長編「THE ANIMA(銀の冠)」
上記と同一の夢主です。
原作に存在しない学校名が出ています。

■ ■

 ナイトレイブンカレッジが女学院との交流を始めて二十年が経つ。互いの学校の歴史の長さを思えばごく最近の話だが、その節目を祝う交流会を目前に、女学院は浮ついた空気で満たされていた。

「プロムナードよ!」

 食堂の隣のカフェテラスから生徒の往来を眺めていると、隣のテーブルに居座るグループのひとりが高らかに声を上げた。

「まさか私たちの代に開催するなんてねえ」
「ええ、それもあのナイトレイブンカレッジと!」
「女子校だからって諦めてたわ。ひょっとしたら、素敵な貴公子からのお誘いが来ちゃうかも!」
「それはちょっと期待しすぎなんじゃないの?」
「なによお。夢見るのは自由でしょう」

 相変わらずどこもかしこも気忙しい。彼女らもまた、例の交流会に浮かれる生徒の一部だった。

「ねえ、ナマエ。あんたはどう?」
「…ん?」

 溌剌とした声がふいにこちらに向けられて、私はようやく往来のほうから目を動かした。声だけでは気づかなかったが、見れば彼女らは同じ寄宿舎の生徒だ。

「ていうか何してんの? 暇そうだけれど」
「プロムに着ていく服のことを考えていたの」
「わあ、『セーラ』のマジカメじゃん」

 別段見られて困るものでもなかったので、無防備にテーブルの上に置いていたスマホの画面を見るやいなや、三人組が一挙に立ち上がってこちらのテーブルに移動する。すっかりお喋りに巻き込まれる空気だ。

「新しくパーティドレスを買うの?」
「プロムは初めてですから」
「ああ。ナマエは中等部からここにいるんだものね。それにしてもセーラのドレスなんて、いつもとは趣味が違うんじゃない? あんたなら『アンチ・ドーテ』を選ぶと思ってたわ」

「もしかしてお相手に心当たりがあるのかしら」
「キャッ!」

 三人は互いの顔を見回して黄色く叫んだ。勝手に話を進めないでほしい。私だってあわよくば──と思わないでもないけれど、それは二の次だ。

「ただ周りに見劣りしないものを選ぼうと思っただけです。踊ってくれるかも分からないし」
「でもパートナーなしでは参加出来ないでしょ」
「その言い草じゃ本当に心当たりがあるのね」
「だから、あのねえ」
「みなまで言わずとも野暮な質問はしないわ」

 もはや完全に聞く耳無しだった。なにが嬉しいのか立ち上がってマイム・マイムとかいう謎の舞を踊る彼女らに、私はじりじりと足裏を焼かれるようなもどかしさを覚えた。ハートの女王の法律第811条「人の話を聞け」に則ってデコピンして差し上げたい気分。無論女王の法律は全部で第810条のためそんな条文はたったいま私が考えたのだが、もはや法律以前の問題だ。

「冷やかしじゃなくって本当に応援してるのよ。せっかくの機会なんだからあなたも遠慮せず楽しむべきでしょ」
「そおだよ。なんかあたしもドレスとか化粧品とか見たくなってきちゃった。ショップ行こ」
「賛成! 時間取っちゃってごめんねナマエ。あたしたちもう行くわ」

 今回のプロムナードは二校の交流の歴史を祝うもので、十年に一度の行事。それが私の在学中に回ってきたというならば女学院の一員として──駄目だな。結局体裁のことばかり考えてしまう。前よりマシになったとはいえ、なかなか抜けない癖だ。私は嵐のように押し寄せ嵐のように去る三つの背中に呼びかけた。

「あのう、ドレスのことだけど。やっぱりアンチ・ドーテのほうが無難かなあ」
「もしかして、あたしの言ったこと気にしてるの?──そんなの、あんたの着たい服でいいのよ」

 振り返った彼女は私を見て、ヘラッと手を振った。そういうものだろうか。これではまた元の沈思黙考に逆戻りだ。生徒でごった返した通りはやはり鳥籠のようにざわついていた。

