寮の共同スペースで、うーんうーんと唸りながらわたしが見比べているのは、三奈ちゃんと透ちゃん、それぞれから貸してもらったおしゃれな雑誌。開いているページには読者モデルおすすめのシャンプーとリンスがずらっと並んでいる。
「どれがいいんだろう…」
生まれつき強いくせっ毛のわたしの髪は、シャンプーひとつで結構変わる。髪に合わないと次の日の朝は爆発したように逆立つし、わりと相性が良いとアイロンをすれば髪をおろしていてもそこそこ落ち着いてくれる。色んな種類を試してみて、これが一番マシかなあと感じたものを長年愛用していたのだけれど、最近生産終了してしまったことをさっき知った。ショックを受けると同時に、今使っているものが残り少なくなっていることを思い出して、慌ててオシャレな友人たちに参考になりそうな雑誌を頼んだのだけれど。

「結局どれを買うべきなのかサッパリわからない…」

1種類使い切るごとに手当たり次第試していく、なんて長期戦も嫌だしなぁ…。ぐぬぬ、と頭を抱えていると、オイ、と低い声が部屋に響いた。頭を起こせば、目の前に立っていたのは爆豪くん。部屋着の上にコートを羽織り、財布を膝に乗せた中途半端な格好でテーブルに突っ伏すわたしを見て、怪訝そうな顔をしている。何してんだと訝しげな彼に、広げた雑誌を指差した。「買いに行こうと思ったんだけど、どれが自分に合うのか、キャッチコピー見ても文章読んでもなんかイマイチよく分からなくって…」と説明すれば、ああ、と真面目な顔で納得された。

「センス壊滅的だもんな、お前」

悲しいことにぐうの音も出ない。
「…爆豪くんはめちゃくちゃセンス良いですものね」「ハッ、ったりめーだわなめんな」やっかみながらジト目で言ったら、普通にドヤ顔で返された。なんだか敗北した気持ちになって(勝てたことなんて1回もないけど)、ふたたび雑誌に向き合ったけど、すぐ立ち去るだろうと思っていた爆豪くんは動く様子を見せない。ちら、と時計を確認した彼が口を開いた。

「門限まで時間ねえだろ。今すぐ出るぞ」

…はい?
聞き返す間もなく、ドアに向かって顎をしゃくる彼に部屋から出るよう急かされる。なんのことやら理解できず、動きが鈍いわたしに舌打ちすると腕を掴まれ、そのまま引きずられるようにして寮を出た。げっ財布忘れた、と気づいた頃には、もうドラッグストアに到着していた。自分のペースでずんずん進んでいく爆豪くんの後を慌てて追いかけお店に入れば、洗髪棚の上から下までぎっしりと並べられたボトルが視界に飛び込んできて気が遠くなる。当たり前だけれど雑誌でピックアップされていた種類より何倍、いや何十倍?もある。こんなの、門限どころか丸1日かけても理想のシャンプーに辿り着けないな、と確信した。ぼけ〜っと突っ立ち、魂が抜けかけていたわたしの前に香料サンプルが数個、掌ごとずいっと突き出てきた。
「好きな匂いと嫌いな匂い教えろ」
有無を言わさぬ口調に抵抗する気も起きず、素直に従ってスンスンと匂いを吸い込み、これは好き、これはあんまり好きじゃない、と選ぶ。仕分け終わった香料サンプルを確認した爆豪くんが、じっとこちらを見つめたかと思えば、顔を引き寄せるようにして頭を両手でガシッと掴まれた。
「〜〜〜っ!?」
声にならない叫び声をあげたわたしを無視して、そのまま髪を揉んだり撫でたりして感触を確かめると、また棚に戻っていく。ポカン、と口を開けて呆然としていたけれど、じわじわと顔が赤く染まっていくのが分かる。

き、キスされるのかと、思った…!

あ、ありえないありえない、なに考えてんの自分!と、ブンブン顔を振っている横で、当の本人はポイポイっと商品をカゴに入れてレジに進み、あれよあれよと言う間に 会計を終わらせてしまっていた。
帰り道、行きよりもさらに歩調が遅くなったわたしはまた引っ張られているのだけれど。…さっきは全然そんなこと感じなかったのに、爆豪くんの手が触れている部分がやけに熱く感じる。その熱が広がっていったかのように、全身がじんわりと温かい。お互い一言も喋らなかったけれど、一緒に歩く無言の時間が何故かすごく心地よかった。


寮に帰れば、門限5分前。なんとか間に合ったとホッとしていると、今まで彼が運んでくれていたボトルを手渡される。
「おらよ」
あ、ありがとう、とお礼を返す声に爆豪くんが言葉を被せた。

