08

 雪が降るのはとても珍しい。天気どころか朝も夜もほとんど区別のつかない暗黒城だが、季節そのものは外界と同じように巡っている。例年はせいぜい気温が平均より上下する程度の緩やかな変化だが、今日は屋根や地面に雪の膜が張り、黒い景色が白く変わっていた。

「寒っ」

 芯から冷える。マネーラが雪を見るんだと言い出すから、クローゼットの奥からコートを引っ張り出してきた。買ったときには可愛かったが、既に流行りは過ぎたデザインの気がする。今度街に出たら、防寒着を新調しようと思う。外を駆け回るマネーラたちを見ながら、私はそのへんのベンチに腰掛けた。すると、その隣にいつもの道化師が現れる。

「みんな元気だね〜」
「うわ、ディメーン」
「『うわ』とはご挨拶だなあ。そんな宿敵みたいな反応しなくたっていいじゃないか。いくらボクでも傷つくってこと、そろそろ分かってほしいね」

 当たり前のように嘘泣きをする男なので、こういうのは無視でいい。ドドンタスは未だにこれを真に受けているらしい。一時期だけ伯爵ズにいたミスターLとかいうヒゲも、どちらかといえばドドンタス側だったな。体のいいオモチャが減って、ディメーンもさぞかし退屈だろう。予言書のこともあって、ミドリのほうにはとりわけご執心だったようだから、なおさらだ。

「……モノノフ王国って覚えてるかい?」
「ん? ああ、まあね」
「あの国は次元の穴の拡大が特に早くてね。黒の予言書によって最初に滅亡した世界なのさ〜。まあ憎たらしいことに、今は元通りなんだけど」

 話に脈絡がなさすぎて、私はただ適当に相槌を打った。しかしディメーンは私の困惑を一切気にせずに話を続けた。

「次元の穴に飲み込まれたあとの王国は、空も地面もどこまでも真っ白だったよ。生き物の気配どころか、音もない。もし計画が上手くいっていたら、この世界の全部がああなってたんだろうな〜って、雪景色を見て思い出したんだ」
「物騒だな……。そういえば、予言が執行されたらディメーンはどんな世界を作るつもりだったの?」
「うーん。平和な世界かな〜」

 ご冗談。ディメーンの荒唐無稽な返事に私は一秒足らずでそう思った。「ディメーン」と「平和」は、対義語として辞典に載せたっていいくらい、かけ離れている。私の疑わしい目つきを察知してか、彼は両肩を竦めて「本当さ!」と念を押した。

「全ての感情ある生物が平等で、道具のように扱われることのなく、争いで命を落とすこともない世界が、ボクの作りたい世界だよ。まあ、ボクが滅亡と一緒に死ねなかったらって話だけど?」

 てっきり軽口を叩いているのかと思ったら、妙に真剣味のある理想が出てきたので、私はナルホドとしか言えなかった。なんとなく、点と点が繋がってくる。こいつに限って高尚な博愛精神が動機ということはない。恐らくディメーンにとっての大切な人が、そういう扱いを受けたんだろう。それが許しがたいことだったから、世界を滅ぼすに至ったわけだ。そして大切な人とは、例の「姉さん」だろうなと思う。復讐のため、あるいは自分の三千年に終止符を打つために。果たしてその決断が彼の幸福に繋がるものだったのかは、既に知りようもないことだ。

「残念だったね。計画が失敗して」
「ご同情をありがとう。もう終わった話さ〜」
「別に? 社交辞令だから」

 とかなんとか軽口を叩いている場合ではなかった。ディメーンが当たり前のように私の手をとってもちもち撫でている。手持ち無沙汰なんだか知らないが、他人の手だぞ。あまりに自然すぎて気がつくのに時間がかかった。

「ちょっと、何してんの?」
「何が?」
「手だよ。手!」

 指摘するとディメーンはなんとも名状しがたい顔つきになって「……寒かったから?」と手を離した。こいつ、また無意識パターンか。本人にすらよく分からない謎のスキンシップは最近少なくない。さすがに前のようにキスというのはないが、この様子ではいつやらかすか知れたものではない。辛うじて因縁浅からぬディメーンだから指摘するに留めているが、普通ならブチ殺されても文句は言えない話だ。

「ディメーンに分からないことが私に分かるわけないじゃん。寒いなら、中に戻れば?」
「いや、そこまで寒くもないんだけどね〜」
「どっちだよ」

 不可解なのは今に始まったことではない。少なくとも悪意や害意をもってやっているわけではなさそうなので、あまり気にしてもしょうがないことだ。ディメーンは私を傷つけないと約束したんだから。
 しかしはたと思う。そういえば、最近は「愛してる」とか「大切にする」といった気色悪い絡み方も劇的に減ったな。少し前までは何食わぬ顔でそういうことを連発していたが、ちょっとはまともになったのだろうか。その分だけ物理的な絡みが増えているのが問題だけど。

「怒ってるかい?」
「何を」
「えーと、つまり。前にキスしたこととか、さっきみたいなことを……」

 ディメーンは突然歯切れ悪くなったかと思うと「いや、そもそも」とか「聞いて何になる」とかぶつぶつと思考の渦に入り込んでしまった。これだから調子が狂う。私は怒るに怒れない。

「怒ってないよ。というか、ディメーンがそんなだから、怒る気もなくなる」

 私が本当に怒っていたら、今ごろ彼は反省文を千枚ほど課されていたところだろう。ディメーンは私の返事に何を期待していたのだか知らないが、一言「そう」と呟くのみだった。

「城に戻る。寒いのは嫌い」

 限界だ。マネーラたちには悪いけど、先に戻ることにした。私が立ち上がって踵を返すと、ディメーンに手首を掴まれた。彼の冷たい手なんか、熱源にもなりやしない。凍えるから、早く城に戻らせてよ。

「怒んないよ。だけど、何?」
「いや、別に」

 こいつ、寂しいんだな。私の直感がそんなふざけた推測を弾き出して「まさかね」と思った。ディメーンは何か言いたげだったが、結局あっさり手を離した。帰路をゆく私の背には、ほとんど幻聴にも近い小さな呟きが聞こえた。

「ただ、寒かったから」