  ■ ■

 着たい服でいいのよ。とは言っても、自分に似合わないものを選んでは私の印象がだだ下がりだ。そうでなくたって、他でもない私が許せない。今回のプロムに設定されたテーマは「仮面舞踏会マスカレイド」。怪しく優雅な雰囲気を逸脱しない範囲で、かつ埋もれないような個性も少しはほしい──とにもかくにもスマホと睨めっこしているばかりでは進展がなさそうなので、休日に時間を作り近くのアーケード街まで足を運んでみた。
 まずはセーラだ。マジカメで見たものの現物を確認して、ピンとくるものがあればいい。無ければ似た路線の店を回って、それでも駄目な場合は最終手段。やっぱり無難にアンチ・ドーテにしよう。今回はいつもの王国風ファッションから離れてみようと密かに思っていただけに、実際そうなってしまったら少し残念な気もするけれど。下手に冒険するよりはいいかもしれない。
 硝子造りの屋根の下、さまざまな店の看板を眺めながら歩いているとセーラの隣の店の前で男の子の三人組がなにやら話をしているのが見えた。それだけならば特に気にも留めないのだが、明らかに聞き慣れた声だったので思わず足を止める。程なくして彼らの視線も私を捉えた。

「あれ! ナマエ。偶然だなあ」

 カリムくんだ。加えて、交流会後のティーパーティーで話したことのあるダイヤモンド先輩もいる。あいにくもうひとりのピンクメッシュの人とは面識がないが、顔ぶれを見るにナイトレイブンカレッジ生なのだろう。

「オレら今部活の延長線で遊びに来てたんだよね。クロエちゃんは買い物?」
「ええ、ちょっとばかり。そちらの方は?」
「あ、初対面かあ。それじゃ紹介するよ、こちら『高尚』のディアソムニア寮三年生。軽音部のドンことリリア・ヴァンルージュちゃんでえす」
「これこれ、ドンもなにもあるものか。軽音部はみんな仲良し三位一体じゃ」
「こないだリーダーって言ってたじゃん。あのパフォーマンスはドンの風格でしょ」
「チックタックで話題になってるらしいぜ」
「マジか。わしそんなの投稿した記憶ないんじゃが」
「勝手に撮られてるし」

 ダイヤモンド先輩がケラケラ笑う。「マジカメモンスターの次はチクタクモンスターか!」。大した問題でもなさそうな声色だ。やがて紹介を受けた小柄の彼がこちらに向き直った。

「改めて、わしはリリアじゃ。よろしく頼むぞ」
「あ、どうも。ノクス女学院のナマエ・ミョウジです」

 ピンクメッシュことヴァンルージュ先輩はバチコンとウインクして茶目っ気を披露した。

「それで、ナマエは何を探しに来たんだ?」
「来月のプロムに備えてドレスを」
「プロム! そういや来月だったな」

 カリムくんがポンと手のひらを打つ。

「じゃ、ナマエちゃん。もしかして隣の店に用があるとか? なんか意外な趣味だね」
「今回は路線を変えようと思って」
「イメチェンってやつじゃな」
「なるほど。確かにあそこは独特かも。なんていうか」
「あっ、わかった! ナマエ、もしかしてジャミ」
「わー! カリムくんストップ!」

 ダイヤモンド先輩の気遣いはありがたかったが、もうそこまで言われたら遮る意味もない。一気に顔に熱が上った。ヴァンルージュ先輩はなにかを察して「若いっていいのう」と意味ありげに微笑んでいる。変だ、学年はともかく見た目だけなら先輩のほうがよほど若く見えるのに。

「えーと、ごめんな」
「い、いえ。事実ですから──というより、言われてハッキリ自覚しました。私、無意識に寄せようとしていたみたい」
「別に全然アリだと思うけどなあ」
「ありがとうございます。でも、実はまだ迷っているんです」
「ほお、迷いとな」
「あのブランドは色が派手だから、ちょっと躊躇われるというか」

