一、簾の落つる事

 開幕。数多の命を造り上げた女は、それらのうまれた場所で泣き伏していた。いっとう愛した天下人の刀は、スラッと輝く剥き身の刃を構えて、いざ審神者に相対す。顔色はどす黒い。純粋なる殺意の顔であった。

「私を斬る気!」

 審神者は血走った目で遮二無二叫んだ。刀は答えない。亡霊のように眼光鋭く歩み寄っていく。この女には逃げ場がなかった。

「あなたを人にしたのは誰だと思ってるの。私があなたの主だってこと──ア──悪かったわよ、私が悪かったから。待ってよ、こんなの嫌よ……」

 女の声から怒りが削げて、悲しみだけが残った。刀は答えない。目の前の刃が振り下ろされるが、止める者は誰もいない。迷いのない太刀筋が女をとらえた。

「待ってったら──」

 相手は答えない。何事も言わぬままに女を斬り伏せ、そのままボロッと脱力して刀を取り落とす。しばらく衰弱した主を見て、やがてフラフラと立ち去った。女が事切れるまで、炉の炎だけがいつまでも灯っていた。

 ▲ ▼

 ボヤッとしたぬくもりが、顔の片側を撫で、すぐに消えた。虫の翅すら揺らさぬような微風で目を覚ます。気がつけば、見知らぬ和室の片隅に座り込んでいた。

 二十三世紀初頭、今年の夏はべらぼうに暑く、日本の各所で熱中症の患者が相次いだという。つい先程までは同じく炎天の中にいたはずだったが、この廃墟はそんな世間の事情もつゆ知らずの様相で、肌寒ささえ感じるほどである。
 冷えた空気もさることながら、辺りはすっかり暗かった。部屋の障子は閉まっているが、明らかにその向こうに真昼の光はない。記憶が途切れる以前は抜けるように青かった空も、今や薄紫の夕闇に変わっているだろうと分かる。

「……ン」

 これは何事かと思う。薄ぼんやりと考えながら部屋のなかを眺めるが、先程の暖かい風のことはよく分からなかった。部屋に熱源と思しきものは何もないのだ。代わりに、左手に端末があることに気がついた。電源は入ったまま淡く光っている。姿勢のせいかスクリーン表示が逆さになっていたので、設定し直した──「廃本丸『加賀国・かのえ二〇六八七号』の現地調査及び祓除ばつじょのお願い」。画面にはまず題と思しき大きな文字があり、その下にかつての本丸所有者と所持刀剣のみが簡素に記されている。
 ──「審神者は死亡。死因は刀傷による出血多量。初期刀・歌仙兼定、初鍛刀・乱藤四郎……」。

 そこで私はハッとした。夢から覚めるような意識の浮上を感じた。先ほどまで何かの映像を見ていた気がする。それこそ悪夢のような、後味の悪い何か。 気分の悪さを振り払うように、ぼやけた記憶を掘り起こす作業に没頭した。

 まず、私の所属は演練管理課・結界班である。名前も難なく思い出せた。昨日の夜ご飯は何だっけ──これは単なる物忘れ。
 次に現在の状況であるが、確か、政府の依頼で元ブラック本丸・現廃本丸の調査に出向いたのだ。ゲートからこの神域に立ち入り……記憶がそれきり途切れているということは、例の本丸の中にいると考えて違いない。前情報によれば、ここでは人が来るたび間取りが変わるとかトンチキな怪異が起こるらしいので、記憶の混同もその影響かもしれない。
 しかし、それにしたって。

「はあ、ようできた通達内容ですこと」

 覚醒後一番に悪態をついた。腐っても政府の一職員、この本丸の所持刀剣くらい、下っ端の自分が少しググるだけでも分かる話だ。なんせここは廃される前は成績優秀と名高かった。そのくせ、これまで調査に赴いた審神者を散々行方不明にしてきた本丸の事前資料が、刀剣の名前を連ねただけの二ページだけ? これはさすがに杜撰すぎる、まるでインターネット初心者だ。
 審神者が駄目なら他の部署、と耳を疑う安直な理由で自分を遣わしたこともそうだが、何よりサーチ能力が異様に低い政府への恨みが募った。

