緋色との邂逅


最近ハマっていることは?と聞かれれば真っ先に"読書"と答えられるほど今の俺は本を読むことに熱中している。

そもそも小説なり漫画なり専門書なりとにかく読み物と呼ばれる類は前世の頃から興味はあった。しかし、前世のあの殺伐としている日常の中で優雅に読書になど時間を割けるものか、俺は無理だった。読書する暇があるならご飯を食べる、ご飯を食べる暇があるなら少しでも睡眠をとって体力を回復させる。…今思い出してもなんて味気ない人生だったのだろう。ブラック企業のようだ、いや実際そうだったけど。

その反動か、昔からかは未だにわからないが文章を読むことが今の生きがいになりつつある。フィクションであれば広がる空想の世界に思いを馳せるし、マニアックな専門書であっても現在の知識に胸が踊る。特に今ハマっているのは推理小説だ。王道であるシャーロック・ホームズやそして誰もいなくなった、インフェルノ。最近だとナイトバロンシリーズが面白い。しかも最新作が先週出ていたらしく、それを求めて今書店に来ているのだが。

「申し訳ございません。在庫切れでして…現在のところ増版も決まっていないようで注文も承れない状態でして」

店員の申し訳なさそうな表情に思わず項垂れる。これで10戦連敗である。大きめの書店から個人店までいろいろなところを見て回ったが全て振られ、ネットなんて予約で回線落ちたとか書いてたしもっと多めの部数発行すべきじゃない?出版社よ。

まぁないものは仕方ない、ネットオークションでバカ高い値段がついている本を指を咥えて見つつ古本として世に出回るか、増版があるのを待つ他ない。できれば増版希望である。

収穫もなかったので学校終わりの早めの時間をゆっくり歩いて帰る。帰って何しよう。ぼんやりと思考を彼方に飛ばしていると後ろから俺を呼ぶ声を耳が拾い上げる。

「コナンくんだ、こんにちは」
「かなめさん、こんにちは。どうしたのなんか沈んでるね?」

黒い大きなランドセルを背負った小さな少年を見下ろし、思わずそのちぐはぐさに癒やされる。コナンくんとは以前の犯人立てこもり放火事件で知り合ってからちょくちょくと顔を合わすようになった。

というのもコナンくんも大の推理小説好きということが判明し、小学一年生だよね?あの小難しい話読めて漢字読めるの?とも思ったが彼の口から語られる饒舌な言葉たちに、子供が大人の真似をして言葉を話しているのではなく、本心から彼が理解し推理し、小説のフィクションを楽しんでいるのだと理解してからは格好の話友達になっている。…小学生相手にしてもらってる高校生とか言わないで、だって他にこんなに推理小説読んでる人いないし、コナンくんが実は大人ですといっても驚かない自信はある。てか、そのほうが納得する。

「実はさ、ナイトバロンシリーズ新刊が先週出てたの知らなくて」
「うん」
「気づいたときにはもうどこも完売しててね、今さっきも振られてきたところ」

へらりと笑いながらも振られたことを思い出して肩を落とす。てか、もしかしてコナンくん持ってるんじゃない?持ってたら貸してくれないかなぁと淡い期待をいだき口を開こうとしたが、先にコナンくんが言葉を転がした。

「僕も今読んでるよ!僕が読み終わったあとに貸してもいいけど、すぐ読みたいよね?」
「うん?まぁ、出来るなら。でもコナンくんが読み終わってから貸してくれるならそれでも十分だけど」
「だったらさ、新一にいちゃんの家に行ったらあるよ!」
「新一って毛利の幼馴染の?今海外にいるんじゃなかったっけ?」

クラスにずっと不在の席があるなぁとクラスメイトに聞いてみれば工藤新一といって探偵で今は海外で活動しているとかなんとか。そんなスーパー高校生がいたもんなんだなぁと思ったのはつい先日の話だ。しかしなぜ海外にいる彼の家に新刊があるのだろうか。

