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「チユーーー!!!」

盛大な声とともに仄かに温かみのあるものが押し付けられる感覚。その感覚が過ぎ去ったのを肌で感じながらゆっくりと目を開いた。もう一度、ゆっくりと瞬きをする。違和感はない。左手で、左目を覆い隠したが景色は変わることなくそこに存在している。ーーー問題なく治してもらえたようだ。

「ありがとうございます、リカバリーガール」

目の前にいるリカバリーガールに視線を落とすと、彼女は僅かに眉をひそめたあと、静かに手鏡を俺へと寄越してきた。

「目を開けてるとき、閉じたとき、皮膚が引きつってる感じはないかい?」
「ありません」
「もっかい目を閉じて…大丈夫だね」

目を閉じた際に瞼を触られたが、何をしたのかはよくわからなかったが、直々に大丈夫と言われたので、特に心配する必要はなさそうだ。

「…病院からカルテの一部は見せてもらったよ。やっぱりあとは残っちまったね」

渡してもらった手鏡を覗き込む。右目は先程まで爛れ、腫れていた様が嘘のようにきれいに治っている。違っているものといえば、右眉尻の火傷跡だろうか。色の少し変色した、触れば少しの凹凸の見られるそれはきっと荼毘に黒炎で殴られた場所なのだろう。けれど、痛みもなく、引きつった違和感もないそこは俺にとってはさして問題でもない。

「大丈夫、俺男だし。ほら、前髪でだいたい隠れるよ」
「…心の方も、大丈夫そうだね」
「うん、たくさん吐き出したから大丈夫」

いつまでもあれを引きずるわけには行かない。全く気にならないかといえば嘘だけど、少しずつ冬の氷が溶け出すように静かに俺の中で解消されていくべき事柄だろう。

「なら、さっさと事情聴取なんて嫌なことは終わらせちまいな」
「はい」

その言葉を合図に、隣の部屋に控えていたのであろう警察官が二人静に入ってきた。当事者である俺が今まで事情聴取を受けていなかったのは一重に先生たちの根回しだろう。今回の拉致されたうちで手酷く怪我を負った俺の身体面と精神面を考慮し、リカバリーガールの元で完全治癒させ、且つ精神的に問題がなければ事情聴取を、という話はちらりと両親と警察との会話から聞こえていた。なので、今、なのだろう。

「はじめまして、敵連合に対して調査を行っているものだ。夜守かなめくんだね」
「はい」
「そんな畏まらなくてもいい。事情聴取とはいえ、簡単な質問だけだ。わからないことはわからないで構わない」

目の前の椅子に腰掛けた刑事は指を組みながら俺を覗き込むように前かがみに座り込んだ。言動をすべて見出そうとするその姿勢は昔から苦手だ。

手始めにどこの場所で敵連合に拉致されたのか、接触の時間、その時の敵の構成人数…いくつもの質問が警察の口から飛び出す。俺のわかる範囲内でその言葉を返してゆく。爆豪もきっとこんな事情聴取を受けたのだろうなぁとは想像するとため息が漏れる。うん、体調が絶不調のときに受けるもんじゃないね。先生と両親に感謝だ。最後にと口添えをして目の前の刑事が言葉を紡ぎ出した。

「君と敵連合…死柄木との関係だ。爆豪くんに関しては彼自身が目立つのもあるし雄英に入学する前の事件でのこともあって有名だ。敵連合が興味を持つのもわからんでもない。でも君は、なぜ拉致されるに至った経緯が不明だ。もし、何か心当たりがあるなら言ってほしい」

心当たり、あるかと言われればある。

「…あるのかな?」
「"その目を向けてくるやつは同類だと思った"とは言われました。だから興味を持ったとも」
「"その目"とは…?」
「相澤先生には一回いったことがあるんですけど、敵連合が学校に侵入してきた…俺たちがUSJで実技してたときよりも前。学校の警報装置が作動した事件があったとき、俺中庭で死柄木と出会ってたんです。その時は先生かなにかかと思ってたけど、…死柄木が俺に触ろうとしたときに気持ち悪くて…思わず個性使って逃げたんですよ、そしたら"面白い"って言われたから、それかな…と」
「死柄木はそれで君に興味を抱いた、と?」
「それ以外はわからないですね。拉致されたとき俺は"オマケ"って言われてて、死柄木個人の意思で俺は拉致られたみたいだし」

爆豪に関しては敵連合の連中も満場一致の様子だったが、俺に関してはさらった本人である荼毘自身も苦言を漏らしてたし。敵に墜ちるなんてそんなことしないしね。

「なるほど。ならまだ奴らが君に接触してくる可能性がゼロではないという事だね」
「遠慮願いたいですけどね」

切実に。でも、死柄木たちが己らの目的を果たすべく動くなら嫌が応にもまた接触してしまう可能性は、あるよね。あぁ、やだ。

「我々が聞きたかったのは以上だ。ありがとう、ゆっくり体も心も休めるんだよ」
「…ありがとうございます」

がちゃり、と保健室のドアが閉じきり2つの足音が聞こえなくなってから大きく息を吐きだした。かたん、と硬質な音の方へと視線をやるとリカバリーガールが優しく香り立つ緑茶を茶器に淹れている所だった。ふんわりと薫る茶葉の匂いがゆるゆると張り詰めていた空気を溶かしてゆく。