 苛立ちを抑えながら画面を眺めるうち、また別のことに気がつく。電波の表示がまるっと消え、代わりに「圏外」の文字が見えたのだ。
 政府の公式サイトやら審神者用の掲示板やらにアクセスを試みたが、いくら待っても繋がることはなかった。記憶が正しければ、神域に立ち入った時点ではしっかりと電波が通じていたはずで、確か調査任務を寄越した役人と通話もしたのに。

「痛! え、怪我。エッ」

 背筋がゾッと冷えた。俗にこれを嫌な予感と言う。立ち上がろうとすると、痛みが足に走った。左足だ。 何の手当もされずに生々しい傷跡が見えている。血は止まっているが、ふくらはぎから斜め一直線に浅く裂けて、その鋭さたるや、どう見ても刀傷だ。覚えのない怪我に困惑した。
 それでも片足を引き摺って部屋を出てみれば、長らく蝋を引いていないはずの障子はつつがなく開く。資料では瓦礫によって隘路あいろと化していた廊下が、人でも住んでいるかのように綺麗に片付いていた。外は? 縁側手前の簾を上げるべく手を伸ばす。
 しかし、少し触れただけで簾は下に落ちてしまった。清潔に見えても、本丸自体は古いらしい。外にはよく手入れされた庭が広がって綺麗だが、建物の外に出ることはできない。というより、そうしてはならぬと思った。とにかく明らかに異様な光景である。

「閉じ込められたかも……」

 脱力して近くの柱に寄りかかった。先ほど意識が途絶えていつの間にやら和室にいたのは、本丸の中に引き込まれたからに違いなかった。こうしてこれまでの調査担当者は変化する間取りに囚われ、行方不明となったのだと容易に想像がつく。
 いずれにせよ、端末が使いものにならない以上はひとりであれこれ本丸を調べ回るしかない。まともに歩けないこの足で? 気丈に悪態をついて惚けてはみても、この状況は精神の不安定とあらゆる懸念を呼び起こした。

 ここはきっと閉鎖空間だ。「継ぎ接ぎ本丸」と呼ばれて久しいこの場所は、今までに数多の審神者を飲み込んだ。彼らはいずれも神職の家系に生まれ育った優秀な人材であったが、その力をもってして調査から帰ることができなかったのである。情報は例の杜撰な資料のみ。

 おそらく時間の経過もない。これは未だ憶測の域を出ない仮説だ。というのも、端末の時計が少しも進まないのである。さらに、調査の前に渡されたいくつかの写真は、まさに廃墟の様相を呈していた。庭は荒れ、植物が枯れ、屋内は瓦礫で溢れていた。それが今、古いにせよ異様なまでに片付いているということは──都合よく本丸在住お掃除オバケが気を遣ってくれたとかではない──かつて本丸が運営していたときの風景を再現しているのであろうと思った。時間が経たないならば、元より期待薄とはいえ救助の望みも絶たれたことになる。電波がないのもそういうことだろう。

「一人でどうにかするか、またはこれまでの調査員と同じく帰らぬ人となるか……」

 結界班がよくわからん結界に閉じ込められてやんの! と呑気に自虐できる感じではなかった。むしろサッと顔色が悪くなるのを自覚した。こんなのは最悪だ。危険が嫌でわざわざ審神者を避けたのに、結局この状況に置かれたんじゃ世話がない。

「あるじさん!」
「え、ハイ。え?」

 嫌な気分を払うように辺りを見回したときだった。子どものような声と小気味よい足音がこちらめがけて鳴り響く。よもや自分のほかに誰かがいるとは思わなかったので背筋が伸びた。
 見れば明るい髪の少女が立っている。しかし少女ではない。出で立ちに反し、れっきとした男神であることを知識として知っていた。

「あるじさん、新しい刀が出来たよ!」
「……。乱藤四郎?」

 まだ刀が残っていたのか。そう思って、すぐに「違うな」と否定した。彼らは全て刀解されたと確かに聞いた。何せ審神者を傷つけた。
 この本丸の審神者は確かに優秀だが、刀剣男士に過大なる負担を強いた所謂ブラック本丸の運営者であったことは、現場の証拠により既に知られたことである。痺れを切らした刀剣男士が、主従の契約の形を歪めてまで手を下したのだ。その対価か否か、一部の刀剣は刀解されるまで心神喪失が治らなかった。
 とすれば、この姿は一体何か? 現状では判断がつかなかった。そして私は主ではない。こちとら引きずられてきた政府の職員。いくら審神者と同じ若い女だからって見間違うわけがないのに。