「新一にいちゃんのお父さんがね、ナイトバロンシリーズの作者さんだから絶対あるよ!新一にいちゃんに家の出入り勝手にしていいって言われてるし貸せるよ?」
「マジか」

そんな有名な作家さんが身近なところにいる人物の父親だと誰が思おうか、思うまい。是非会った時にサインほしいけど海外にいるそう、残念だ。

「工藤が良いならかりたいんだけど…いいのかな?」
「僕の方から新一にいちゃんに言っとくから大丈夫だよ!じゃあ行こっか!」

なんて心強い小学一年生だろうか。まさか新作がすぐに読めるかもしれない嬉しさに思わず口元が緩む。あ、と何かを思い出したように言葉を発したコナンくんに視線を落とす。

「今ね、新一にいちゃんの家に居候してる人がいるんだけど。家に入ってもいいか確認してからでもいい?」
「うん、俺は構わないよ」

そりゃあ家にいる人がいるならまず家に入っていいかその人に確認するのが筋だろう。ランドセルの中からスマホを取り出したコナンくんが俺から少し離れたところで電話するのを見て、やっぱり実はコナンくん大人なんじゃない?と思ったのは仕方ないだろう。だって小学生が人目気にして離れたところで会話する?前世の俺だったら絶対してない。てか思いもしないし。

「今から来て大丈夫だって!かなめさん、いこー」
「連絡ありがと。居候さんて男の人?」
「そうだよ!その人も推理小説好きな人でね、シャーロキアンなんだ!だからきっとかなめさんとも話し合うと思うよ」
「嬉しい誤算」

よもや、推理小説仲間が増えるということだろうか。しかもかなり複雑で緻密な推理力が必要とされるシャーロック・ホームズシリーズを好むシャーロキアンであるならば頭の回転の早い人なのだろう。コナンくん然り、洞察力に優れてる人が多いからか、話のテンポが早くて好きだ。さすがにあまりにもマニアックな会話にはついていけないけど。

住宅街を歩き、暫くして見えた大きな邸宅にぽかんと口が開く。大きな門扉の奥に建てられたこれまた周りの住居よりも立派な家に本当に有名作家さんの家なのかぁと実感が湧いてくる。門扉を押し開けようとするコナンくんを持ち上げ、解錠してもらい家の中へと足を進める。

「昴さーん!お邪魔しまーす!」
「さっき言ってた居候さん?」
「はい、沖矢昴といいます。はじめまして」
「うぉっ」

ひょこっと玄関から一番近い部屋から顔をのぞかせた男の人の出現に大きく肩が跳ね上がる。ドキドキと変な鼓動を刻む胸を抑えているとくすりと笑いが耳に届く。目が開いているのかと不思議になるくらい細目の、痩身の男性。明るい赤茶の髪にメガネが印象的だ。じっと見ていればにこりと微笑まれる。

「立ち話もなんですし、どうぞ」

くるりと身を翻した沖矢さんは家の奥へと消えていく。コナンくんもなにも躊躇せずに家に上がり込み、且つ俺にスリッパを差し出してくれるのだから慣れてるとしか言いようがない。

「お邪魔します」

そろりとコナンくんの背中を追いかけ、沖矢さんの潜っていったドアを押し開ける。空間に入った途端にふわりと香る書斎独特の、インクと紙の香り。眼前に広がる壁と一体化した大きすぎる本棚。部屋に一歩足を踏み入れくるりと見渡しても本、本、本。本だらけである。

こんなに本があるなんて思っても見なかった。江戸川乱歩、アガサ・クリスティー、エドガー・アラン・ポー、スティーブ・キャバナー…どれも有名な推理小説家だ。巨大な誘惑へとそろりと近づきながら視線は本の背表紙を追う。ぱたりぱたりと俺の立てる音だけの静かな空間でひたすら背表紙を撫でる。

知っている作者や作品が出てくると思わず口元が緩み、初めて知った名前を見ると思わずその背表紙を撫で、アーサー・コナン・ドイルをみつけた。シャーロック・ホームズシリーズを指でなぞり、一つのところで視線が留まる。"シャーロック・ホームズの帰還"そういえば短編作であるこれは読んだことがない気がする。欲求のまま本を引き抜こうとして、はたと、我に返る。

