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「あ…」
「ん?」

戸惑いを含む声に伏せていた視線を上げる。バチリとあった視線上には独特な紫の髪と深い隈の縁取りが特徴的な……………、誰だっけ?いや、わかるんだよ?体育祭の時に緑谷と対戦してた普通科の人のはず。操作系の個性だったのは覚えてるんだけど。

うーん、と本人を前に悩んでいると目の前の彼ももごもごとさせたあと、意を決したように開いた口は横からの声に阻まれ俺の耳には届かなかった。

「かなめー、ランニングマシーン空いたぞー」
「あー、いくいく」

鋭児郎からランニングマシーンが空いたという声に答えながら目の前の彼に視線を移す。が、一度開けられていたはずの口は閉ざされふいっと視線も外れたので何もないのかなと特に何も言わずにタオルを肩にひっかけランニングマシーンへと向かった。

「夜守も筋トレか?」
「筋トレてか、ランニング。体動かし足りないし、外雨だし」
「だよなぁ、急に半日休みだって言われてもなぁって感じだよな」

ベンチプレスを上げていた(しかもえげつない重さ)砂藤と軽く会話を交わしながらほんとになぜ急に半休になったのか首を傾げた。先生たちいわく適度な休息も必要、とのことだけど。

事の発端は今日も朝から開始された個性圧縮訓練の最中だ。何時もならば朝から夕方まで行われるそれが、本日は午前で終わりと言われたのだ。喜ぶメンツ半分以上、体を動かし足りないメンツが少数。その少数派が体を動かすために学校内の施設へと集結しているのだ。俺自身もいろいろ試したいことがあったのに授業中でなければ個性使用が大々的に認められないのだから練習できないのが痛いところである。しかしするまい、バレたときが怖すぎる。

砂藤と別れ、鋭児郎が確保してくれていたらしいランニングマシーンに乗り込みイヤホンを装着する。心地よい音楽が流れ始め、マシーンの速度や時間を設定してスタートを押す。そのときには最初に目が合った名前を思い出せない男子のことは忘れ去ってしまっていた。





「あー…きもちい」

熱がこもり、汗だくになった体を冷たい冷水で一掃すれば生き返る心地だ。持参していたシャンプーにリンス、ボディソープで体を丸洗いすればもうスッキリ。鋭児郎たちはまだまだ体を動かすんだと俺がシャワー室に向かう傍ら筋トレマシーンに乗り込んでいた。…元気だね。

シャワーで流したからといえ、服を着てしまえば体がまとっている熱でまた汗をかきそうだとスボンだけ履いて扇風機の前を陣取っていると。

「あ」
「うん?」

デジャヴ。すっかり記憶の片隅へと追いやられていた数時間前の記憶が舞い戻ってきた。声のした方へと視線をやれば、また同じように独特な紫色の髪に濃いくまを携えた名前のわからぬ男が立っている。……本当に名前なんだったかな。

ちらりと周りを見渡した目の前の男はなぁ、とジムでは固く閉ざされていた口を開いた。

「怪我、なかったのか?」
「?」

怪我、とはどの時の怪我の話だろうか。最近の圧縮訓練での怪我なら打撲とかくらいだけど元凶は言わずもがなエクトプラズム先生である。でも普通科の人が個性圧縮訓練のことは知らないだろうし。

「この間の敵連合に拉致されたときだよ」
「あぁ、あのときね。怪我はまあ火傷とかあったけどリカバリーガールに治してもらえたし問題ないよ」
「…そうか」

思わず触れた右のこめかみあたりをじっ、と見つめたあとにホッとしたように目尻を緩めた目の前の男にクエスチョンマークが頭の中を飛び交う。…………彼こんなキャラだったっけ?なんか緑谷に対してとか、俺たちヒーロー科に対してツンツンした感じの態度じゃなかったっけ?体育祭の前に宣戦布告してきたのも彼だよね?