「あれ? 新入りさん、迎えに行かないの?」
「あの。私はあなたの主じゃありません」
「あるじさんはあるじさんでしょ!」

 乱藤四郎はさも可笑しそうに笑っている。どうやらこちらを主とする方針は変わらないらしかった。

「ネ、ネ。早く行こうよ!」
「どこに」
「新入りさんのところだってば。あるじさん若いのにボケちゃった?」
「ボケ? いや、別に……」

 この乱藤四郎は辛辣だった。昨日の夜ご飯が未だに思い出せず内心ギクリとしたことは秘密だ。いや、本当に何を食べたんだったかな……。
 情報の整理がつかないのと、相手の押しが意外に強いのとで、考えるのが面倒になった。そして開き直った。幼いころから神も霊も見えたのだから、刀解されたはずの刀が見えてもおかしくない。

「でも、乱藤四郎。この足で歩くのは辛いです」
「え、足? ヤダ、すっごく痛そう!」
「はい。すみませんが痛むのです」
「誰にやられたの? もしかして」
「もしかして?」

 乱藤四郎は口を噤んだ。心当たりがあるなら聞かせてほしい。刀に斬られた覚えなど全くない。しかし、ついぞ彼はその続きを教えてはくれなかった。そして少し考えると、

「それならせめて顕現して。刀はボクが取ってくるね」

 と言った。軽い口調だが、有無を言わさぬ感じがあった。

「え? いや、顕現は清めた鍛刀部屋でするものです。歩けないからってこんなところまで持ってくるなんて」
「鍛刀部屋が一番汚いの知ってるでしょ? あるじさん、なりふり構わず鍛刀してたじゃん」
「ウーン、レア刀剣ほしかった系かあ……」

 神をおろす神聖な場なんだからなりふりくらい構ってほしかった。ブラック本丸の審神者の考えはよく分からない。それだからしまいに刀に斬られるのだ。不意に左足が痛んだ。なにか思い出せそうな気がしたが、その前に乱藤四郎が言葉を続ける。

「それに、あなたはまだ行けないでしょ?」
「あまり歩けませんので」
「そういうことじゃなくって!」

 それ以外に理由があるらしい。意味深な物言いによく分からなくなってきたが、鍛刀部屋に行けなくて審神者でもないのだから「もう鍛刀しなくていいんじゃない?」とも思った。

「だとしても、主でもない女にそうまでして顕現させる必要はないでしょうに……」
「──駄目だよ!」

 すると、それまでとは打って変わって、真に迫る声が場を揺らした。シンと水を打つような鋭い声だ。これには私も驚いて、黙るよりほかなかった。乱藤四郎はこちらに向き直り、私を見すえていた。透明な青の目は射るような強かさと、懇願するような切なさがある。ただごとではない顔だった。

「それじゃいけないよ、あるじさん」
「……。どうして?」
「早く呼ばなきゃ。呼んで、あの部屋に行かなきゃ──」

 何が何だかわからぬうちに、声も姿もどんどん遠くなる。「じゃないと、間に合わない」。そうしてその言葉を最後に、とうとう何も聞こえなくなった。本丸は再び静まり返った。

「今の何?」

 幻覚? 一体、何に間に合わないというの。情報過多だった。それにしてもやけに友好的な刀だと思う。絡むだけ絡んで、望みがないと分かるやいなや退散した。少し違うが居酒屋のキャッチもそんな感じだ。
 ブラック本丸の刀剣って普通はあんなふうに軽口を叩いたりできないはずだ。乱藤四郎の精神が強靭すぎるのか何なのか……疑問は尽きないが、思考はそこで止まった。いつの間にか目の前の部屋の刀掛けに置かれた日本刀。それに目を取られたのだ。

「──太刀」

 一振の太刀だ。それは部屋の奥で、埃ひとつ被らずに鎮座していた。刀剣のことは詳しく知らないが、部屋に入るとなお一層その美しさが分かる。こうしてまじまじと刀を見るのは初めてで、息を飲んだ。

