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「今日退院で問題なさそうだね。リカバリーさんが来てくれたら良かったんだけど神野区の事があってね。他の重病者のところに行っちゃってるんだ。君が雄英に戻る頃には居るはずだから必ず治療してもらうこと。いいね?じゃあ、リカバリーさんによろしくね」
 
 退院前の診察にやってきた俺の状態を一通り確認した医者は去り際にそう口を開いた。リカバリーガールはどうやらあちらこちらで引っ張りだこらしい。そりゃあ、あれだけ被害の大きかった事件。重症者も沢山出ただろう。俺はそこまで酷くないし、なんなら自然治癒待っててもいいくらいな心持ちなんだけど、最後に念を押すように言われてしまっては頷くより他にないだろう。

 「ありがとうございました」
 
 診察室を出ると荷物を持って待機していてくれた父母が俺に気づき立ち上がった。今日も仕事があったであろうにも関わらず二人共今日は仕事を休んでくれたようだ。なんだか申し訳ない。
 
 自動ドアをくぐればこっちよ、という母の背中について目の前に止まっていたタクシーに乗り込んだ。

タクシーの中では昨日の夜に行われたオールマイトの記者会見の模様がひっきりなしに流れている。オールマイトの本当の姿。体力の限界。そして、ーーー事実上の引退。他にも神野区の戦いに参戦していた数多くのヒーローが被害を受けている、と。

合宿でお世話になったプッシーキャッツのラグドールもその中の一人に数えられるらしい。一夜にして多くのヒーローたちが大打撃を受けた"神野の悪夢"。

知らないうちに握り込んだ手のひらに爪が食い込みじりじりと鈍い痛みを放つ。

「すみません、そのラジオ切ってください」

病院を出てから何も言葉を発しなかった母が口を開いた。タクシーの運転手が何か言いたげにちらりとこちらを見たが、静かにラジオを切った。流れてくるのは静かなクラシック。

「かなめ」
「…ん?」

視線は合わない。前を見据えたままの母の横顔を見つめ、次の言葉を待つ。父は助手席から横目にこちらを見ながら事の行く末を黙って見守っている。

「家に帰ったら話があるの」

それきり、口を閉ざした。何の話なのか、予想がつかないわけではない、が。嫌なことが頭をよぎる中、それを振り切るように外の景色を見つめた。


……………………………





数日ぶりに門扉をくぐった我が家に知らずのうちに張っていた気がゆるゆると溶け出すのがわかる。ざりざりと砂利の上を歩き、慣れた我が家に足を踏み入れた。

スッと襖を引き居間に座する父と母に習いその目の前に座る。正座すると自然と背筋が伸びる。母と交わった視線が逸らされる。かさりと音を立て畳の上を滑る紙の文字に視線を走らせた。

"雄英高校 全寮制導入検討のお知らせ"

「昨日、投函されてたわ。ーーー貴方はどうしたい?」

母の言葉に視線を上げる。険しい顔をした母と、どこか苦い顔をした父の表情が映り込む。意を決したように父が口を開いた。

「かなめがヒーローになりたくて雄英高校に通ってるのは、分かってる。理解もしてる。でもね、やっぱりこういう事件が続くと、心配になるんだ」
「今回貴方は敵側と直接接触した。怪我もおった。ヒーローになるっていうのはこういう事。痛いこと、理不尽なこと、悔しいこと、もどかしい事…たくさんあるわ。それでも、貴方はまだヒーローになりたい?」

二人の真摯な目が俺を捉える。二人の揺れる目を見つめ、脳裏に焼き付いて離れないあの光景が目の前を掠める。

「…あれだけ心配も迷惑もかけて、父さんたちがヒーロー目指して欲しくないって思ってるのも、わかる。結果的に五体満足で戻ってこれたのもオールマイトたちのおかげだし。それが原因で、オールマイトは…」
「ちがうでしょ」

ぐるぐると真黒な思考の渦の淵から裂くように鋭い声が入ってくる。いつの間にか落ちていた視線は伸ばされた母の手によって無理やり上げられる。左の頬が痛いくらいに抓られる。怒りに満ちたような母の顔にこちらも顔が引きつる。

「貴方が、ヒーローをまだ目指したいのか聞いてるの。周りのことなんて切り捨てた自分の考えだけ言いなさい」

ぽろりと、何か重たいものが外れた気がした。

絶対、反対されると思っていた。

…まだ、ヒーローを目指してもいいのだと。あの眩しい背中を追いかけてもいいのだと。背中を押された気がした。

「ーーー、ヒーローになりたい」

ぽつりとこぼれた言葉に、父と母はなぜかホッとしたように笑った。ついで、ぐしゃぐしゃと力いっぱい頭を撫でられる。いつの間にか横に来ていた母からは静かに抱き寄せられた。 

「かなめがヒーロー目指さなくなったらどうしようかと思ったよ」
「元はといえば、あなたがややこしいことを言うからかなめが変な勘違いをしてしまうんでしょう」
「思わず心の声が漏れちゃったんだよ!君もめちゃくちゃ心配してたくせに!」
「心配するのは当たり前じゃないの!今回の救出作戦だって声がかかってたら行ってたわよ」

