傷と。こんのすけと。…?


ドシュッという、久々に聞いた音とあまりの熱に挙動が止まる。目の前の、異形姿の怪しげな光を放つ瞳がニヤリと歪む。あぁ、失敗した。思わず抉られた横っ腹を、これ以上出血しないように強く抑えたのは本能か、恐怖心からか。どくりどくりと脈打つそこから溢れ出てくる血が、指の間をすり抜け俺の黒い衣装を更に黒く染め上げる。はぁ、と幾分か上がる息を吐き出しながらこちらへ向かってくる幾重もの凶刃に向かって静かにつぶやいた。






「おや、おかえりなさいませ。本日はお早いのですね」

ブォン、と音を鳴らし出現した扉を潜ればもう我が家と言っても過言ではない、住み慣れた本丸の地に静かに息を吐き出した。俺が予想外に早く帰ってきたものだから、何やら畑仕事をしてくれていたらしいこんのすけがテケテケとその短い足でゲートの方まで駆け寄ってきた。途端に叫び声を上げるのはやめてほしいが。

「あ、あ、あ、主さま*!?どうされたのでございますか!?いままで無傷で帰ってこられていたのにこのお怪我!すぐに治療をせねば…っ!」
「痛いけど死なないからそんなに大声出さないで。ねぇ、ここって救急箱とかないの?」
「あるにはありますが、それは応急処置のものです!主さまは政府の病院に行くべきです!」
「いやー…遠慮する」

だって政府ってあのブラックすぎる人と連絡取らなきゃいけないってことでしょ。ヤダよ。しかも俺が怪我したところで審神者にも刀剣にもあんな雑い扱いする政府が俺のために病院で治療させてくれると思う?あわよくば体のいい実験体にされそうだから断固拒否。

「そのうち治るし、なれてるから平気。救急箱どこ?」
「離れにはありませぬ。救急箱は本丸の傷ついた刀剣を治療していた薬研藤四郎が持っていたようなので、手入れ部屋あたりにあるかと思われます」
「そう、ありがと」

じゃあその薬研藤四郎の救急箱を借りに行きましょうか。ついでにきれいなタオル持っていっとこ。パッと目についたタオルと清潔なガーゼ、ペットボトルを無造作に掴み、痛みで引きつる脇腹を抑えながら本丸を目指した。おろおろと俺の周りを心配そうにくるくる回っているこんのすけをみやり小さく笑った。そんなに心配しなくても大丈夫なのに。

本丸の手入れ部屋。未だに、俺が施した結界内で手入れをされている刀剣がある場所。畳の上、ところ狭しと置かれた手入れ部屋の一番置くに目的のものはあった。…刀踏まないように気をつけよう。

すす、と畳の上を歩きながら足元にかなりの注意を払う。いつもなら気にせず通るんだけど、今はちょーっとばかりふらつくから躓いて刀踏んだとか言ったらここにいる全部の神様の怒り買いそうだし。おそろしや。

やっと、小さなタンスの上に置かれた救急箱が手に届くところまで来た。…もうここでパパッと使わしてもらおう。救急箱もってとか、刀踏みつぶ…(規制)。

「あ、薬研藤四郎」

くるりと刀剣たちに振り返り、…ちょっとどれが薬研藤四郎かわかんないけど…一応断りを入れておこう。救急箱かりてすぐ返すから怒らないでね、と。また後で使った分補充しとこ。

「ちょっと救急箱かしてね」

当たり前だけど、返事はない。まぁ、気持ちの問題だよね、うん。手入れ部屋の端、空いているスペースにあぐらをかいて座り込み思わず大きく息が漏れた。…まだ血止まってないし。

「こんのすけ、持ってこれそうなら桶持ってきてくれない?バケツでもいいけど」
「はいっ、今すぐ!」

てけてけーっ!と軽やに走り去った可愛らしい狐の後ろ姿をみやりながら小さく笑いが漏れた。向こうからひっつかんできた水入りペットボトル、ガーゼ、タオルを床に置きながらそろりと横っ腹に当てていた手を外し、まだ、だらりとこぼれてくる血の感覚に眉を寄せた。なんか、思ってたより傷深いのか?