「本当に持ってくるなんて」

 世が世なら天下人の隣にあったであろう尊い刀剣が、古びた和室の奥に寂しく眠る。薄暮の光に包まれて、和室の掛け軸がソヨソヨ揺れる。その真ん中に刀剣が眠る。その光景はかなり不思議で、なんだか荘厳なものだった。
 果たしてこれは顕現してもいいのだろうか。もし審神者の刀剣だったのなら、彼女に恨まれたりはしないだろうか。悩みに沈む思考を窘めるように、先ほど聞いた言葉が耳の奥でこだました。

「早く呼ばないと、間に合わないよ」

 しかも、心なしか複数の声で。どうやらよほどこの刀を顕現してほしいらしい。マア、いいか。こういうときは黄泉竈食よもつへぐいさえしなければ大丈夫って相場は決まっている。知らんけど。これは関西育ちゆえの口癖である。そうして考えるのをやめ、刀の柄を持つために左手を持ち上げたとき、ふいに視界が揺れた。
 めまい? 違う、揺れたのは視界ではない。これは霊力のぶれだ。それを認識した瞬間、突如として平衡感覚を失うような浮遊感に襲われた。

「ひ、嘘っ!?」

 何事! 私は一人きりなのをいいことにあられもなく動揺した。不快感たるや。それまでは穏やかだった川の流れが、横薙ぎの風に乗っ取られて大きくうねるような、あるいは天地の理が乱れるような妙な感じ──乱藤四郎だけに? やかましい。狼狽と現実逃避を行き来するうち、目の前の風景が歪み始める。

 この本丸、まるで生きているみたいだ。そう思うのは理性ではなく勘であった。もしかして継ぎ接ぎ本丸の間取りが変わろうとしているのだろうか。「来るたび変わる」は間違いか? まだ帰ってもいないし来たばかりなのに、もう間取りの変化が起こるなんて。しかも、さっきは顕現しろ顕現しろって訴えていたくせに、いざやろうとしたら強制退去とは。
 しかし怒る暇もなかった。それよりも今はこの刀を見失う方が問題だった。こうなったら意地でも顕現してやると思って、刀に触れようと手を伸ばす。いっそう強まる浮遊感に目を閉じる直前に、桜の花弁がパッと弾けた。

 ▲ ▼

 そこは、おそらくどこかの民家だった。上下黒のスーツに身を包んだ複数の男と、夫婦と思しき男女がなにやら話し合っている。そのうしろで、中学生くらいの子どもがひとり絵を描いていた。

「お宅の娘さんを、審神者にスカウトしたいのです」

 存在しない記憶だと思う。自分の家ではない。こんな両親はいない。しかし唯一、男たちの腕章には強烈な覚えがあった。政府の紋所である。

「審神者になれば、娘さんは戦争の参加者となります。危険な仕事ですから、断って頂いても」
「もちろん構いませんわ。連れて行って」

 この柔和な誘い方は間違いなく最近のスカウトだと思った。少なくとも、ここ五年以内。戦争初期はほとんど誘拐のような形で人手不足を補っていたと聞いたからだ。そういう人間が精神的なストレスからブラック審神者になりやすいのだとか。現在はそういった審神者に慰謝料を支払い、希望者は退役して現世に戻っている。
 しかし、そんな男たちの気遣いそっちのけで妻のほうが言葉を遮った。それがあんまり簡潔なので、政府も困惑を隠せない。かたやどこからか記憶を覗いている自分は、その態度にとんでもない心当たりがあったので何も言えずにいた。

「あ。ありがとうございます。お力添えに感謝し、歴史を守ることを誓います。ですが、今一度ご説明をいたします。歴史修正主義者のことはご存知ありませんか。イメージがつかないのでしょうが、戦に参加すれば毎日命の危険に晒されるのです。 審神者を狙ったテロなども多く勃発しております。ただ一人の実娘じつじょうの人生ですから、少しお考えになられたほうが」
「結構。あの子、気味が悪いのよ。昔から部屋に何かがいるだとか、空に向かって話しかけたりだとか」
「いや、ですからそれは、霊的素質がですね」
「そんな非科学的な話、信じられると思うかね。あなたがたも大概胡散臭いが、あの子をさっさとどこかへやってくれるならばこちらとしても都合がいい」

