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死柄木たちに向けられている威圧感が隣にいる俺にもビリビリと伝わり鳥肌を立てる。こんなの正面から食らったらたまったものではない。

ほっと肩の力が抜けたせいでふらりと体がふらつく。先程まで意識の外にあった身体の不調がズシンとのしかかる。死柄木たちが確実に警察へと連れて行かれるまでは気が抜けないのに、と身体に篭った熱を吐き出すように大きく息をついた。

「終わりだと…?ふざけるな、始まったばかりだ…」

ぽつりと、死柄木の静かな重い声が耳に届く。この絶体絶命であろう状況にもかかわらずまだ反撃の意思はあるらしい。

「正義だの…平和だの…。あやふやなもんでフタされたこの掃き溜めをぶっ壊す…。その為にフタを取り除く。仲間も集まり始めた、ふざけるな…これからなんだよ…」

呪詛にも似たような言葉たちが死柄木の口から吐き出される。嫌な感じが足元からぞわぞわと這い上がってくるようで、その感覚を振るうように首をふった。

そして、ためた息を吐き出すように黒靄の男の名前を叫ぶ死柄木。その視界を何かが横切った。うめき声を上げガクリと首をもたげた男にサングラスの男から悲鳴が上がる。黒靄の男の横っ腹に何か黒い細長い棒のようなものが突き刺さっている。あれが原因なのか。

「忍法千枚通し!この男は最も厄介…眠っててもらう。君が過去に暴いた弱点を参考にしたよ」

ムクムクと音もなく大きくなっていく細長い棒。それが言葉を発しながら徐々に人の形になっていく。ほんとに何でもありだな個性。ピッと爆豪を指差しながら紡がれた言葉に覚えがあったのか、爆豪は何とも間抜けな言葉足で現れた人に言葉を返していた。いや、誰でも戸惑うよね、うん。

「さっき言ったろ。おとなしくしといたほうが身のためだって」

初老のヒーローが淡々と言葉を紡いでいく。目の前の敵たちがその名前に反応するようにどこか悔しそうに顔を歪めながら歯を食いしばるようにこちらを睨みつけてくる。それにも意に介さず、初老のヒーローは言葉を続ける。

「もう逃げ場アねぇってことよ。なア死柄木、聞きてえんだが…お前さんのボスはどこにいる?」

ボス…先程死柄木がテレビの黒い画面に向かって言っていた”先生”という人物がそれに当てはまるのだろうか。沈黙が、空間を支配する。誰しもが死柄木の挙動に注目する中、静寂は唐突に破られる。

「ふざけるな、こんな…こんなア。こんな…あっけなく…」

目を見開き、焦点の定まらない視線が宙を彷徨う。囁くような声は徐々に声量を増していく。そして、膨れ上がる異様な空気。ざりっ、と後ずさった俺の足音が嫌に響く。

「ふざけるな…失せろ…。……………、…消えろ…」

憎悪が、膨らむ。

「奴は今、どこにいる。死柄木!!」
「おまえが!!」

死柄木の視線がオールマイトに絡みつく。異様なほどの憎悪が、オールマイトへと向けられる。身体全身から訴えるような悲痛な程の絶叫が死柄木の喉から絞り出される。

「嫌いだ!!!」

咆哮を上げた死柄木の左右の空間から、黒い液体とともに先程は現れなかった脳無が空間を割いて出現した。

「脳無!?何もないところから…!あの黒い液体はなんだ!」
「エッジショット!黒霧はーーー」
「気絶してる!こいつの仕業ではないぞ!」
「どんどん出てくるぞ!!」

あらゆるところから現れる黒い液体と脳無に、プロヒーローたちだけではなく、敵連合たちも周りを見渡し、状況が理解できないように戸惑った表情を浮かべている。

「なにこれ、どうなってんの」

ここ以外の場所からも叫び声や何かが破壊される音が響く。あたりが騒然となる。予想打にしない状態にキョロリとあたりを見渡す。

「お"!!?」
「ちょ、爆豪!?」

変な咽るような声に横に顔を向けると口から黒い液体を吐きだす爆豪の姿にどうすることも出来ずに声を上げた。口から溢れ出した黒い液体はとどまることを知らず、どんどん溢れ出てくる。異常に気づいたオールマイトが叫び声を上げる。