さっと、上の衣を脱ぎ去り、少し考えてから血で畳が汚れないように丸めてから置いた。傷口以外の血がパリパリに固まり服で抑えられていた独特の鉄臭い匂いが鼻をつく。いつもなら、…いや、前なら怪我したら世話焼きが数人飛んできてあれやこれやと手当をしてくれたけど。

しぃんと静まり返った本丸をぐるりと見渡す。ほんとに、俺一人なんだなぁと、覚悟を決めてきたはずなのになぜが少し寂しくなった。

とたとたと、軽い足音が近づいてきた。小さな口に頑張って加えている桶が可愛らしい。こんのすけにお礼を言ってから持ってきていたタオルを水で濡らし、簡単に血を拭ってから消毒液をぞんざいに傷口にふっかけながらガーゼをしこたま傷口押し当て、手早くテープで圧迫した。俺の手際の良さ?にこんのすけは感心しながらも複雑そうな視線を俺の体に向けている。

「…これらの傷は前の主さまのお仕事ゆえですか?」
「そうだよ。…いつからかな6、7歳にはもう仕事してたな。…まぁ家系的にねそういうことを生業としてたし仕方ないんだけどね」

けどまぁねぇ。普通ではないと思う。いくら先祖の代々守るべきものがあったからと言って一桁の子供にさせるべき仕事ではないよねぇ。おかげで体中は傷だらけだし、学校でのプールの授業はもちろん、身内以外で肌を晒す機会があればあらぬことを疑われるし。うん、あまり体の傷に関してはいい記憶はない。

テープで圧迫した上から手で更に抑え、じわりじわりと染み込んでくる血が収まった頃にはとうに日が暮れていた。あ、やばい今日の日課まだ終わってないじゃん。唐突にそのことを思い出しパパッと手早く救急箱をもとの場所に戻し立ち上がった。脱いだ上着と血で汚れたタオルは水にさらしておくとして…と脳内であれやこれやとと考えていると、主さま…?とこんのすけの困惑したような声が耳に届く。

「急にどうされましたか?なにか…?」
「いや、今日の日課終わってないなぁって思い出して」
「そのお体でですか!?無理は禁物です、漸く血が止まったばかりですのに動けばまた傷口が開いてしまいます!」
「一番簡単なところ行くから平気。できるだけ動かないようにするし、傷口もベルトで圧迫するから」
「だめです!だめですよー!!」

きゅんきゅんと悲痛な叫びを上げ、目をうるうると涙でため、俺を見上げる姿に思わずうなずきそうになるが。ちらりと横目で漸くきれいになり始めた刀が目に入りふるりと頭をふる。

「刀剣直すのに資材もたくさんあるに越したことないし。あと二回、出陣したら日課の褒美も出るし、ね?それだけ行ってくるよ、それが終わったら一緒にお稲荷さん食べよ」

20分で終わらせてくるから。こんのすけの頭をよしよしと撫でながらそう言うと、ちらりとこんのすけも刀剣たちを見てから唸るように、ようやく頷いた。

「ほんとうに!ほんとうに!一番難易度の低い函館ですよ!20分経ってもお戻りになられなかった際はこのこんのすけ、合戦場まで赴きますからね!」
「いや、ヤメテ君戦えないでしょ」
「それくらいの心づもりでお戻りくださいということです!」

きゃんきゃん喚くこんのすけにこりゃあ責任重大だなぁと鈍い痛みを訴える脇腹を抑えながらくつりと笑う。

「すぐ戻ってくるよ」

20分ですからね!と時計を咥えてゲートに鎮座するサポート役に思わず苦笑いが零れた。






ーーーーーーーーーーーー
刀剣サイド。



新たな審神者がこの地に現れ俺たちに正常な力を循環し始め、意識が戻ってから早一月ほど。破壊寸前の刀剣たちはまだまだ意識を回復していないものもいるが中傷、もしくは重症でもまだ軽い者たちの意識はとうに戻り意識の戻ったもの同士動けないまま意思の疎通はしていた。というより、それをする他に暇を潰す方法がないのだ。