 夫のほうもすかさず続ける。彼らの饒舌に、政府は完全に気圧されていた。つまりこの夫婦には霊的素質というものがまるでないのだろう。鳶が鷹を産んだのだ。霊力の強い子を持て余して、体よく追い払える機会だと思ったに違いなかった。いよいよ他人事とは思えない。

「まだ何か?」
「イ、いいえ。貴殿らのご協力に感謝いたします」

 政府の男らは慌てて頭を下げた。サッと風が吹いて庭木が揺れる。子どもは、やはりひとり寂しく枝垂れ桜の絵を描いていた。

 ▲ ▼

「これは……一体どういう状況ですかな」

 名乗り口上も忘れ、ひたすら戸惑う男性の声が至近距離で聞こえたとき、ようやく目を開けた。

 辺りは先ほどと異なる部屋になっている。しかし、付喪神の顕現は成功したらしい。そこまで考えたところで、この──バランスを失って転びかけたところを受け止められている──体勢はマズいという感覚がじわじわと込み上げる。

「あ、し。失礼いたしました」

 襟を正して相手の正面に座り直すと、相手も正座をする。妙な空気だが、そこでようやく顕現したらしい刀剣男士の姿を見た。鮮やかな空色の髪だ。太刀ゆえに背丈は成人男性ほど。物腰のわりに服装が派手。前の主の影響ですな。このあたりは不思議な幻聴である。とにかく、演練場で見たことがある貴公子然とした風貌であった。つまり、一言で表すならば……ロイヤル? これも幻聴かな。

「あなたは。ええと、一期一振?」
「は──も、申し訳ありません! 私としたことが、主に対し名も名乗らず……」
「よしてください! 私だっていきなりあなたのところに飛び込んだのです。おあいこです」

 急いで頭を下げようとするから、こちらも慌てて止めに入った。そうしてふと主と呼ばれたことを疑問に思った。乱藤四郎の言い分では、彼はここの審神者が鍛刀した刀だろうに。

「あの。私は審神者じゃありません。そうではなくて政府の役員なのです。だから主というには足らないのです」

 一期一振は訝しんだ。それはそうだ。刀剣男士は原則審神者に付き従い、敵と戦う契約を結んでいる。政府刀でもないのに、審神者以外に顕現されることなど本当はありえない。

「とりあえず、落ち着いて話しましょう。いろいろと情報過多で私もよく分かっていませんから。あ、すみません、この部屋で大丈夫そうですか」
「え、ああ、はい。敵の気配などはないかと」
「ヨシ。これ、便利なからくり。ここに書いて説明しますね」

 端末のメモ帳を起動して、話すべきことを箇条書きにおこした。依然電波はないが、通信の要らない機能は使えるらしい。
 話すべきこととは調査前に得ていた情報である。つまり、人の入るたび形を変える廃本丸、かつての審神者は優秀だが人柄に問題あり、おそらく刀剣男士に伽を命じていたこと(相手が青年の姿をしているので、さすがに言い方を濁した)、最終的に斬られて殺されたこと。それから顕現までの経緯を説明した。しかし、彼は本丸のことも審神者のことも知らないようで、通常どおり顕現されたての刀剣男士と相違ない。

「あなたが初めて顕現されたというなら練度はきっとまっさらです。とはいえ、ここには戦うべき相手がいない」

 元は戦の前線を張っていた場所だ。主を無くした本丸に遡行軍が入り込むことはあったが、そのたび政府が駆逐してきた。潰れてはならないと認識されている場所だからだ。加えて今自分のいる場所はおそらく何らかの結界の内側だ。不可解なことは起こるが、敵はいないと見ていいだろう。

