初夢

「あけましておめでとう。奇遇だね」

 朝、マツバくんと二人で、おこたでぬくまりながらテレビを垂れ流しにしている。いつものヘアバンドを外して、ラフな格好のマツバくんがにこやかに新年の挨拶をする。それで私は「おかしいぞ」と思った。

 この状況を当たり前のように受け入れていたが、よく考えたらありえない。今年のお正月は特番の生放送があるから、こうしてのんびりできるはずがないのだ。第一、ひとり暮らしだ。マツバくんがここにいるのはどうしても辻褄が合わない。幼なじみでも、家族じゃないんだから。

「じゃあ、夢だ」

 すぐに結論が出た。自分の記憶と願望が綯い交ぜになって、矛盾だらけの光景を見ている。初夢──には一日早い。これが初夢ならもっとよかったのにと思う。縁起じゃないと言われようが、乙女には、一富士二鷹三茄子よりも意中の人のほうが嬉しい。それどころか、毎日会ったっていい。

「今、夢の中だよ。マツバくん」
「へえ、よく分かるな。明晰夢だ?」
「それそれ、明晰夢。私、マツバくんと夢のなかで年越ししたんだねえ」

 私の記憶が作り上げた姿なのに、なんと的確な物言いだろう。なんでも知っているような雰囲気は、本物じみている。まるで本当に二つの意識が夢で邂逅しているみたいだ。我ながら、マツバくんのことをよく分かっていると思う。柔らかそうな金髪とすっきりした輪郭、下がった目尻、ダウナーで感情の読めない眼差し……。顔かたちまで完璧だ。

「ンー。ようできてはる」
「何が?」
「マツバくんが。夢なのに、変なところがない。まるで本物みたい。イケメンだし」
「イケメンかどうかは──知らないけど、僕は本物だからね」
「またまた。意味深なところもそっくり。記憶だけでこんなに似るなんて、私って、意外にマツバくんに詳しいみたい」
「あー、なるほど。そう来たか……」

 マツバくんはちょっと困ってみせたが、結局「きみの思うままに」と曖昧に流した。そういうところがすごく似ている。明晰夢の上、すごくリアルだ。しかし夢は夢、起きたら何もかもなかったことになる。悪夢が明晰夢だったならば、恐怖を割り切れるからいい。でも、今は虚しいものだ。消えてしまうと分かっている儚い時間を尊く思う。一切、生滅変化し常ならず。諸行無常である。

「不思議な巡り合わせがあるものだな」
「運命感じちゃうね。これ、きっと私の願望だよ」
「願望?」
「うん。マツバくん、きみに会いたいなあ」

 私の想いが通じて、恋人になり、お嫁さんになり、一緒に住めたなら。そういう平凡な憧れを抱いている。親の言うことばかり聞いて、聞けなくなったら逃げ出して、人生の目標も特にない。でもこれだけは変わらない。完璧だったマツバくんに恋をして、完璧ではないところまで愛している。

「夢なのは残念だけど、夢でも嬉しい。いつか、これが正夢になればいいのに。私、この夢のこと、誰にも言わずにいるね」
「……。いつでも。会おうと思えば会えるよ」
「会おう。でも、私が言うのはね。こういうふうに、家族みたいに一緒の日々を過ごしたいなってことだよ。まあ、夢だから、本当のマツバくんには伝わらないんだけどね」

 マツバくんはあっけらかんと瞬いて、たじろぐように肩を竦めた。正直に言ってしまったけど、あくまで夢だ。そう思うと、やりたいことをやってしまいたい気にもなる。ここではいくらでも腹の内を晒せるじゃないか。何ならキスしてもいいし、ハグしてもいい。現実には壊れない防波堤があるけど、今、全てはリセットされる。そういう世界だ──。
 等々、葛藤を重ねていたら、なんだか次第に意識の底がグラつくのを自覚した。境界がぼやける。現実への覚醒はいつも唐突だ。じわじわと後悔が押し寄せた。結局、やり残したことと共に年を明かさねばならない。こんなことなら、夢のなかでくらい思い切ればよかったのだ。

「──リンちゃん」

 脈絡なく、マツバくんが私の手に触れた。かと思えば、徐に頭のうしろに手が回って、顔が近づく。何事。思わぬ展開に私はかなり動揺した。

「たぶん、僕は今、きみと同じことを考えてる」
「お、おなじこと」

 同じことって何? 覚醒しかけで頭がぼんやりするし、驚いてうまく思考できない。しかし、何やら私にとって都合のよいことが起きそうである。さすが、夢なだけはある。マツバくんは続けて「夢のなかでくらい」と言った。夢のなかでくらい……。

「きみに触れたって、構わないだろう」
「ま、マツバ、くん」
「恨まないでくれよ」

 困ったように笑ってから、あっという間に口と口がくっついた。睡眠時のぬくい泥濘ぬかるみのような重さ、私の喜び。それらが合わさって、無上の心地よさである。冗談みたいに短いキスが終わって、マツバくんが何かを言おうとした気がする。しかし、聴覚がない。「終わりか」と思った。とうとう意識が夢からうつつへと引き戻されていく。気がつけば、冷えた寝室の空気が頬に当たっていた。

「いい夢だったあ……」

 新年早々、幸せな気持ちになった。われ知らず口角が上がってしまい、締りのない笑い声が出る。それを聞きつけたヘルガーがやってきて、私にじゃれついた。きっとご飯が食べたいのだ。大きな動物とじゃれるのって、大変だけど楽しい。多幸感でいっぱいの私は、先ほどまでの世界を、ただの夢だと信じて疑わない。