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あれから鋭児郎にしこたま、林間合宿での出来事を聞いていたが、まぁ、なんと俺が拉致られた場所で見た人数以上があの場に押し寄せていたらしい。毒ガスでやられた生徒が被害の圧倒的多数を占めていたと聞いてみんながとりあえずは無事なことを直に聞けて一息ついた。テレビでも報道されていたけど、あれらは時に事実を捻じ曲げるから全信頼はおけない。

話し込んでいる最中にかかってきた電話で鋭児郎は慌てたように俺の家をあとにした。ずいぶん慌ててたけど何かあったのだろうか。鋭児郎が急に帰ってしまったことで更に持て余す時間。仕方がないと畳の上に座り柔軟をしていると家に鳴り響くインターホン。誰か来たらしい。

まぁ、俺には関係ないだろう。暇だし少しくらいバレないだろうと小さな結界を形成し、更に上へ横へと展開していく。寸分の大きさの狂いなく、目的の場所への瞬時の展開。時音が得意とした繊細な結界術。時音ほど洗練されたものではないにしてもなかなか上出来ではないだろうか。

更にもう一つ、と心の中で呟き。

「かなめ」
「うへぃ!!」

スッと勢い良く引き開かれた襖とかけられた声に大きく体が震えた。思わず変な声出ちゃったじゃん。あ、父さんにバレた。

「もう、安静にしなきゃだめでしょ。とにかく、先生方きたからかなめも応接間においで」
「…先生?」
「家庭訪問あるって言ったでしょ。鋭児郎くんの近くの家がうちだったみたいだよ。ほら、早く」


父に急かされるままに立ち上がりその背中を追って廊下を歩く。鋭児郎も先生が来たから帰ったのか?そりゃ次はうちにくるよねぇ。

お茶を淹れてくるという父とは別れ、いつもと変わらぬ応接間を前に小さく息をついた。心臓が嫌な早鐘を打つ。指先が少し、震える。

「かなめ」
「!」
「入ってきなさい。…大丈夫よ」

音もなく開いた襖から顔を出したのは母。俺と目があい、小さく笑みをこぼした。大丈夫だと。母、実は読心術でも出来るんじゃないかと思うほどに鋭すぎて怖い。

母の姿の向こう側。部屋の中にはこちらを見る相澤先生とオールマイトの姿があった。相澤先生はこざっぱりとした顔にスーツを着ている。これも見慣れない姿だが、隣にいるオールマイトの姿に思わず目が揺らぐ。

スーツを着ていても隠しきれないやせ細った体に、青白い血色の悪い顔。目元も窪み落ち、血色の悪さを助長している。額と右腕は未だ治癒が追いついていないのか、包帯が巻かれている。


「ーーーっ」


心臓の早鐘が収まらない。どくりどくりと脈打つ心臓が痛い。呼吸がしにくい。息が苦しい。呼吸ってどうやってするだったっけ。手先が冷たい。嫌な汗が出てくる。ーーー目の前が、チカチカする。


パァン!

「落ち着きなさい、大丈夫よ」

左の頬に小さな衝撃。音の割に痛みを伴わないそれは俺の思考を引き戻すのには十分だった。

視界がクリアになる。早鐘を打っていた心臓は相変わらずだけど呼吸が、できる。知らず知らずの間に握りしめていたらしい手先に血が通い始めじんじんと痺れが現れた。

「…ごめん、大丈夫」
「そうね」

表情を変えないまま、くるりと背を向け部屋の中へと入ってゆく。それについて部屋に入るとちょうど父がお茶を持って部屋へと入ってきた。

机の上に置かれた緑茶にお茶菓子。湯呑みの中から立ち昇る湯気を見やりながら視線が集まるのを痛いほど感じ居たたまれなくなる。取り乱して申し訳ない。

「改めまして、雄英高校でかなめくんの担任の相澤と申します。本日は先日郵送させていただいた件についてですが、あともう一つ、かなめくんの状態を確認しに来ました」

相澤先生の言葉に顔を上げるとまっすぐこちらを見る目と視線が合う。無言のうちに相澤先生は目を細めると小さく頭を下げた。

「この度は大事な息子さんに怪我をさせる自体となってしまいました。謝罪してもしきれないですが、我々もこのことを教訓に今一度怠慢を見直し生徒たちを立派なヒーローへと育てていくために邁進していきたいと思っております。どうか、もう一度任せてはいただけないでしょうか」

オールマイトも相澤先生と同じように頭を下げたまま微動打にしない。ちらりと横にいる父と母を見やり、口を開こうとした。

「先生方、お顔を上げてください」

凛とした声が静まり返った空間によく通る。そろりと上がった顔を視界に収めながら母が何を口に出すのかをほんの少し、いや、かなり心配になりながら見つめる。

少し前の話し合いでヒーローになることと雄英に行くことには反対どころか叱咤激励されたが、先生方に俺のヘマのことについて何かが飛び火したら先生方に申し訳無さすぎる。そのときは全力で否定するよ、うん。

「全寮制の件、息子も交え話し合いをしましたが特に異論もありません。息子のこと、よろしくお願いいたします」

先生方を見据えたまま言い放った言葉に小さく安堵の息が漏れた。それは父も同じだったようで、隣からも小さく息が漏れている。先生方は何か構えていたように発せられた言葉を理解するまでに時間がかかったようで驚いた表情を浮かべている。

「それとは別件となりますが、」

スッと座布団から体を滑らせ、畳の上に座する。母のしようとしたことがわかり、習うように畳の上へと座り頭を垂れる。

「この度は危険を顧みず、息子の命を救って下さりありがとうございました。一人の母親として、感謝します」
「ありがとうございました」

隣の父は土下座せんばかりの勢いで畳に額を押し付けている。慌てたような声が相澤先生とオールマイトから発せられる。そろりと、視線を挙げた先でオールマイトがへらりと小さく笑みをこぼしているのを見やり、顔が強張った。

両親と先生たちの話が弾む中いつ切り出そうかとそわそわしていたのが裏目に出たのか、功を奏したのか、体調が悪いのかと勝手に判断されてしまいでは今日はこれで、なんて先生方が立ち上がろうとして慌てて声をかける。

「あの、少しだけ時間くれませんか」

きっと、今を逃したらずっと言えないから。

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