初めて新たな審神者を見たときは前のやつではないと分かってはいても、憎悪と嫌悪感しか無かったがこの一月絶えず与えられる神力に、新たな審神者のもともとの力である結界の中にある穏やかな力に凝り固まっていた黒いものがほろりほろりと溶けていくような気がしている。まぁ、俺は、だが。

『…なにやら結界が少し揺らいでいるね』
『なぁに、あの人間ヘマでもしたわけ?』
『……血の匂いがする』

ぽつりぽつりと言葉を漏らす中でスッと手入れ部屋のふすまが開いた。瞬間、血の匂いが濃くなる。

新たな審神者が、右の脇腹を左手で強く押さえつけているのがわかる。いつもよりも青白い顔にふらりと揺れる上体に思わず手を出しそうになったが、かたりと刀が少し揺れただけだった。

『この人間が血を出してるの初めて見たな』
『え、え、死なないよね?』
『ふふふ、いろんなものが溢れてるね…血のことだよ?』
『癇癪に任せてなんかしなきゃいいけど』

その発言にピンと空気が緊張する。この人間、今までは俺たち刀剣に対して乱暴な扱いはしてこなかったが、人というものは感情によってそのさまが激変する。…前の人間がそうだったように。この人間も例外とは言えない。

よたよたと俺たちの間を通り抜け、部屋の奥にあった棚の前にどさりと座り込んだ人間を静かに見つめる。何かに手を伸ばしかけ、唐突にこちらを向いたかと思えば、目があった。気がした。

「薬研藤四郎」
『!?』
「ちょっと、救急箱かしてね」

へらりと笑ったその顔に思わずおう、と言ったが当の人間には聞こえなかったらしい。…当たり前か。こんのすけに何か使いを頼んだらしい人間は無造作に上の着物を脱ぎ捨て肌を顕にさせた。それに、俺たちは更に息を呑むことになる。

『…あの傷。槍か』
『あー…高速槍にやられたのか?あいつらはぇえもんなぁ』
『他にも切創に銃創に爆傷、刺傷、咬傷もあるな。…かなり古そうだが』
『うわぁ…』
『あの人間。ここに来るまで何していたんだ?』

それほどまでにおびただしい数の傷跡。普通と呼ばれる生活をしていれば付きそうにない傷の数々。…現に前いた人間は一切体に傷らしい傷はなかったように思う。

こんのすけが口にくわえてきた桶を礼を言いながら受け取り、手際よく手当していくさまにほぉと感心する。…しかしまぁ、かなり雑だが。

あまりの傷跡にこんのすけも恐る恐るというように人間に問うた答えが帰ってきた言葉に絶句する。生業って一体何してたんだこの人間。というより、今まで気にかけてなかったが、ただの人間があの合戦場にいってこれまで無傷で帰ってきてたこと自体がおかしいんだよなぁ。改めて自身の主になりえるかもしれない男に視線を向けた。

こんこんと、こんのすけと談笑しながらも腹の傷を圧迫していたらしい男の手がようやく離れ、何かを思い出したかのように身支度を始めた。こんのすけが疑問の声を上げると「日課をこなしてくる」という男。…………、………は?

『ははっ!こいつは驚きだなぁ!』
『……………何考えてんのあの人間』
『いやいやいや、人間でしょ?傷治ってないじゃん』
『はっ、あいつが死のうがどうしようがあいつの勝手だろ』
『君、これだけ世話になっといてよくその言葉が出てくるね』

ざわりざわりとこちらのざわめきなどお構いなしに淡々と言葉を紡いでいく男にこんのすけは涙目だ。しかし稲荷寿司という好物の食い意地と、資材が必要だという男の言葉に唸り…最終的には折れていた。管狐も食い物には弱いのか。

にじゅっぷん、というのがどれくらいの時間家はわからないが一番簡単なところと言っていた口ぶりから函館であろうことは予測できる。…新たな傷をこさえてきてないことを少しばかり思う。

後日談になるが、宣言通りにじゅっぷんで戻ってきた男だが、次の日には熱を出したようでこんのすけのぷりぷりと怒る声がこの静かな本丸に響き渡っていた。まぁ、あんな傷を作りゃあ熱の一つや2つは出るわな。


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