次いで、何かが喉の奥からせり上がってくるような、嘔吐感が俺を襲う。

「おぇっ」

吐き出した液体は黒。どんどん口から溢れてくる。生理的な涙で視界が滲む中、焦ったような表情を浮かべたオールマイトが俺へと手を伸ばす。






―――その手に触れることはできなかった。







「うぇ…気持ち悪」

何かからはじき出されるように、よろけながら地に足がついた。口の中の違和感を吐き出すように口の中の唾液を吐き出した。

「また失敗したね、弔」

初めて聞く、声が耳に届く。

視線を挙げた先には異様としか言えないマスクをかぶった声からして中年のスーツ姿の男が子供を咎めるような、どこか叱責するような声音で語りかける。

「でも決してめげてはいけないよ。またやり直せばいい。こうして仲間も取り戻した。この子達もね」

視線は合わないはずなのに、くるりと向いた顔から視線を反らせたいほどに、恐怖を感じた。ひたり、ひたりと静かに迫ってくるような、―――恐怖を。

「君が”大切なコマ”だと考え、判断したからだ。いくらでもやり直せ、そのために僕がいるんだよ。―――全ては、君の為にある」

ねっとりと絡みつくような声。ぞわりと全身に鳥肌が立つ。隣に立つ爆豪の隣にそろりと寄り、逃げるタイミングを見計らう。隙を見て逃げなければ。こいつは、ヤバイ。

本能が警鐘を鳴らす。この男にかかれば俺たちなんてあっという間に逃げる術すべて奪われてしまうのではないかという確信にも似た、恐怖。

爆豪もそれを本能的に理解しているのか、そろりと俺の方へと静かに後ずさってくる。

「やはり…来てるな…」

なにが、と考える前に目の前に現れる頼もしすぎる背中。拳同士のぶつかり合う重たい音が暗い夜空に轟く。

「全て返してもらうぞ、オール・フォー・ワン!!」
「また僕を殺すか、オールマイト。…随分遅かったじゃないか」
「!?―――結!」

ピキピキと、オールマイトの拳とマスクの男の受けた手がぶつかり合った衝撃波でも起きたというのだろうか。―――地面が割れる。

咄嗟に、できうる限りの強度で結界を作る。パァンッとマスクの男とオールマイトの拳がはじかれ、圧縮した空気が周りにいる俺達も巻き込み弾け飛ぶ。結界が耐えきれず揺らぐ。

「バーからここまで5キロあまり…、僕が脳無を送り優に30秒は経過しての到着…。衰えたねオールマイト」
「貴様こそ、何だその工業地帯のようなマスクは!?だいぶ無理してるんじゃないか!?」

淡々と喋るマスクの男の手は無傷。あれだけ重い拳を受けてなお無傷なんて、どんな体してんのあの男。こちらの動揺などお構いなしにオールマイトとマスクの男は言葉を交わす。一度対峙したことがあるのか、5年前と同じ過ちは犯さないとどこか宣言にも似た言葉を発したオールマイトは力強く地を蹴りマスクの男へ更に拳を向ける。

マスクの男の、右腕が異様なほど膨れ上がり、オールマイトを触らずしてその巨体を吹き飛ばした。

「…!」

轟音を立て、ビルへと跳ね飛ばされたオールマイトの姿は見えない。あるのは倒壊し始めるビルに瓦礫の山、砂埃だけだ。結界が保てない。周りの敵たちも風圧に耐え兼ねたように地面へと皆がなぎ倒される。

「空気を押し出す+筋骨発条化、瞬発力×4、膂力増強×3。この組み合わせは楽しいな…。増強系をもう少し足すか…」

発言が、もうトんでる。人の個性の範囲内に収まるものなのか。とても信じがたい発言。複合個性の人間なんて存在するのか?

「オールマイトオ!!」
「心配しなくてもあの程度じゃ死なないよ。だから…」

爆豪が瓦礫の山へ向かって叫ぶ。その言葉に反応したように言葉を返すマスクの男へ視線をやり、向こうの次の行動を見逃すまいと挙動を見つめる。

「ここは逃げろ弔。その子達を連れて」

マズイ。ヤバイ。その言葉が脳内を支配する。明らかにこちらが分が悪すぎるほど悪い。敵連合の連中だけでも逃げ切れるかわからないところだったのにこのマスクの男の出現で明らかに俺たちが劣勢だ。

ぺきぺきと嫌な音を立て、マスクの男の指から黒の触手が伸びる。その指が未だに気を失っている黒靄の男を貫く。突然の行動にサングラスの男から非難の声が上がる。淡々とマスクの男の言葉が紡がれる中、意識はそちらに向けたまま、どうにか逃げる方法はないかと模索する。

