09

 マネーラが、お土産にケーキと茶葉を持ってきた。ウラハザマタウンに寄ったついでにジェシーの店で買ったらしい。ナスタシアは再び傷心旅行中のため、二人で女子会をすることにした。

「そういや、悪夢がどうとか言ってたわよね。最近はどうなのよ。よく眠れてるの?」
「もうだいぶ前の話だし、心配しなくていいよ。ディメーンがどうにかしたっぽいし」
「はあ? 『ぽい』ってアンタね……」

 ディメーンが勝手に首を突っ込んで解決した話なので私はそう言うしかない。マネーラの反応はあまりよくなかった。二人は(ほとんどマネーラが一方的に嫌う形で)犬猿の仲だ。からかったときの彼女の反応を面白がられていると言い換えてもいい。とにかく究極の面食いであるマネーラにしては珍しいことだった。

「あんまりアイツに借りを作るんじゃないわよ。いくら丸くなったとはいえ、何を考えてるか分かったものじゃないんだから」
「そうなんだけどね」

 マネーラの言うことには全面的に同意だ。一度伯爵を裏切ってとんでもないことを仕出かした前科がある以上、警戒するに越したことはない。だけど私は「そうだね」ではなく「そうなんだけどね」と答えてしまったことに気がついた。今の彼に、果たして何が残っているっていうんだろう。全てが過去のことになってしまった私は、ただ漫然と日々を浪費している。悪意に満ちた三千年の夢が終わり、ディメーンは何を思いながら生きている? 最近はこんなことばかり考えている。絆されたとしか言いようがなかった。

「心配だわ。ステラ、何もされてないでしょうね?」
「されてない。されてない」
「アイツが人の容姿にこだわるようには見えないけど、アンタ、綺麗なんだから。気をつけなさいよ」

 同じベッドで寝たしキスされたしやたらベタベタされている。これで「何もされてない」は大嘘にもほどがあるが、言ったらマネーラは派手に怒るだろう。怒らせていいことはないので、私は全てを闇に葬った。あのときはさすがの私もイラッときたが、ディメーン本人もよく分かっていないようなので、不問とする。私だって神の器だった時期があるんだから、キレようと思えばいつだってキレられる。

「ここに留まる理由もないでしょ。さっさとカレシでも作って、離れるのがいいと思うわ」
「好きな人とか、いたことないからなあ」
「あ。そうだったわね──」

 生まれてからの大半をおよそ人間とは言えないような生活に費やした私に、好きという概念は未だよく分からない。マネーラはちょっと気まずそうに「ごめん」と言ったが、別に気にしちゃいなかった。だってマネーラもカレシいないし。そのまま同じことを言ったらどつかれた。

「アタシはねえ! 確かに今はいないけど、誰かを好きになったことくらいあるし、それこそカレシを作ったことだってあんのよ!」
「面食いだもんね」

 マネーラは、伯爵に付き従っていた理由すら「イケメンに囲まれた世界を作りたいから」という始末だ。実際、伯爵本人も美形だった。それが彼女の動機に与えた影響は大きいだろうと思う。ハーレム計画をディメーンに暴露されたとき、マネーラは相当焦っていた。

「アタシの話はいいでしょ。男の好みとかないわけ? それとも、女の子のほうが好き?」
「そういうわけでもないと思う。まあ、自分で分かってないだけかもしれないけど。恋したことないし」
「例えば、ずっと一緒にいられるって思うことよ。その人のためならなんでもしてあげたくなるし、そばにいるとドキドキするの」
「えーと、それって」

 マネーラの恋愛観はベタなものだったが、間違ってもいなさそうだ。ちょっと気になることがあって切り出すと、マネーラは「何。聞かせてみなさいよ!」と身を乗り出した。どうやら私に心当たりが生まれたのだと思ったらしい。残念ながらそうではない。外の世界を出くたびにいろいろな人に出会ったけれど、そんなことを自分から願うような相手には巡り会った覚えがないし、想像もつかない。

「一緒に死んでもいいって思うのは、恋に入る?」
「あら、素敵じゃない」

 ディメーンは一緒に死ぬのも生きるのも同じことだと言った。あれは、彼にとっての諦めのようなものだと思う。あいつの世界には何もない。ただ死に向かって進むだけだというなら、時間があればあるほど虚しくなる。そこで新しい何かを探そうと割り切るには、これまでの三千年が重すぎたんだ。私は同情したのかな。それとも、自分の生が恐ろしくなったのかな。

「だけど、それは恋じゃないわ」
「やっぱりね。安心──」
「恋じゃなくて、愛ね」

 なんだって? 否定されて安心したのもつかの間、まさかの衝撃展開に私は言葉を失った。恋を上回るよく分からない概念が出てきたではないか。私の知る愛とは、伯爵もとい、ルミエールとエマが誓った永遠の純愛くらいだ。アレが愛だと言うならば、私は絶対に違うと言い切れる。

「自分が何のために作られたのか分からなくても、終わりに必ず待っていてくれる人がいるだなんて、最高じゃない。最期に『そのための人生だった』って思って死ねるなら、アタシ、なんだってするわ」
「そう」
「そうよ。一緒に死んであげるだなんて、もうね。これ以上ない口説き文句よね。キャーッ」

 マネーラはふざけて身を捩った。しかし私は彼女の過去を知らないなりに、それが本心なのだということを感じ取った。誰にも愛されない孤独を、恐れているのだろう。

「アンタ、あんまり世間知らずだから心配してたけど、意外と分かってるのね。すっかり普通の女の子じゃない。よかったわ」

 その相手がディメーンだとしても? 私はさすがに言い出せなくて「そうかな」と乾いた笑いをこぼした。うすうす分かっていたが、あいつとの関係はちょっと取り返しがつかない感じになっている。簡単に受け入れた私も私だが、世界が救われてから一年、その期間でよくもここまでの事態になったものだ。私はいっそ感動した。

「きっとアンタのところにはたくさん男が寄ってくるわ。そう思える人に会えるといいわね」
「マネーラもね……」

 そのチャンスはきっと一生訪れないね。愛という未知の優しさを私は持たないから。しかしよく分からない拗れ方をした現状は、意外にも居心地は悪くない。なんだかどうでもよくなってきた。こんなことマネーラが知ったなら、大激怒に違いない。私はぬるくなった紅茶を、素知らぬ顔で飲み干した。