「ほれ、緑茶だよ」
「ありがとうございます、…あー、疲れた」
「警察もあれが仕事だからね、仕方ないさ」

うん、わかってはいるんですけどね。どうも雰囲気が苦手なんだよね、ああいう人たち。緑茶のほんのりとした苦味が口内に広がる。更に静かに出された大福に手が伸びる。もちもちしてて美味しい。

コンコン。

硬質な音が保健室に響く。リカバリーガールに視線をやれば彼女が答える前にガラリと音を立て扉が開いた。

「あ、先生」
「…無事治ったんだな。問題はなさそうか?」
「異常はないよ。火傷のあとは残っちまったけどねぇ」

ちらりとこちらを伺う相澤先生にへらりと笑い大丈夫だと告げる。それに小さくため息を漏らしてから相澤先生も椅子に腰を下ろした。

「寮内の説明は他の奴らには終わった、戻ったら聞いておけ。今頃片付けでもしてんだろ」
「わかりました。部屋は何階ですか?」
「…4階だな、爆豪たちと同じ階だが大人しくしとけよ」

いや、なんで暴れるのが前提なのだろうか。先生の中で俺そんなに暴れキャラなのだろうか。

「聴取も終わったか?」
「終わりましたよ、緊張するんで嫌ですね」
「あんなモンさっさと忘れちまえ」

あまりにもきっぱりと言い放つ先生に思わず苦笑いがこみ上げる。さっぱりし過ぎじゃない?

「しかし、どうもアンタは巻き込まれ体質というかなんというか…。緑谷ほどじゃないけど怪我が多い子だねえ」
「怪我こさえないように努力はしてるんですけどねぇ、痛いの嫌だし」
「気をつけな」
「はぁい」
「夜守」

相澤先生から硬い声が飛ぶ。リカバリーガールに向けていた視線を先生に向ければ眉を寄せ大層機嫌が悪そうな表情を浮かべている。

「怪我すんじゃねぇぞ。お前は痩せ我慢する質だろ」
「いや、別に痩せ我慢してるわけじゃなくて。人より痛みを感じにくいだけというか…」
「ああ?なんだと?」

いや、先生そんな凶悪な顔向けないでください。リカバリーガールも渋い顔してるから助けを求められない、何これ四面楚歌?

「痛みを感じにくいだって?」
「ちゃんと検査したことはないですけど、多分。父親が無痛の個性持ちなので若干体質で継いでるのかなぁと」

じゃないと転けて実は骨折してたのに笑顔で駆け回るとか正気の沙汰じゃないよね。あまりの腕の腫れ具合を変に思った身知らぬお母さんがわざわざ病院に連れて行ってくれました、はい。それから両親も父親の個性を少し受け継いだのでは?と訝しむようになったらしい。…父親はだいぶ落ち込んでたけど。

父は自分の個性でずいぶんと苦労をしたようだし、それを俺が少しでも受け継いでしまったことに気落ちしたのだろう。まぁ、ずいぶん昔の個性の発現する前のこの世界でも無痛病というものが難病指定になったりもしたし、怪我しても痛みがないから思っているより重症化したりとかいろいろ弊害もあったようだし。…俺はそこまで行かないけどね。切り傷とか打ち身は気づかないこと多いけど、流石に大怪我したりやけどしたりしたら気づきますから。


「USJの時にも随分我慢強いとは思ってたけど、無痛個性の体質を受け継いでたんだね」
「とはいってもほんの少しですよ?USJのときとか、さっきみたいな怪我したら流石に痛いですし」
「普通あれくらい大怪我してたら脂汗もんだよ。失神するやつもいるんじゃないかい」

いや、そんなはずは…。反論しようにもリカバリーガールと相澤先生の眼光が怖すぎて口が開きません。黙っときます、はい。

「俺たちの"個性"は人それぞれだ。お前が危惧していないかすり傷でも相手の個性によっちゃそれが決定打になりうる可能性もある。何に対しても気を配れ、お前はまだまだ気配にも疎い。何かあってからじゃ遅いぞ」
「はぁい…」

お説教までされてしまい内心げっそりとする。事実なだけに何も言い返せずに先生の言葉を頭に叩き込む。

敵の気配に聡くなれ、と。そのためにも。


ーーー極限無想。


あの時、ほんの一瞬だけ現れた俺のパートナー。前世のあの時と姿形変わることなく存在したその姿に今になって背筋が粟立つ。

それをモノにすることができれば、できることの幅が広がる。気配にも敏感になるし、なにより技の精度が格段に上がる。早く物にしなければ。

「近いうちに仮免の試験もある。技は早いうちに磨いとけ」
「はいっ!」

やることは、たくさんある。

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