今ここはどこであったかと。

ギシギシと、まるで油の切れた機械のように首を回し、視線の先にあった2つの顔をみて思わず腕で顔を覆うようにしゃがみこんだ。

「ふっ、…そのまま見てていいんですよ?」
「かなめさん、僕達のことは、っ、気にしなくていいから…っ」

顔を見なくてもわかる。笑ってる、沖矢さんは微笑ましそうに笑ってるし、コナンくんに至っては笑いを隠せず肩を震わせて笑ってるのが目に浮かぶようだ。…穴ほって埋まりたい。

「そんなに熱心に見てもらえるとここの蔵書も喜ぶと思いますよ。今では僕が時々読ませて頂いてるくらいですから」
「こんなに推理小説が揃ってるのはじめてみたんで…」
「まぁ、マニアックですよね、ここまでくると」

沖矢さんがなにか考え込むように指の腹を唇の下に押し当てこちらを凝視したままおもむろに口を開いた。

「シャーロック・ホームズ読むんですか?」
「これ以外は一通りは読みました。日本語版ですけど」
「ホォー、」

キラリと沖矢さんの目が光った気がする。いや、細目すぎて見えないけど、例えるならね。ほぉーと意味深な言葉を残したまま、俺とコナンくんの前からそそくさと消えた沖矢さん。…どこか読めないなあの人。

「かなめさん気になるやつ持って帰って大丈夫だよ」
「え、そんなこと許可すると俺ここに入り浸りになっちゃうけど」
「…うん、そんな気がする」

苦笑いを浮かべるコナンくんを尻目に視線を本のタイトルへと戻す。一体何冊の本がここにはあるのだろうか。図書館並みな気がする。コナンくんのおすすめは何なのだろうか、やっぱりシャーロック・ホームズ?

「良かったらこれ読みますか?」

ずいっと目の前に現れたのは"The Return of Sherlock Homes"とタイトルの書かれた一冊の本。シンプルな表紙にこれまたシンプルな背表紙。パラパラと捲ったページのどこを見ても横文字の英語しかない。これはもしかして。

「げ、原文…」
「作品の魅力を味わい尽くすのであればやはり原文が一番ですよ。…まあ、君が英語でも読む気があればですが」

……この人、わかってる。やはり本というのは書いた人の意図がすべて集約されたものだと言っても過言ではない。しかし、英語が原文のシャーロック・ホームズシリーズを翻訳するとなれば、やはり翻訳者の考えがそこに組み込まれ、純粋な作品ではなくなってしまう、と俺は思っている。だから、作者が外国人であった場合、翻訳者は誰だろうかと最初に見てしまうのである。だって同じ作品のはずなのに翻訳者によってニュアンスや表現が異なってくるのだから、自分好みの翻訳をしてくれる人じゃないと読む気になれない。

「シャーロック・ホームズシリーズを翻訳されたものであれ、読んでいるのであれば原文を読むにしてもそう困らないとは思いますが」
「読みたいです!あ、でも英語がすごい得意なわけではないので、かなり時間かかると思いますけど…」

勢いで言ってしまってからちらりと沖矢さんを煽り見て恐る恐る言葉を紡ぐ。日常会話ならまぁまぁ、といった具合だがアーサー・コナン・ドイルのことだから難しい言い回しとか使ってそうだし、そうなるとすんなり読めるかといえば、難しい。

「構いませんよ、僕の私物ですし。僕としてもホームズを語れる子がいるのは好ましいですからね。返すのはいつでもどうぞ」
「ありがとうございます!」

自然と口元が緩んでしまいにやにやしているであろう俺を微笑ましげに見ている大学院生と小学生の図はなかなか異様な光景だろうがこの場に俺たち三人しかいないので見逃してほしい。その合間に気になった本やら最初の目的であったナイトバロンの最新刊も大量に借りてほくほくと俺は家路についたのであった。今後俺が工藤邸に通い詰めるのは言うまでもないだろう。


かなめの帰ったあと。
「…シャーロキアンこえぇ」
「コナンくん何か?」
「なんでもないよー!あははは…」


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なんだかんだ沖矢さんに可愛がられるといいよ。な思いを込めて。沖矢さんって妄想で面倒見良さそう。そのうち仲良くなりすぎて名前でよんじゃったり、正体がバレちゃうぷちハプニングを書きたい。


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