「今すぐこれ使って髪洗ってこい」
「へ」
「濡らす前にちゃんと梳かせよ」

ポイっと投げられたヘアブラシを慌ててキャッチした。…これも買ってくれてたの!?唖然とするわたしに構わず爆豪くんは言葉を続けた。

「30分後に来い、遅れたら殺す」
「ひゃい」
「テキトーに洗いやがったらさらに殺す」
「承知しました…!」

両手からバチバチと火花を立てる爆豪くんにくるりと背を向け、急いでシャワールームに走った。シャワーのコックを捻る前に、あっと思い出してヘアブラシを手に取った。いつも使っているブラシは、昔友達とホテルに泊まったときに持ち帰ったプラスチック製で、いかにも安い!大量生産!って感じだったけれど、今手にしているのは目が細かくて柔らかく、髪の流れに沿ってしなってくれる優れもので、これで梳かしただけでなんだか髪がグレードアップした気分…!梳かし終わったところで、さて、とポンプを押すと、室内にふんわりと甘い香りが広がった。思わず動きを止めてしまうほど良い匂い。甘くて優しいけど、甘ったるすぎず、ちょっとオトナっぽい香り。…一言で言えばめちゃくちゃ好きな香りだ。のんびりしそうになったが、慌てて緩んだ気持ちにアクセルを入れて、迅速かつ丁寧にを心がけて髪を洗っていく。最後にリンスを洗い流して共同スペースに急いだ。シャンプーを濯いだ時点で思ったのだけれど、なんだか髪の毛一本一本の手触りがいつもより、さらっと、つやっとしてるきがする…!
絶対当たりだよこれ、むしろ昨日まで愛用してたやつより相性めちゃくちゃいいのわかるもん。ここまでくると、センスが良いとかそういう次元じゃないよ、専門家のレベルだよ…。感心してため息をつきながら扉を開けると、爆豪くんがすでにドライヤーを片手に持ってスタンバイしていた。

「遅ェ」

2分遅刻していた。
目利きの天才にぺこりと謝って、ブローが始まる前に、一応確認。

「…燃やさない…?」
「しねぇわクソが!!」

よろしくお願いします、と呟いて爆豪くんの前に恐る恐る腰を下ろした。想像以上のくせっ毛にイラつかれて燃やされたらどうしようとか、怒らせたら髪の毛むしられるのかな、なんて恐怖で心臓をバクバクさせながら縮こまっていると、予想を裏切り、まるで壊れ物を扱うように動く手が髪を撫でて質感を確かめていく。
驚いて思わず、誰!?と叫んで振り返った。

「動くな、殺すぞ」

爆豪くんだった。

手つきがあまりにも優しいから、別の人と入れ替わったのかと思った…。髪を一房ごと掬う手は、普段の言動からは想像もつかないほど優しく丁寧で、なんだかその、まるで爆豪くんから大事にされているみたいで、さっきとは別のドキドキで胸が苦しい。爆豪くんのことだから、きっと、やるからには最後まで手を抜かず完璧に仕上げてるという気持ち故なんだろうけど。生乾きの部分がないか探る手を、頭を撫でられているように錯覚してしまって、顔がどんどん熱くなってくる。

「…熱かったか」

真っ赤になった顔と耳を見て、ドライヤーを近づけすぎたのかと思ったのだろう。気づけば爆豪くんの瞳が少しだけ心配の色を覗かせながら、わたしの表情を伺っていた。

「…っだ、大丈夫、シャワーで火照っただけだから…!」

首を振ってそう返すので精一杯だった。乾かし終えた爆豪くんが、よし、とドライヤーのスイッチを切った後も、心臓がふわふわと宙に漂っているみたいだった。おやすみなさいと小さく声をかけて自分の部屋に戻るまで、夢なんじゃないかと疑うくらいに。ベッドに潜ったタイミングでやっと意識がはっきりしてきて、自分の髪の毛に手を伸ばした。
「さらっさらだ…さらさらなのにつやつやでふわふわ…」
これホントに髪の毛?高級な毛皮じゃなくて?何度も確かめるように触っても実感できなくて、一房掴んで引っ張った。痛い。
わ、わたしの髪だ…!嬉しくて両側から髪を掬って顔にかけると、ふわりと甘くて爽やかな香りに包まれた。瞬間、爆豪くんの優しい手つきが蘇る。「…っ」恥ずかしさに堪えきれなくて、きゅっと目を閉じたけれど、頭の中は爆豪くんは全然消えてくれなかった。結局、2時間悶々とした後、漸く眠りについたのだった。