「それでは私の役目はなさそうですな」
「あ、いえ! そのようなことはありません。そう仰らないでください」

 役目のないものはない。ましてや、乱藤四郎があれほど顕現するように言っていた刀剣なのだからと思う。

「不確定なことが多い上に閉じ込められて困っていたのです。来てくれて安心いたしました。あなたでよかった」

 見知らぬ廃本丸。そのなかで形あるものの存在は大きな安心要素だった。それに、刀剣男士にしか分からないことだってあるかもしれない。
 改めて胸を撫で下ろすと、一期一振は何度か瞬いた。なんか今、桜の花弁が……気のせいかな。おそらく顕現のときに現れた霊力の残滓だ。話を現状の整理に戻した。

「今まで調査にあたった審神者がつぎつぎ行方不明になってきたらしいのですが、正直間取りが変わるだけで帰れなくなる理由がわからなかったんです」
「しかし、実際に閉じ込められている」
「はい。政府の情報不足ですね。間取りが変わるだけじゃなくて、近づいた人間を問答無用で引き込むみたいで……いや、順番が逆か」
「人間を引き込んで、間取りを変える」

 一期一振は呟いた。

「まるで生き物のようですな」
「それな」
「それな……?」
「すみません。何でもありません。同意いたします」

 その例えで言うなら、さしずめここは胃の腑──ヤだな、なんか汚い。怪物の腹の中で消化液に浸かるのを想像して、勝手に胸を悪くした。
 しかし、これまでこの本丸は人が来るたび間取りを変えて閉じ込めてきた、すなわち取り込み消化するという一連の流れを繰り返してきたことになるので、言い得て妙というものだ。一体、何のために?

 アレッ――と思った。来るたび変わると言うから、入る、変わる、これで終わり、のような感じを想像していたが、そうするともしかしたら自分の番はもう先ほどので終わった可能性もあるのではないか。取り込み、既に消化される段階ではないのか。

「詰んだ?」

 これまでのエリートと違って確かに神職の血筋でもなければ審神者でもないが、この本丸、勝手に引き込んでおいてものの数十分でハイ終了とでも? これでも神社育ちだ。ありえないペースで試合終了された可能性に沈思していると、一期一振が困った顔でこちらを見た。

「何か思うことが?」
「すみません。杞憂です」

 最悪そうだとしても、こちらに出来ることは調査を兼ねた出口探ししかないのだった。加えて今まで調査で刀剣男士に遭遇したとか、刀を顕現したとか、先ほどのような誰かの記憶らしい映像を見たというデータはない。今回は何かが違うのだと考えたほうが前向きだ。では、何が違うのか?

「主。先ほどから気になっていたのですが」
「はい、何か」
「その脚の傷のことは、説明して下さらないのか」

 一期一振は埒が明かないと思ったのか、思考の彼方にあった左足の怪我を指摘した。
 指摘されて――蜜色の目が――こちらを向いた。それだけで私の意識はフッと揺らいだ。

 急速に、頭のうらに映像が蘇った。鍛刀部屋だ。札や資材がひどく散らかっている。掃除の入っていない汚さというより、突発的にものが散乱した感じだった。女が追い詰められて、炉にすがりながら叫んでいる。もうほんの少しで刀ができる。しかしそれより前に、抜き身の刃を持った男が眼前に迫っていた。わけもなく「早く!」と思った。早く刀を呼ばないと。いっとう愛した刀剣に斬られてしまう。早くしなければ。

「主!」

 強烈な痛みが意識を現実に引き戻した。痛すぎて背を丸めると、一期一振がすかさず支える。できた刀剣だ。よりによって一期一振。違う個体ではあるが、ここの審神者を斬り殺した刀剣だ。今の出来事によって、すっかり覚醒前の悪夢を思い出していた。

「すみません、なんかこう、ときどき審神者の記憶らしきものが頭に流れるときがあって」
「それが今だったと」
「傷がきっかけだったんですかね」

 そうだ、傷だ。その説明をしようと思ったところだったのだ。気遣わしげな一期一振に無事を告げて、再び向き直った。

「この傷は、本丸に引き込まれたときにできたものです」
「刀傷に見えますが」
「はい。おそらくそうです。ここに来るまでこんな傷はなかったんですけど……」
「歩けますか」
「遅くはなりますが、なんとか」

 一期一振はどこまでも心配そうな目色だ。けれど、何か他のことを考えているようでもあった。そうしてしばらく考えたのち、彼は口を開く。その言葉は意外なものだった。

「主──審神者を殺したのは、一期一振ですか」
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