もう、上へ逃げるしかないか。

「爆ご…」

隣にいる爆豪へと声をかけようとした瞬間。黒靄の男の体からあのワープゲートが出現した。なぜ。まだあの男は気を失ってるはずなのに。なんで個性が…。

「逃さん!!」

血だらけになったオールマイトが空から落ちてきた。その勢いのまま、未だに死柄木に話かけているマスクの男に向かって拳を振るう。

目の前で、衝撃が弾ける。

もう、何がなんだか情報が溢れすぎて脳内処理が追いつかない。目の前の光景に思考を取られていると、いち早く行動を起こしたのは敵連合の連中だった。

「行こう死柄木!あのパイプ仮面がオールマイトを食い止めてくれてる間に!」

しまった。出遅れた。

意識がオールマイトたちから離れる。ハットの男が荼毘へと手をかざすと一瞬にしてその姿が小さな玉のようなものに変化した。人を玉にしてしまう個性だろうか。こいつには触れられてもだめなのか。

「コマ、持ってよ」

ゆらりと、俺達の前に敵連合の六人が立ちはだかる。見逃しては、くれないようだ。

「めんっ…ドクセー」
「ほんとに…」

嫌な汗が頬へと流れる。この六人を何とかしないことには上へ逃げることもできない。

「隙ができたら上に」
「俺に指図すんな」
「今はそんなこといってらんないでしょ!」

いつでも平常運行だな爆豪!

「仲良く一緒にきなさいよ」

ブンッと振るわれた腕を避けるために上体をひねる。その傾けた先には怪しく笑う女子高生がナイフで切りかかってくる。革製のグローブでそれを弾いてから爆発音を聞いてハッと顔を上げた。

「チッ!」

爆豪と離された。最初の一撃は俺たち二人を引き離すためだったのか。

「よそ見してていいのかしらん?」

豪腕が目の前を掠める。避けた先に、明らかに顔を狙ってナイフが飛んでくる。それを体をひねり蹴り上げることで何とか避ける。攻撃にすら転じさせてくれないこの防戦一方の状態ではいつまで経っても逃げることはできない。

なにより、オールマイトが度々こちらへ来ようとしてはマスクの男に止められている姿が視界の端にちらちら映り込む。

オールマイトの邪魔になっている。

どうにかしてこの状態を打開しないと。考えろ、結界を練り上げろ、無想状態でしかこいつらには対抗する余地が、今の俺にはない。でも、やっぱり手が使えないのは痛いな。

「夜守くん!夜守かなめくん!」
「は?」

嬉々として刃先を向けてくるそのナイフを結界で弾き飛ばしてなお、こちらへ掴みかかろうとしてくる女子高生を蹴りどうにか距離を取る。

「火傷の赤色も素敵ですけど!血で濡れた赤もかなめくんには似合うと思うんです!」
「は!?」

なに、怖いこの子。そんな興奮したような目で見られても困る。ぞわぞわー、と背筋に虫が這ったような悪寒に彼女から距離を取ろうと後退る。すかさず横から飛んでくる拳。距離取ることもできないとか!どんな嫌がらせ!

「もう、いい加減諦めなさいよぉ!」
「結!!」

振るわれる拳を結界で躱す。躱した先にはナイフ。それも結界で弾き飛ばし、何とか距離を取ろうと後退る。無想状態を維持している今、攻撃を受けたら俺は終わる。

二人が向かってくるのを視界の端に認めながら走る。とにかく爆豪と合流しなければ。

「っ!」

ヤバイ、転ぶ。

足元にあったらしい瓦礫に足を取られ、体がバランスを失う。ぐらりと揺れる視界。周りがスローモーションのように見える。

勝利を確信したような、サングラスの男の顔と女子高生の嬉々とした顔が見える。眼前に迫るナイフと拳。

視界の端にはどこか焦ったような顔色を浮かべた爆豪にこちらへ腕を伸ばそうとしているオールマイト。

「夜守!!」







―――こんなところで、終わってたまるか。









【大丈ブ】












ありったけの力を込め、叫ぶ。

身体が勢いよく地面に叩きつけられた気がしたが、気にならなかった。





―――風が頬を撫でる。








目の前で動きを止めた拳とナイフ。不思議そうな表情と困惑を浮かべた双方の顔が見える。



バサリと、特有の音をたて、倒れた俺の目の前に月明かりに照らされた、大きな影ができる。



腕でどうにか体を起こし、見上げたソレにこの場に似合わず頬が緩む。………ああ、ようやく。








「やっと会えたね。―――九十九姫(ツクモヒメ)」

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