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妙な圧迫感に耐えきれず微睡みの縁から意識が浮上する。重い、暑い。せっかく寝ているところを起こされた苛立ちに重たいまぶたをこじ開けると目に映るのは見たことのない木目の天井。


…どこだここ。



右を見れば壁。左を見ればもぬけの殻の布団と、少し視線をずらした先には足が俺の上に乗っている。これだな、俺の眠りを妨げたやつ。グースカ眠るそいつの足をぽいっと放り投げる、それでも起きないくらい深い眠りについているらしい、羨ましい。

ケータイを見ればまだ夜中の四時過ぎ。そりゃあ暗いわけだと、月明かりしかない空を見上げた。

ごろりと布団に再度寝転がってみたがどうにも目が冴えてしまったらしい。目をつぶっても先程まで侵食されていた眠気が訪れる気配はなかった。むくりともう一度起き上がり、暗闇に慣れた目で部屋の中を見渡せば、うん、なぜそんなにみんなして寝相が悪いのか謎な光景が広がっていた。布団に収まってるやつなんて片手で数えられるくらいしかいないじゃんか。

部屋中に広がる屍を超えて部屋を静かに出る。しんと、静まり返っている廊下を抜け、一つ明かりの漏れる部屋の前を通過する。どうも相澤先生とブラド先生が話し合いをしているらしい。こんな時間まで大変だな。

それを尻目に外へと静かに足を進めた。夏の朝特有の涼しい風が頬をなぞる。さわさわと揺れる木々に月の灯が夜空を照らしている。

こんな時間に外にいるなんて、なんて久しぶりなんだろうか。

それこそ昔、前世の頃は夜が俺たちの戦場だった。夜に活動が活発化する妖に対応するため、夜に起きて仕事をこなし昼に寝るという昼夜逆転の生活を送っていた頃日常だった風景だ。

「空は、繋がってんのかな」

ぽつりと、俺しかいないこの空間に小さなつぶやきは風のささやきに溶けていった。どうも”夜”はダメだ。思考がネガティブになりがちだ。

ばちん、と両手で頬を叩く。ひりひりする頬に叩きすぎたと若干後悔して大きく息を吸い込んだ。

「うしっ」

ピンッ、と一つ結界を形成する。マタタビ莊よりも高く上り詰め、いつの間にかほのかに明るくなり始めた東の空を見つめる。明るくなり始める辺りに紛れて動物たちも活動を開始する。

バサリと、飛び立った鳥を見つけ思わず口元が上がる。スッと息を静かに吸い込み、目を閉じる。意識を研ぎ澄まし、静かに目の前を見つめた。







……………………………










「…チッ誰だこんな時間に」

生徒であろう気配が廊下を滑り、正面玄関を出ていく音がこの静かな、俺と目の前にいるブラド以外が寝静まっている空間には嫌なくらい響いた。

「まだ四時すぎか」
「ったく、どいつだ。仕事増やしやがって」

時計を見上げるブラドの言葉に思わず舌打ちが漏れる。枕が変われば寝付けないとでも言う繊細なやつがいるとは思えない、というよりどんな場所でも寝れる図太さもなけりゃヒーローなんざやってられるか。

余計な仕事が増えたことに苛立ちを覚えながらも、まだ寝ているであろう生徒たちを起こさないように歩を進める。ガチャリと開け放った扉の向こうからは朝ぼやけが空を染め上げていた。

涼しい空気を感じながら、それほど時間が立っていないにも関わらず目的の姿が見当たらないことに不信感が募り周りを見渡した。まさか、森の中に入ったか?

知らぬうちに舌打ちが漏れる。

「どこ行きやがった」
「…イレイザー」

お前の生徒じゃないか?ポツリとブラドがつぶやく。その言葉に瞠目し、ブラドの視線を追うように頭上を見上げ、目頭を抑えた。

「確か…、夜守だったか?」
「あいつ、なにやってるんだ」

予想外の犯人に思わず言葉をつまらせた。個性が豊かすぎるA組の生徒の中でまだ比較的言動が落ち着いている生徒がまさか犯人だとは思いもしなかった。

ほんとにこんな朝早くから何をやっているんだ。

夜守りの個性である”結界”の上に立ち、何やら静かに遠くを見つめたまま、胸の前で個性使用時特有の印を結んでいる。何にせよ、さっさと部屋へ戻してしまおうと俺自身の個性を発動させようとして、中断させた。




「結」






バサバサと、一斉に飛び立った烏の群れが朝の空を染める。その羽音に紛れ、夜守の声は静かに通った。



そして、無くなる羽音。




木々のざわめきだけが耳に届く。




見上げた先の異様さに声を失う。何十といる烏の群れが一様に宙で動きを止めている。空を羽ばたく翼と鳴き声を発するくちばしに、個性であろう結界が施されている。烏にとっては動けなくなった理由などわからないだろう、どうにか拘束とろうともがく姿が見えるが叶わないようだ。

一度にこれだけの数を捉える正確性、技術、耐久性。

それを改めて目の前に見せつけられ、先程まで感じていたものとは違うものが脳内を占拠してゆく。

個性を使う頭脳も技術も持ち合わせている。あと極端に足りないものはそれを維持する体力だ。期末テストではセメントス相手に体力面をどう克服するかという課題をおわせたが結果は赤点。…この林間合宿でも体力増強メニューだなと独りごちする。

くるりと踵を返せば途端にブラドから上がる疑問の声。まぁ、俺自身も意味もなく外へふらふら遊びにでも行っていたのであれば問答無用で連れ戻してやったが、マタタビ莊の外ではあるがその場所から動く様子もなければ、個性の使用練習をしているだけである。…特に咎める必要はないだろう。

「日中の合宿内容に弱音吐くようなら自業自得だ」
「ホントに厳しいなお前」

この合宿の内容は個性を伸ばすための強化合宿。勝手に自主練をするのは特に何も咎めはしない。まぁ、どうせ今日から始まる合宿では嫌というほど個性をし使用するのだ、こんなことをするのは今日だけだろう。

ちらりともう一度夜守を見上げ、こちらに気づきもしないやつに大きく息を吐きだし、ぼりぼりと頭を掻いた。

ーーー周りの気配に気を配ることも言わなきゃいけねえか。




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