星の落ちた日

 轟! という凄まじい音が聞こえたかと思うと、大人たちは慌てふためき、逃げ惑った。なにやら国は大惨事、何者かによって襲撃を受けたらしい。それが決して軽い事態でなく、国を揺るがす脅威であると、ステラは直感で理解した。

「ミコ様、お逃げください。どうか、どうか」
「私は神座を去れない。きみが逃げて」
「いけません」

 名前も忘れた側近の男が必死に声をかけるが、ステラはなぜだか不思議な期待がよぎって、彼の言うことを無視した。それは星のお告げと似て非なる妙な感覚だった。やがて男たちは痺れを切らし外へ逃げるも、空気の抜けるような呻きを上げて、すぐに何も聞こえなくなった。おそらく死んだ。楔、呪い、それらをステラに与えた者は次々といなくなり、聖堂にただ一人。強大な誰かがすぐ近くにまで来ている。門を潜り、参道を抜け、この神の間の目の前に。ステラはその危険な来訪者と、なぜだか邂逅を果たしたくて仕方がなかった。

「入って。きみは一体、何者か」

 果たして、その脅威はただ一人の男であった。陽の光をほとんど吸っていないような、結局の悪い肌色。上等な白の装い。小綺麗な風采にそぐわぬ、凄まじい魔力があった。その手には一冊の黒い本。ひと目でわかる不吉で邪悪な気配。頭からつま先まで、どこを取っても只者ではなかった。彼は階段をのぼり、ステラのもとへ淡々と歩み寄る。しかし逃げようとも思わなかった。それは、自分の生に逃げ延びるほどの価値を感じないからであり、この男が意味もなく危害を加えるものではないと思ったからでもある。

「余は……いや、私はルミエール。黒の予言書に選ばれし、予言の執行人。その内容に従い、ここへ来た」
「黒の予言書ね。その本は、古代の民が作った最悪の遺物なんだって。そんな代物を持っているとは、ルミエール、きみは人間ではないね。ヤミの一族か……と、私が知っているわけじゃないけど。星神さまがこのように仰っているよ」

 星神の半身に選ばれた者は、神座にいる限り、その力を行使することができる。それこそ星のミコたるステラがこの場に幽閉されていた唯一にして最大の意味だ。この国にとって、ミコは民の幸せを導く装置に過ぎず、感情などは不要なのである。
 来訪者・ルミエールは身震いした。音に聞く星のミコとは、願いを叶える星の王国とは、これほどおぞましいものであったかと思う。民は彼女を崇めながら、まるで人間の扱いではなかった。その狂気を咎める者は誰もおらず、ただ彼女の壮絶な美しさだけが有る。淡々とした声色は、生まれ落ちて以来、なんの感慨も宿したことはないのだろう。

「私の名は……あまりに長すぎるから、ステラで構わない。それで、何をしに来たの? これだけの損害、もはやこの国は滅亡を免れない。そんな大罪を犯してなお、ここにやってきた。その意味を尋ねよう」
「この国だけではない。私はいずれ、この世界そのものを滅ぼすつもりだ。しかしその前に、願いを叶えるミコだというキミに、聞きたいことがあるのだ」
「いいよ。言ってみて」
「ステラ。キミは死んだ人間を蘇らせられるか?」

 ステラはここで初めて表情を動かした。と言っても、ほとんど誤差のようなもので、わずかに眉を持ち上げるのみだ。ルミエールは、ミコの答えをどこか緊張の面持ちで待っている。それが世界の命運を分けると言って差し支えないほど、大きな意味を持つからだ。しかしステラは少し考えてから、抑揚なく「できない」と言い切った。

「それはきみにとって大切な人?」
「そうだ。エマ──善良で誰よりも優しい彼女が、理不尽なことで命を奪われた。どうか、蘇らせることはできないか」
「できない。同じことを願った者は多くいるよ。だけど私は、生死を覆すことだけはできないんだ。願いは、それが全てなの?」
「全てだ。私の全てだった……」

 ルミエールはたいそう落ち込むと思ったが、予想に反して静かであった。ただ、諦めたように「そうか」と呟いた。ここに世界の命運は決まった。ルミエールはノワール伯爵となり、黒の予言書に従って、この世界を破滅させる決意を固めたのである。

「分かっていたよ、私は予言書の持ち主だから」
「他の願いなら、叶えられるけど」
「願いではないが、キミにはもう一つ伝えることがある。ステラ、予言に従い、余と共に来るがいい」
「──なんだって?」

 脊髄を粗い液体がザラザラ流れるような感覚。何か、不可視の危険物が、今にも爆発してしまいそうだ。ステラは言いようのない焦燥を覚えた。それは星神の威嚇である。ルミエールの荒唐無稽な提案に対する憤怒が滲み出ているのだ。民はただ崇めるばかりであったから、こんなことは初めてだった。

「私をここから連れ出そうというの? 私が神座を去れば、願いを叶えることはできなくなるよ。私の価値は、それくらいしかないと思うけど」
「それでもだ」
「星神さまが、お怒りになるよ」

 突然、ルミエールの上ってきた階段と足場が崩壊した。無数の礫が星のように輝いては、彼の命を奪おうと飛び交う。星神の拒絶だ。愛しいミコを奪おうとする余所者を、排除しようとしているのだ。しかしルミエールは動じなかった。大暗黒魔法は攻撃をたやすく凌ぎ、ステラの手を引いたかと思うと、神座を破壊した。たちまち、どこからともない断末魔が、崩れかけた大聖堂にこだました。

「なんてこと……星神さまは、今、どうなったの」
「いくら余であっても、あれを殺すことはできない。もはや民は死に絶え、信仰はなく、弱っていると言ってもな。少し足止めをしたまでだ」
「まさか、私を本当にここから連れ出すつもり?」

 断末魔が止み、神の気配が消える。聖堂には、降り落ちた星の遺骸と、ひび割れた神座。純血のヤミの一族と、星の王国、二人は互いにその血を引く最後の者であり、この聖堂に残る唯一の命であった。この絶望的な状況で、ステラの胸には、やはり不思議な期待感だけが宿る。星の民が絶え、自由を得る。それは生まれ落ちてから、考えもしなかったことだ。しかし現実となった。この国は跡形もなく滅びたのだ!

「それが予言書の意志だ」

 ルミエール──ノワール伯爵は、シルクハットを目深に被り直し、ただそう告げた。それが、ステラの運命を変えた。彼女を止めようという者は、もはや誰もいない。かくして、栄華を誇った星の王国は一夜にして消え去り、尊きミコは行方をくらましたそうな。その後を知るものは、今や誰もいないという。