情がぶり返しそうだ。待ってて、なんて言われたけれど出直すことだってできる。話はしたいけれどこの空気に耐えられそうもない。このまま逃げてしまおうかと数歩体育館から遠ざかったところ「スミマセン、先帰ります!」という栄治の声で私の足はその場に縫い付けられてしまった。

「……逃げようとしてたでしょ」
「だって……向こうからの視線が凄いんだもん」
「それこそ気にしなくていーのに。あの人たちよりもお前に応援してほしいのにさ全然来てくんねーんだもん……」

 ズビ、と鼻を鳴らして拗ねたように「オレが好きなのも応援してほしいのもお前だけだってのに」なんて歩き始めた栄治は私を駅まで送ってくれるらしい。

「……本当はアメリカ行くのもお前に一番に伝えようと思ってたんだ」
「……うん」
 
 消え入りそうな声で言葉を零す今日の栄治はよく喋る。いや、いつも聞いてもないのに今日の部活はとか、河田さんがなんて沢山喋っているけれど今日のは違う。栄治がこんなにも私たち二人の話をすることが珍しいんだ。「一番最初に教えてくれればよかったのに」なんて言葉は飲み込んだ。このバスケ馬鹿がここまで私のことを考えてくれているだけでも物凄いことなのかもしれない。
 
「あのさ、確かにインターハイが終わったら本格的にアメリカ行くけど」

 歩くのを辞めた栄治はゴソゴソと斜め掛けしたバッグに片手を突っ込んで、取り出した何かをコツンと私の両手に移動させた。

「いつかオレと一緒にアメリカで暮らしてよ」

 栄治の手が離れた私の両手に乗っているのは四角い箱。未だ潤んだ目で箱を開けろと訴えてくる栄治に促されるまま、上質な布張りの箱を開ける。まさかとは思ったけれど、そこに入っていたのはネックレス用のチェーンに通された指輪で。

「な……んで、どうしたのよこれ、」
「親が貯めてたオレのお年玉、アメリカ行く前に好きなもん買っていいって言われて買ったんだ」
「いや、そうじゃなくて、なんでこんなもの持ってるの……」
「……アメリカ行くって伝えたら渡そうと思ってたけど全然言えなくて持ち歩いてた」
「……ッ!私、栄治と別れなくていいの……?」
「まじで、それはこっちのセリフ、それ受け取ってくれるってことでいいの?」
「うん……ずっと待ってるから早く迎えに来てよね」

 ぎゅうっと力一杯抱きしめられて「別れよって言われた時生きた心地しなかった」なんてズビズビと震えた声で言うものだから「私はずっとそんな感じだった」と返してやる。より一層背中に回された腕に力が入って、最悪なフルコースで満たされていたお腹の底の感情が「本当にごめん、一生かけて幸せにするから許して」なんて言葉で、あの日食べたパンケーキのクリームよりも甘く塗り替えられていく。どれくらいの間そうしていただろう。痛いくらい全身を包んでいた温もりから解放され「後ろ向いて」と言われた私に栄治はネックレスを付けてくれた。

「そういえばなんかこの指輪デカくない……?」
「あー、実はそれメンズ向けのサイズなんだ」
「えっ」
「これオレにつけてくれねー?」

 そう手渡されたのは私とお揃いのチェーンが通った指輪だけど、私の胸元にある指輪よりも少し小さい。どちらかと言うとそっちの方が私にぴったりのサイズだと思うんだけれど。

「もし変な男に絡まれた時は彼氏の指輪ですってそれ見せつけてやれよ。オレも彼女の指輪預かってるって言うからさ」
「……どうせテツさんの入れ知恵でしょ」
「ッはあ!?なんでバレてんだよ!」
 
 なんだかむず痒くて、カマをかけただけだったのに本当にそうだなんて。思わず笑いが込み上げてくる横でさっきとは違う理由で涙目になるのは私の愛しい彼氏様。買うと決めたのは栄治自身なんだろうけど、何もわからなくてテツさんに相談する栄治が簡単に思い浮かぶ。
 栄治がアメリカに行くまであと数ヶ月。私がアメリカに行くまで多分あと数年。向こうの生活や食が合うかなんてわからないし、これからも少し苦い感情と栄治不足の飢餓状態とはつきあっていくんだろうけど、きっともう大丈夫。今はとりあえず「そのネックレスつけて練習見に来てよ」ってワガママを叶えてあげようじゃないか。









おはなし