「アンタにずっと礼を言いたかったんだ」
「ううん?」

ずっと?礼を?申し訳ないくらい彼に対しての記憶が乏しい。俺なんかしたっけ?体育祭のときなんか全然接点なかったよね?え、それ以降でどっかでなんかあったっけ?なんか雄英に入ってから毎日が濃すぎて覚えきれていない。そんな俺の様子を察してか、目の前の彼がぽつりぽつりと口を開いて発した言葉はもう彼方の記憶の出来事だ。

「ヒーロー科の最終実技試験、ロボットだったろ。その時同じグループだった」
「あ、そうなの」

とはいえ、一グループに50名以上がいただろうし全然記憶にない。最終試験で記憶にあったのって俺が面白い勘違いをして覚えていた爆豪くらいだ。……今思い出してもよくそんなことを思ったなと昔の俺に問いかける。自殺行為である。

「最終盤、現れた0p敵からアンタの個性で守られたんだよ」
「ん?あー!あの時の!」

0p敵、俺の個性。そのワードでようやく思い出した。試験時間後半俺が0p敵に挑んで巻き込んでしまった男子生徒に、その時のできうる限りの力で降り落ちてくる瓦礫から防御したのは苦い記憶である。え、マジかそれが目の前の彼?うーん、必死すぎて全然覚えてない。

「俺じゃあロボから逃げるどころか、瓦礫も防げなかった。…アンタさっさと帰っちまうからその時礼が言えなかったんだよ」
「いやぁ…燃料切れで回収されて、説教されて落ち込んでたから、ね」

あはは、ともう笑うしかない。目の前の彼は笑うどころか真剣な面持ちで口を閉ざしている。その様子に俺も静かに口を閉ざした。

「………あの時はサンキュ、助かった」
「いや、うーん…元々巻き込んだのは俺だけど。うん、そっちも怪我がなかったなら良かったよ」
「ああ」

途切れる会話。もともとそう多弁では無いのだろう互いに色々共通の話題がなさすぎて会話が続かない。うーん、と声には出さないままちらりと彼を見れば程よくついた筋肉が目に入る。………………なんか俺より筋肉ない?

「そっちも筋トレ?」
「ああ、何もしてないより鍛えてたほうがいいだろ。…もしかしたらって事もあるし」
「そりゃああの試験内容じゃあ不利だよね」
「あのときほど雄英の試験内容を恨んだことはないよ」

ふっ、と笑いながら呟くその表情に憂いの色はない。以前はドロドロとした恨みがましい目で爆豪を煽っていたこともあり、話題のふりを間違えたかとヒヤリとしたが…大丈夫そうである。なんかあったのかな?

「そっちは仮免受けるんだって?」
「あーうん、そう来週。今急ピッチで必殺技とか考えてるよ」
「必殺技ね、かっこいいじゃん」
「とりあえず受かることが一番かなぁ」
「アンタなら大丈夫だろ」

ふいっ、とそっぽ向いた彼の顔を見つめる。純粋な賛辞に思わず口元が上がる。その後にポツリとつぶやいた言葉は扇風機に阻まれ聞き取れなかった。なに、と問えばやけになったように強い語調で言葉が飛び出して来る。

「俺の個性で役に立つなら、訓練付き合ってやるよ!」
「え、マジで?」

なんと、願ったり叶ったりの要望を本人から頂いてしまった。精神操作系である個性持ちなんて知り合いにもクラスメイトにもいるはずもなく。その個性を俺の個性で相殺することができるのか、彼の個性を知ったときから知りたかったのだ。知らないことほど怖いものはないしね。予想としては普通の結界やもしかしたら極限無想では相殺はできないかもしれない。しかし、空間ごと切り離す絶界や真界、繭なんかは影響を受けないかもしれない。それを試すことができるなんてなんてラッキー。

俺のあまりの食いつきにどぎまぎとしていた目の前の彼だが、呆れたように一つため息を漏らして笑った。強張っていた肩がゆるりと降り、目尻を緩めている。

「まぁ、俺も訓練があるから暇なときだけだけどな」
「十分十分!え、連絡先聞いててもいい?そっちも俺でよかったら訓練付き合うし言ってよ」
「ん、サンキュ」

おもむろに彼が取り出したライン画面をこちらも呼び出し連絡先を交換する。心操人使、シンソウね。オッケー覚えた。

「また連絡する、都合がいいとき教えてね」
「ああ、そっちも。…頑張れよ」

ひらりと手を降って去っていった心操を見送りながらなだれ込むように更衣室に乱入してきた挙げ句倒れ込んだ鋭児郎たちにスポドリを投げつけるのはそう遠くない未来のことだ。



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