俺の頭上で繰り広げられる痴話喧嘩の内容に思わず頬が緩む。二人共いつも俺が言うことに否定をしない。逆に応援すらしてくれてるのに、何を今更弱気になっていたんだろう。

ふっ、と息が漏れる。それに気づいた二人が視線を落とすのがわかる。二人を見上げ、締りのないであろう顔を、緩ませた。

「心配かけて、ごめん。いつもありがとう」

ぎゅっとかかる両側の圧迫感が心地よかった。


……………………………






病み上がり、ということもあり早々に部屋へと戻された。林間合宿に向かう前と同様の、かわりのない部屋の机の上に、見慣れないものがおいてあるのが目に入る。

焼け焦げたカバンと、真っ黒の画面のまま起動する様子のない、スマートフォン。

林間合宿に行った際に持っていったものだ。

きっと俺がさらわれたあと、先生やヒーローたちによって回収されたのであろう。俺は帰ってこず、これだけが手元に戻ってきた時の両親の心境は考えるだけで心が痛む。ホントに、戻ってこれてよかった。

そういえば、鋭児郎。あれから会ってないな。

考え始めれば体は動いてしまうもので、そろりと部屋を出た。母は仕事部屋に先程こもりに行った。残るは父のみ。父は部屋か台所だろう。足音をたてないように玄関までたどり着き、カラカラと小さな音を立てるドアにヒヤリとしながら外へで、。

「どこに行くの?」
「っ!」

先程まで確かにいなかったはずの父がお玉を持ち、エプロン姿のまま呆れたように俺を見下ろしている。どうやら俺の行動はお見通しだったようで。

「外はまだだめだよ、警察の人にも言われたでしょ」
「…そうでした」

仕方ない。今日は引きこもっとこう。この分だと道場に行くのも怒られそうだし。でも暇だなぁと履いた靴を脱ぎながら小さく息を漏らす。てか、自宅謹慎?いつまでなんだろ。流石に学校行く頃には解除されるよね?ん、学校いつから始まるんだろ。

次々湧いてくる疑問に答えが見つからぬまま、靴からスリッパに履き替えたところで、呼び鈴が家の中に鳴り響く。

「かなめ、鋭児郎くんだよ」
「お」

なんてグッドタイミング。モニターを覗き込めば見慣れたツンツン頭。先程脱いだ靴に足を通し、ガラリと勢い良くドアを引いた。

「鋭児郎ー、入っていいよー」
「うぉ!びっくりした!かなめもう大丈夫なのかよ」
「熱は下がったし痛み止め飲んでるから平気。上がりなよ」
「いらっしゃい鋭児郎くん」
「おじさん、お邪魔しまっす!」

鋭児郎に来客用スリッパを差し出し、それを履き終えるのを見守ってから部屋に先行くように促した。喉乾いたし麦茶でいいかな。台所に足を踏み入れるとコップには氷と冷えた麦茶がカランと涼し気な音を放ちながらお盆の上に2つ、鎮座していた。どんな早業。来客用であろうお茶菓子も手に入れ部屋の襖を足で引くと机の上においていたスマホを手に取っている鋭児郎と目が合う。

「無茶すんなよ、病み上がりなんだからよ。言ったら俺が取りに行ったのに」
「過保護にされすぎて体動かしたいんだよ。昨日までずっとベッドか車椅子生活だったこっちの身にもなってよ」

意外と車椅子ってしんどいんだからね。麦茶を鋭児郎に手渡しながら自分でもコップを煽る。冷えた麦茶が喉を通っていくのが気持ちいい。ふっ、と息を吐きだし、ベットに腰掛けた。

鋭児郎のきょろきょろと忙しなく動く視線が俺と絡まる。そのままもごもごと言葉にならないものを口の中で転がし、ようやく意を決したように。口を開いた。

「かなめ、目見えるのか?」
「問題ないよ。どこも折れてないし、目も異常なし」
「そうか」

ほっとしたように詰めていた息を吐き出す。きっと、両親以外で一番心配をかけたのは鋭児郎だろう。電話、そういや鋭児郎の電話中に携帯壊れたんだっけ?

「心配かけてごめん」
「無傷…じゃねえけど、無事で良かったぜ」

にかっと笑う笑顔にこちらも思わず口元がゆる…、そうだそれ鋭児郎だけの台詞じゃないよね?下手したらあれ、鋭児郎たちもやばかったよね?あんな死闘の現場に生徒放り込むほど雄英が切羽詰まるわけ無いからアレ絶対鋭児郎たちの独断だよね?

きっかけが一つあるとぽつりぽつりと思い出される出来事たち。その一つ一つを回想し、至った結論に思わず舌打ちが漏れる。視界の端で鋭児郎の肩がフルリと震える。うん、こんな怪我負った俺が言うのもおかしな話だけど、今言っとかなきゃまたむちゃする恐れがあるし。俺が言ってもいいよね?

「鋭児郎たちもさ、人のこと言えないよね?」
「あ、おぉ…?」

あ、絶対わかってないこれ。

「今回はさ、たまたま無傷で帰ってこれたっての覚えときなよ?先生たちから指示、あったわけないだろうし。下手したら鋭児郎たちだって命の危険があった、もしくは人質が増える可能性があったこと、ちゃんと覚えときなよ。無茶と無棒は紙一重だよ」

鋭児郎がみるみる肩を縮こませる。それに一つ息を吐きだし、もう一度口を開く。

「でも、ありがとう。俺は皆の無茶に助けられたよ」

明らかに足手まといだった俺。どうやっても無理なら爆豪だけでも、という気はあった。でも、結果的に爆豪には見捨てられなかったし、鋭児郎たちには助けられた。

…今回救われたのは俺だ。

「ありがとう」


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