 綺麗なことには綺麗だ。けれど、ただでさえ新しいジャンルの服に挑戦しようとしているのに、色まで冒険するのはかなり勇気が必要だった。

「そういうことね。それならけーくん、こないだ偶然マジカメでよさげなトコ見たよ」
「本当ですか?」
「ホント! 姉ちゃんの友だちがプロムのドレスに選んでてさ。路線は同じ感じだけど色合いが上品で──ちょっと待ってね」

 ダイヤモンド先輩は少しの間スマホを操作して「ほら」と私に画面を見せてくれた。

「ここ。ちょー映えって感じじゃない?」

 液晶に映るドレスは確かに比較的落ち着いた色合いが多い。形状は細部に凝らされた意匠がどことなくエキゾチックだった。少し大人っぽいが、可愛いデザインのものを選べば学生にもちょうどよさそう。アーケード街は広いから、もしかしたら店舗があるかもしれない。

「ありがとうございます、先輩」
「いーのいーの。たまたま知ってただけだから」

 私は三人と別れたあとのウィンドウショッピングを脳裏に描いた。ドレスのブランドが決まったとなれば、コスメとアクセサリーも見に行かなきゃね。

「あっ。カリムくん──ジャミルくん、プロムに参加すると思う?」
「ん? あー、オレも行くし。参加するんじゃねえかなあ」
「そおそ。鏡にセキュリティも張るみたいだから、そこまで仕事に全力注がなくてもいいでしょ。その分本来のプロムみたいにパートナーをお迎えに行ったりはできないんだけどね」
「料理も大皿だし、そのへん気にしなくて大丈夫だと思うぜ」
「見る限り、お主が頼めばあやつも断るまい。そう固くなるな。どれ、わしのリコリス飴をやろう」
「ゲッ、出た!」

 ダイヤモンド先輩とカリムくんの頬が引き攣っているが、とりあえず受け取るだけ受け取ってみる。

「十年に一度の行事じゃ、存分に楽しめばよかろ」

 ヴァンルージュ先輩が口角に愛嬌を湛えて手を振った。

「人の一生は短いからの!」

 例の『バテン・カイトス』のマジカメを確認するついでにリコリス飴で検索をかけると、一番上に「世界一不味い!」という題のブログ記事が出てきた。そこまで言われると逆に興味が湧いてしまったので、後ほど一人のときに試食してみようと思う。
 さて、話を戻して件のブランドだが、どうやらこのアーケードを抜けた少し先に店を構えているようなので、アクセサリーなどは後回しにまずはそこへ向かうことにした。店内にはショスタコーヴィチの「ワルツ第二番」が流れている。プロム当日もこういう雰囲気の曲が流れるのかもしれない。わざわざ楽団を呼んで演奏させるというのだから、きっとそうだろう。想像を膨らませながら商品を吟味していると、店の奥に飾られたマネキンに目を奪われた。しっとりとした深い黒のドレスだ。フレアスカートがやわらかく広がり、肩周りの銀の刺繍が美しい。

「か──」

 可愛い! ほとんど反射のようにそう思った。けれど、それを手に取る一歩前で理性がストップをかける。なにせスカートに深めの切れ込みがあるのだ。下品なシルエットではないし、脚を出すことに抵抗があるわけでもないが、プロムナードという場を考えると少し心配だった。おそらくロングドレスを着ていくのがスタンダードだろうから、これは少し大胆かもしれない。けれど、間違いなく私の琴線に触れたのだ。
 ああ、どうしよう。やっぱり、普通のロングドレスにしたほうがいいかもしれない。これまでの私ならきっと迷いなくそうしたはずだ。十年に一度の行事、ちゃんと考えなければ。しばらく葛藤して、マネキンから遠ざかろうする私の足を止めたのは、学友の言葉だった──「あんたの着たい服でいいのよ」。

