二、刀の返りぬる事
そこは己のうまれた場所だった。数多の刀の魂を降ろした審神者は壁に寄り縋って、狂ったように叫び続けている。その姿を哀れで、憎らしく、切ないと思う。「私を斬る気!」
然り。俺は今、大切なものを傷つけた呪わしき女を手にかけようとしている。癇癪を起こされたところで何も変わらない。
「あなたを人にしたのは誰だと思ってるの。私があなたの主だってこと──」
忘れたことはない。しかし承知の上だ。この身体はもはや主の命令など聞きはしない。今、自分はどんな顔をしているだろうか。そんなことはもはやどうでもよかった。
「待ってったら──一期一振!」
名前を呼ばれ頭の中で何かが弾けたとき、刃は既に女の柔肌を斬り裂いていた。はて、一体何を守ろうとしていたのだったか。目の前の女はかつて慕った主ではなかったか。天地が返るような錯乱。全ては黒い靄に覆い尽くされた。
▲ ▼
「審神者を殺したのは、一期一振ですか」
「そ――そうです」
そうですとしか言えなかった。かろうじて政府からの資料に記されていた情報で、悪夢の内容を審神者の記憶と推測した根拠でもある。それを言い当てられたことに内心狼狽した。なにせ、あのドス黒い怒りと呪いの刃を覚えている。当たり前だがまったく同じ顔なのだ。
「そう思った理由を聞いてもいいですか」
「勘ですな」
「勘ですか……」
「それより主、この傷は不自然です」
「あ、え、不自然。どうしてですか?」
「狙ってついた傷とは思えんのです。移動手段としての足を潰す目的にしては浅すぎる。致命傷でもなければ、足止めとしても効力が弱い。相手の体勢にもよりますが、元々狙った別の場所──それこそ上半身などから咄嗟にずらしたように見えます」
「……目から鱗です」
刀剣男士ならではの視点だった。内臓の多い上半身を狙っていた「殺すための刃」が、何らかの理由で命を奪わない足に外されたと。一体、なぜか?
「というより、そう確信しています。先ほど主は審神者の記憶が流れると言いましたが、私もその太刀筋に覚えがあるような気がしましたので」
「それってつまり、審神者を殺した記憶──」
「そういうことでしょうな」
「じゃあ外しても結局殺されるってことやん」
審神者を殺した刀剣を一期一振と推測した理由は、彼もこちらと同様にその記憶を見たからだと知った。加えて、一見関係なさそうな左足の傷が、実は審神者の負ったものと全く同じ場所だったことが判明したも同然だ。
ますます不穏で恐ろしいと思った。審神者が最終的に殺害されることを考えると、自分もこの程度の傷で済む保証はないからだ。他の調査員もこのような傷を負って、最終的に命を落としたのだろうかと、考えたくはない予感が頭を支配する。一期一振の手前、無理にでも振り払った。
「それなら、どうして審神者の一期一振は咄嗟に狙いをずらしたのでしょうか。邪魔が入ったとか? ブラック審神者を庇う刀剣がいるかは分からないけど」
「部落?」
「ブラックとは英語で黒を意味します。世にはブラック企業というものがあって、奉公人の生活や意思を蔑ろにし過激な労働を強いる組織のことを言います。それを応用して、刀剣に対して狼藉を働く審神者のことをブラック審神者と呼ぶのが定着しています」
「なるほど。それなら、これも私の勘ですが、邪魔が入ったのではなく自分の意思でズラしたように思います」
「自分の意思で……? あ、ハア、そうですか」
一期一振と同様に頷いたが、正直余計に分からなくなった。審神者を憎んでいたであろう刀剣が、自ら致命傷を避けようと太刀筋をズラす理由がまるで分からない。どうも、単なるブラック本丸というわけじゃない気がしてきた。時間を忘れた思考の海に沈むより早く、一期一振が再び口火を切った。
「斬りたくなかったのでしょうか」
「審神者を?」
「ええ、私が貴方を斬りたくないのと同じように」
「私も斬られたくないです」
「はは、でしょうな」
なにわろてんねん。
と言いたいところだが、一期一振もこちらを不安にさせまいと笑っているのだ。記憶といい傷といい、ただでさえ審神者との同調が多いので、そういう話は洒落にならないが。
数分前に脳裡を過ぎった審神者の記憶のなかで、ほとんど無意識に「早く」と考えたことを思い出す。案外、呑気ではいられないかもしれない。乱藤四郎の言葉のとおりに鍛刀部屋へ。でないと、斬られてしまうから──誰が? 審神者が、それとも、自分が。
「ヤバい気がしてきた」
「やばい?」
「厄場に由来する単語で、昔の泥棒が使っていた言葉です。転じて危険であったり甚だしい状況を表す言葉になりました。現代の若者は何かの程度がすごいととりあえずこの言葉を使う傾向にあります。今は危険という意味で使いました」
「なるほど」
「一期一振。私たち、一刻も早く鍛刀部屋に行ったほうがいいと思うんです」
どうしてこんなに焦るんだろう。これも審神者との同調か? 嫌な同調。とはいえ、鍛刀部屋を目指すべきという結論には一期一振も異論なしのようだった。
これだけ匂わせているのだから、絶対に何かある。そこに行けば何かがわかる。本丸から出る方法か、それともこの本丸に起きたことの真実か。とにかく知らずば帰る能わず。元々そういう依頼だった。
「ただ、おそらく今のままじゃ辿り着けない」
「何故です?」
「乱藤四郎に『まだ行けない』と言われたのです。つまり、今は鍛刀部屋に行くための条件を探しましょう」
結局、情報が足りないのだ。端末の通信が使えない以上は本丸を調べて回るしかない。この足で! 狙ったわけではなかろうが、足の怪我はタイムロスに繋がる。腕ならまだよかった。
動いたら痛いだろな。ようやく見つけた痛くないポジションを抜け出し、立ち上がらなければならない事実に躊躇していると、一期一振が先に立ち上がった。
「主、利き手はどちらですか」
「はい? 左ですけど」
「では、右手を。利き手がふさがっては不便でしょうから」
一期一振はおもむろに手を差し出した。
「あの。この手は?」
「怪我した主を、支えなしに歩かせるわけにはいかんでしょう」
「あ、ど、どうも──」
ロイヤル──! 忘れかけていた幻聴、もとい誰か知らぬ審神者の声(世論)が勢いよく混線したが、なんとか自我を取り戻した。見計らったかのように流れ出すラブ・ソー・スウィートを止めてほしい。今そういう空気は感じていない。
書きかけ 今ここまで
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