「ふぉおお…!」
次の日、ドキドキしながら鏡を覗くと、そこに現れたのは見慣れたボサボサのシルエットではなく、すっきりとまとまっているロングヘアーだった。前髪はくるんと綺麗なアーチを描き、流れる髪は艶を放っている。
落ち着いているのに、ふわふわが失われていない、正にわたしのイメージ通りの髪だ…!
寝癖がひとつもないのは、洗髪料の効果というより爆豪くんによるブローのおかげだと思う。プロ並みの腕前だったもんなぁ…。真剣な目で髪の毛を撫でていた姿が頭をよぎる。

…爆豪くんに、早く見てもらいたいな。

無意識に、足が男子寮へと向かっていた。
ハッと気づいたときには爆豪くんの部屋の前。廊下にかかった時計を見れば、5時20分。土曜日なのに平日よりも早く起きちゃった。どうしよう、と悩む。部屋に戻って時間が経ってからもう一度来るべきなんだろうけど、それだとここに来る途中に他の子に会うことは免れない。

…どうしても、爆豪くんに見せたいのだ。
一番最初に、爆豪くんに見て欲しい。

心の底から湧きあがる気持ちを素直に受け止めて、覚悟を決めると、扉を思いっきり連打した。

「るっせぇええ!!!朝っぱらからなんっなんだぶっ殺すぞ!!!」

3秒も経たないうちに、吹き飛びそうな勢いで開いたドアからぶち切れモードの爆豪くんが飛び出してきた。泣く子も黙る形相で咆哮する彼に負けじと、わたしも声を張り上げた。

「朝早くにごめんね!爆豪くんに一番最初にに見せたかったの!髪!!」

ほら!ふわふわなのにさらさら!アイロン使わずにこんなに素敵な髪型になれたの、生まれて初めて!爆豪くんのおかげだよ、本当にありがとう!!と矢継ぎ早に叫べば、真顔に戻った爆豪くんが、ゆっくり近づいてきた。
この素敵な髪型を生み出してくれた手が、完成度を確かめるように、前髪も頭頂部も側頭部も、1つずつしっかり撫でていく。その手つきは昨日と変わらずやっぱり優しかった。最初は我慢出来てたけど、だんだん恥ずかしさで顔が赤く染まり始めた頃に、漸く手を降ろした。

「…前よりマシになったんじゃねーの」

ッたく、んなことでいちいち騒ぐんじゃねえ、とぶっきらぼうな口調で返される。けれど、その口角が少しだけ緩んでいるのに気づいた瞬間、驚きと嬉しさで心臓が跳ねた。
みんなに見せる表情より、ちょっとだけ柔らかい顔を見せてくれている事実に、なんだかくすぐったくて、なぜか恥ずかしくって、叫びたいような、色んな感情で胸がぐるぐるする。これじゃあ心臓が持たない…!と焦り、後退りながら口を開いた。

「ほ、ほんとにありがとう!この髪型キープできるように頑張るね!」

それじゃ、と立ち去ろうとしたところで声を掛けられた。

「…腹減った」
「えっ」
「お前のせいで目ェ覚めちまったわ。…なんか作れ」

昨日あれだけ尽くしてやっただろうが、という言葉に、確かに髪型だけじゃなくてシャンプーもリンスも、おまけにヘアブラシまで選んで買ってもらっちゃったもんなぁと思い返す。文句あんなら言ってみろや、と寄越された視線に、慌てて首を振って否定した。そっちが勝手に色々やってましたよね?なんて言った日にはもう、この髪型どころか毛根とおさらばだ。

…でも、それって一緒に朝ごはん食べていいってことだよね?……嬉しい、かも。
爆豪くんと一緒にいられるんだって思ったら、無意識ににやけていた自分にびっくりした。
この後、爆豪くんは何か予定はあるのかなぁ。ふと、せっかくだからこの髪に合うヘアアクセサリーも見繕ってくれないかな、と思った。こういう時にいつも相談していた仲が良くて頼れる女友達よりも、爆豪くんに選んで欲しいという気持ちが先に出る。それがなぜなのか、まだ確信は持てないけれど、答えが分かるまできっとそんなに時間はかからない気がした。
お出かけの誘いに頷いてくれるように、爆豪くんを満足させられるようなメニューを作ろうと意気込んだけど、彼のことだから絶対料理だって誰よりも美味しく作れるはず…。爆豪くんより上手く作れなくても、せめて自信を持って出せる料理…。うーん、と悩み出した気持ちを落ち着かせるように、首を包み込むように流れる髪に鼻を埋めると、甘い香りとふわふわの感触がわたしの背中を押してくれる。…うん、決めた。

「部屋からホットケーキミックスとってくる!」
「ざけんな」