 ■ ■

 プロム当日、夕方。私は入念に自分の身なりと持ち物をチェックしていた。まずは学生証だ。会場へ繋がる鏡は、今日に限りナイトレイブンカレッジとノクス女学院関係者以外の通行を完全にシャットアウトする。これを忘れてはお話にならない。次に服装──結局、私はあの店で一目惚れしたスリット入りのドレスを選んだ。この格好に負けないように、メイクもヘアセットも今日は本気の本気だ。けれど、最後に私を悩ませたのはやはりこの服装だ。あの日の選択が正解なのか不正解なのか、まだ分からない。寄宿舎を出て会場への鏡を潜っても、私の心には依然小さな不安があった。
 会場は広々としたホールだ。既にそれなりの人数が集まっているようで、めいめいパートナーや友人との話に花を咲かせている。開会前のため、仮面をつけている人は少なかった。壁に沿ってホールを軽く回っていると、前方に白髪と黒髪の二人組を見つけた。両方とも制服をラフに着崩す印象が強いけれど、この日の正装姿はかのアリ・アバブワ王子もかくやといった品の良さである──ああ、でも、洋服だし、ジャミルくんは黒色がメインだから少し違うか。とにかく生来の育ちの良さが十二分にも分かる装いだった。

「ジャミルくん、ごきげんよう」
「ナマエか」

 ここまで来たら半分捨て鉢だった。パートナーのお願いに対するジャミルくんの返事は是。それがここにいる理由だ。今更不安がってすごすごと引き返すのは御免だったし、場に合う合わないは置いておいて、おそらく今日の私は可愛いのだ。ジャミルくんは声色こそ普通だが、こちらを見るなりかすかに片眉を持ち上げる──それ、どういう感情?

「ふたりとも素敵ですね」
「君こそ…アー、うん、今日は雰囲気が違うな」
「いいなあ、そのドレス。似合ってるぜ!」

 ありがたくもカリムくんが惜しみなく賞賛の声を上げる。ジャミルくんは両手をスラックスのポケットに突っ込んで、少し複雑な顔で「同意」と続けた。声が小さい。

「ナマエ。ダンスのことだが──」

 ギュイーン! ジャミルくんがなにか話そうとしたところで、耳を聾さんばかりの爆音がホールを駆け抜けた。ヴァンルージュ先輩がギターの金属弦を、ピックで上から下まで思いっきり擦った音だった。人々がなにごとかと音のほうを見れば、学園長のミスタ・クロウリーが颯爽とステージの上に登場する。彼は観衆の視線をそのままに堂々とスピーチを始めた。「ウォッホン!」。

「いやはや失敬。よもやプロムナードの演奏を依頼していた楽団が魔導列車の運休により遅刻を余儀なくされるとは! しかし、紳士淑女をお待たせするわけにもいきませんので。優しい私が楽団到着までのピンチヒッターをご用意しました! えーとなになに。『我が軽音楽部のドンこと──』…アーーーッやかましい! 人が話しているときくらい演奏をやめなさい! コラッ、ギターを叩き割ろうとしない! 部費は増やしませんからねーッ!」

 云々。最後まで聞く気は起きなかった。ギターはギャンギャン鳴り続け、隣からジャミルくんの深い深いため息が聞こえる。ヴァンルージュ先輩のあれは完全なる悪ノリなのだろうが、会場はもはや踊れればなんでもいいというようなパーリー・ピーポーと、呆れ返って身動きも取れない派閥に別れ、まさに混沌を極めていた。
 かくいう私はそのどちらでもない。ただこの有り様を見ていると、なんだか今日このときまで散々心配していたことや不安がっていたことが一気に下らなく思えてきた。あーあ、なんてナンセンス。どうしてあんなに悩んでいたんだろう。すべてが馬鹿らしくなった私は、ジャミルくんの左手──は依然ポケットのなかなので、袖を引っ張る。呑気に楽団なんて待っていられなかった。

「エスケープしよ、ジャミルくん」

 ■ ■

「参った。ウチには破天荒なヤツらが多すぎる」

 グレート・セブン像の立ち並ぶメインストリートまで歩いたところで、ジャミルくんが肩を竦めて吐き捨てる。まったくだ。おかげでプロムは完全なる出落ち、手間暇かけて整えた準備もあまり意味をなさなかった。それでもなぜだか気分は清々しい。

「私ねえ、この日のためにドレスもアクセサリーもメイクも散々頭を悩ませたんですよ」
「ああ、カリムに聞いた」
「うん。プロムに相応しいか、ふしだらだと思われたりしないか、こんな格好で本当に大丈夫なのか──でも、なんかどうでもよくなっちゃったなあ」

 そう呟いたとき、隣に立つジャミルくんが私の肩を掴んで、こちらに目を合わせた。この日カチリと視線が合わさったのは初めてだったかもしれない。

「似合ってるよ」
「はい?」
「ああもう、だから、似合ってるって。カリムに先を越されたが本心なんだ。俺も言いたかった、悪いか?」

 いつもより飾り気の多い鈴の髪飾りがシャンと音を立てた。ジャミルくんは居心地悪そうに革靴の先でストリートの石畳を叩く。今日の口数の少なさの原因は、よほど私の格好が失敗だったか、はたまた照れ隠しだとは思っていたが、なるほど後者だったらしい。やっぱり今日は来てよかった。プロムは抜け出してしまったけれど、すっかり気をよくした私の頬べたは自然と笑みの形を作る。マイム・マイムでも踊りたい気分だ。

「んふふ、フフ、あはは」
「おい、笑うな。おい」
「言われて止められたら苦労しませえん。ねえジャミルくん、踊ろうよ」
「はあ? 踊るったって、ここは──」

 ジャミルくんは言いかけて、途中で大きくため息をついた。

「…チ、君にも先を越された。今日この日に女性のほうから踊りに誘わせるなんて、恥もいいところだ」
「仕切り直したっていいんですよ、さっきみたいに」
「うるさい、変な情けをかけるな」
「はあい」

 続く言葉を待っていると、諦めたように手を取られた。そうして私は、ジャミルくんがこの手のお芝居が得意なことをいまになって思い出す。これはきっと、さっき揶揄ったことに対する意趣返しだ。

「一曲、俺と踊ってくれないか。ミス・ナマエ・ミョウジ?」
「えっ! ご──ごめんなさい」
「なに断ってんだよ」
「ただの謝罪ですけど!」
「ああ、そう」

 まっすぐ目を合わせるのが決まり悪い。誤魔化しの憎まれ口を叩くが、ジャミルくんは何食わぬ顔で私の腰を取って踊り出す。さすがの足さばきだった。ダンスが趣味だとは聞いていたが、異国の社交場でこれだけ踊れるのは生来のセンスか。

「ちょっと、競技ダンスじゃないんだから」
「バレエを習っていたんだろう」
「こんな動き、バレエで習うもんですか!」

 半ば勢いでターンをすると、スリット入りのスカートが美しく靡いた──このドレスでよかったのだ。いま私の頭に流れる音楽は、どちらかといえばショスタコーヴィチの「ワルツ第二番」ではなくデューク・エリントンの「It Don't Mean A Thingスウィングしなけりゃ意味ないね」。無茶苦茶だけど不思議と興が乗ってくるもので、どちらともなく子供のように笑っていた。そのまましばらく踊り続けて、私の足はすっかりくたくたになった。

「わしの演奏を捨ておいてエスケープとは。くふ、憎いのう。お主ら」
「戻ったか。いいタイミングだな!」

 雑談をしながらホールに戻ると、ヴァンルージュ先輩と話していたらしいカリムくんが大きく手を振った。ちょうど楽団が到着したところで、プロムも仕切り直しらしい。なんとも言えない空気のなかで徐々に生徒が踊り始めるが、足のくたびれた私は到底踊るほどの体力を残していない。ジャミルくんが気抜けしたように「馬鹿だな」と笑った。スラッシュメタルで踊り狂うほうが馬鹿だ──いや、同じ穴の狢か。私は結局、ワルツを踊ることのないままに十年に一度の式典を終えたのだから。けれど、こんなプロムも悪くはないと思った。
 シャウトしていたヴァンルージュ先輩は分かるが、なぜか巻き添えを食らったらしいカリムくんも声が枯れていたので、先日先輩にもらった飴を渡そうとしたが「一回食べてみろって!」と突き返された。その夜、寄宿舎に帰ってからリコリス飴を舐めてみたが、噂通りのカオスな味で三秒でギブアップした。

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